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日々の生活から生まれた唄・民謡

民謡について私は研究者でも専門家でもないのですが、舞踊家として接することが多く、私見を述べることをお許しください。
現在身近に触れることができるのは、所謂盆踊りでしょうか。
様々な芸能がそうであるように、民謡も生活の中から自然に生まれてきたものであるということです。
盆踊りも最近新しい曲も出ているようですが、それも今の生活の中から生まれたと思えば、民謡と言えるのかも知れません。

盆踊りなどは死者の霊を慰めるため、神楽などは神様のため、などがありますが、民謡は仕事唄としても沢山残されています。
山のような農作物を手作業で永遠に仕分け続けなければならない時、唄いながら手を動かした、みたいな話を聞いたことがあります。
現在は機械化も進んで、あまり唄われなくなったのは仕方ないことなのかも知れません。

アスリートがウォーミングアップなどで士気を高めるためにノリノリの音楽を聞くと言いますが、現在の"民謡"と言えなくはないかもとちょっと思ったり笑
その時代のリズム、テンポに合った曲を聞いたり唄ったりするのは自然なことです。

でも、長い時間をかけて生まれ、唄い継がれてきた民謡を後世に残したい、という気持ちも理解できます。
民謡歌手の伊藤多喜雄さんが、現代のリズムに乗せて編曲した民謡を唄ったことは、凄いことだと思います。
私も修業中の流派で民謡を踊ることはありましたが、伊藤多喜雄さんのそれは、かなり衝撃的でした。
当時の民謡界からはかなり冷たい対応を受けたと聞きます。
でも、熱量も半端なく、本当にカッコよかった笑
多喜雄さんのソーラン節で踊った学生チームが民舞コンクールで優勝した時だったか、披露の時に多喜雄さんが呼ばれず、他の歌手が歌ったと聞きました。
私がTVで見た時は多喜雄さんの唄、生演奏で踊っていたので、どの場面かはわかりませんが。
それからは瞬く間に全国の学校にソーラン節が広まったと言っても過言ではありません。
私もその頃から多喜雄さんのコンサートに足を運んだり、CDを買い集めたりしまして笑
何曲も振付しています。

昔からの芸能というのは貴重な文化であり、後世に残していきたいのはどれも同じことなのですが、ただ箱にしまっておくのではなく、広く知ってもらう努力をするべきだと思います。
亜流だと馬鹿にするのではなく、本物に興味を持ってもらう橋渡しになると思ってほしい。
そしてその新しい試みも続けていけば古典になり得るのです。
現在の伊藤多喜雄さんを見ていると、"民謡"という枠からはみ出て、彼の世界が広がっていることを感じます。
勿論元の民謡界もしっかりと外に向かって広がって行かなければなりません。
新旧が大きくなれば相互作用で良くなっていく。
羨ましいですね。
日本舞踊の世界もそうなってほしい、と願っています。

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