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角田裕毅に足りなくて、ローソンにあるもの:2025年レッドブル シートをめぐる争い
鋭さと闘志の差が示す未来への課題
F1という世界では、才能だけではなく、機会を掴む能力や精神的な強さが、ドライバーの未来を決定づける要素となる。その観点から見て、角田裕毅とリアム・ローソンのキャリアパスは、実に対照的だ。
ローソンと角田のキャリアは、かなり違った道を歩んできた。
リアム・ローソンはニュージーランドという比較的小規模なモータースポーツ環境からF1の舞台にたどり着いた。ニュージーランドには大きな産業もなく、バックアップしてくれる大企業も存在しない。彼がF1までの道を切り開いたのは、レッドブルのサポートがあったからにほかならない。しかし、その支援も無条件ではなかった。
2023年、ローソンはスーパーフォーミュラ参戦の合間を縫い、F1のレースにも帯同していた。しかし、8月末の第14戦オランダGPで、アルファタウリのレギュラードライバーであるダニエル・リカルドがクラッシュで左手を骨折。このため急遽代役として起用されることとなった。初めて乗るマシンに加え、急変する天候に苦しみながらも決勝13位で完走。その後、デビュー3戦目となるシンガポールGPでは、初入賞となる9位で2ポイントを獲得する活躍を見せたが、アメリカGPでのリカルド復帰によりカタールGPまでの計5戦で役割を終えた。
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2024年には再びチャンスを得て、リカルドに代わり第19戦アメリカGP以降のシーズン終盤の6戦をドライブ。その初戦であるアメリカGPでは予選16位から9位入賞を果たした。この際、アロンソとの接近戦で見せたアグレッシブなドライビングは物議を醸した。また、メキシコGPでは親チームであるレッドブルの地元ドライバー、セルジオ・ペレスと接触。両者が順位を落とす中、周回中にペレスに対し中指を立てる姿がオンボード映像で公開され、大きな話題となった。
ローソン自身のキャリアを振り返ると、彼がF1にたどり着くまでの道のりは決して平坦ではなかった。彼の家族はレース活動を支えるために家を売却するという犠牲を払った。ゴーカート時代から莫大な資金が必要だったため、家族全員が彼の夢に全力を捧げた。ローソンは高校を卒業することなく、夢を追いかけてヨーロッパでの過酷なレース生活を始めた。ニュージーランドという遠い地からヨーロッパでのシートを勝ち取るには、忍耐と粘り強さが求められた。
2018年のADAC F4ではランキング2位となりながらも、注目を引くことはできず、ニュージーランドに戻ってトヨタ・レーシング・シリーズに参戦。そこにたまたま、他のジュニアドライバーを視察に来ていたヘルムート・マルコの目に留まり、ジュニアチームの一員となるチャンスを得た。もしこの転機がなければローソンのドライバー人生は終わっていた可能性もある。この時、彼は翌年の予定は全くなかったと述べている。その後、F3、F2を経て実力を積み重ね、2023年にはスーパーフォーミュラでタイトル争いを繰り広げた。
彼のキャリアは、まさにシンデレラストーリーと言えるだろう。資金不足で上位カテゴリーに進めないドライバーが多い中、ローソンは偶然にもマルコの目に留まり、レッドブルのジュニアドライバーになる機会を得た。もし彼が角田裕毅のライバルではなかったなら、もっと評価されていてもおかしくない。
一方で、角田裕毅はホンダの支援を受けてステップアップしF1に昇格した。この支援のおかげで、1年目に結果を出せなくても2年目のシートを守ることができた。この安定したサポートは、角田のキャリアを支える大きな武器であると同時に、彼が求められる水準を曖昧にしてしまう要因にもなっている。もちろん彼もホンダが支援するドライバー間の競争に勝ち抜いて来たことは間違いがないが、ローソンとはかなり違うキャリアを歩んできたことは明らかだ。
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チャンスを掴む力の違い
ローソンのドライビングには、彼が追い詰められた状況で発揮する鋭さがある。シンガポールGPや、アメリカGPでの入賞はその典型例だ。特に、アロンソやペレスとの接近戦で見せた攻撃的な走りは、彼のアグレッシブさを象徴している。この姿勢は、F1で結果を残す上で不可欠なメンタルの強さを示している。また、このチャンスを逃すと後がないローソンの立場も表している。日本GPでは地元の角田裕毅を強引に抜きポジションを最後まで維持するなど、その闘志を見せた。一方で、この行動は日本のファンから批判を受けたが、F1という厳しい環境での生存本能の表れとも言える。
一方で、角田にはこうしたアグレッシブさがやや欠けていると言わざるを得ない。入賞圏内にいながら、レース終盤に順位をあっさりと落とすシーンが散見されるのは、ローソンとの大きな違いだ。
もちろん、角田にはローソンに対してアドバンテージがある。例えば、予選での速さや、安定したペースを維持する能力だ。ただこれは角田が4年間の経験があることを考えると、当然と言えば当然である。まだ一度も年間を通じてF1をドライブしたことがない、ローソンに負けるようではそもそも、比較対象にならない。
だから角田の方が結果を残しているのだから、角田をレッドブルに乗せないのはおかしいという話にはならない。
F1という舞台では、これらのアドバンテージだけでは不十分だ。特にチームの中心となるためには、チームへ高い要求をし、自身を中心としたマシン開発や戦略を引き出す力が求められる。
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独立性の重要性
ローソンのキャリアパスを見ると、彼が常に結果を求められるプレッシャーの中で戦ってきたことがわかる。一方で、角田はホンダという強力な後ろ盾があるため、結果を出せなくても一定の猶予が与えられている。この状況が彼の成長を妨げているわけではないが、彼の独立性を損なっている可能性がある。
F1ドライバーとして真に成功するためには、外部のサポートに依存するだけでなく、トラック上で結果を出し、チーム内での地位を確立する必要がある。ローソンはその点で、限られたチャンスを最大限に活かしており、その成果が評価されている。
角田が今後求められるのは、自分自身をチームの中心に据えるための行動だ。それは、チームに対して明確な要求をし、自分のドライビングスタイルや好みに合わせたセットアップを引き出し結果を出す。これができなければ、F1の世界で長く生き残ることは難しいだろう。そうすればチームは角田を中心に回り始めて、チームメイトを圧倒できる。これはシューマッハやフェルスタッペンがたどってきた道でもある。自身を中心としたマシン開発や戦略を引き出す力が求められる。
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未来への課題
現時点で、ローソンと角田のドライビングに明確な差があるわけではない。しかし、その内面にあるメンタルの強さや、機会を最大限に活かす能力には違いがある。ローソンのアグレッシブな姿勢は、彼がF1という厳しい環境で生き残るための武器となっている。一方で角田には、その鋭さと闘志が少し足りないように映る。
例えば彼は今年になって、レース中の激しい発言を抑える必要があると気がついたようだ。しかしながら、それを4年目に気がつくのは、少し遅いと言わざるを得ない。これを2年目に気がついていれば、また話は違った。
彼はルーキーイヤーの開幕戦で入賞している。これは簡単なことではない。かつてのチャンピオンドライバーたち、共通に見られる、素晴らしい才能である。しかしそこから、本人も認めていたが、すこし甘さがでて失速してしまった。しかし、開幕戦で入賞しただけで、甘くなるようでは、F1での成功は難しい。才能があるのは当たり前で、そこから努力を積み重ねて、成長し続けない限り、生き残れない厳しい世界である。
総じて彼の発言を聞くと、まだ幼いなと感じることが多い。これは彼だけの問題ではないが、若い日本人アスリートに共通する一般的な話でもある。例えばヨーロッパではモータースポーツでもサッカーでも10代でプロデビューする選手が一定数いるが、彼らのインタビューでの受け答えを聞いていると、もうすっかりプロ選手の風格がある。これはつまり彼らがより成熟しているということである。
このままでは、角田の将来は限定的なものになりかねない。2026年にはアストンマーティンのリザーブドライバーに転身するというシナリオも現実味を帯びている。それを回避するためには、彼がF1ドライバーとしての独立性を確立し、トラック上で結果を出し続ける必要がある。
角田裕毅には高い潜在能力がある。しかし、その能力を開花させるためには、ローソンが示したような鋭さと闘志を備えることが必要だ。F1は結果が全ての世界であり、そこに向き合う覚悟がなければ、生き残ることはできない。