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私の話をします。

今年の夏の実家への帰省で父親と喧嘩しました。(この歳になって...)

さらにそれを母親から批判されて、態度が悪いと怒られました。(この歳になって... )


私の中の怒りのエネルギーが大爆発しました。このまま誰かと一緒にいては人を傷つけると思ったので、自分の部屋に籠もりました。その後何時間も内面が揺さぶられました。


内面が揺さぶられるときは、いらない思い込みを手放すチャンスって分かっているから、苦しいけど内面を観に行きました。そしてこんなにも自分が掻き乱されるのは、私が自分をこんな風に思って自己否定しているからだって気づいたのです。

・私は気が狂ってる
・私は暴れ者
・私は触れてはいけない人間
・私は厄介者
・私は傍若無人
・私に育てられる子どもたちは不幸

すごく落ち込みました。私の強烈な怒りのエネルギーは、周りを不幸にするなぁ…こんな私の周りには誰もいなくなっちゃう...私は誰からも愛されなくなっちゃうなぁ...孤独...孤独...孤独.........

ほとんどの感情は、感じれば終わります。このときも、孤独の感情を身体で感じたら、翌朝には割とすっきりしていました。


ここからは後日談です。

上に書いた、厄介者や傍若無人などの自分に対してのセルフイメージは全部、私の中の記憶のお父さんを象徴していることに後日気づきました。

お父さんそのものではないけれども、子どもの頃の私は父親をこんな風に思うことがあって、「理解できない人」だと認識することが少なからずありました。今でも思うことがあります。

そして、お母さんはその父親を強烈に批判する人。二人は理解し合えなくて、いつも喧嘩していました。


「ああ、今でも私の中でお父さんとお母さんが喧嘩しているんだ」


私が苦しかったのは、そのお父さん役を自分に投影して自己否定をしているから。さらにお母さんからの評価によって、今この苦しみ、自分へのジャッジメントが炙り出されているのです。

あれだけ喧嘩を見たらそうなります。子どもの私にとっては死活問題でした。子どもの頃に親の喧嘩を見て苦しみを感じた記憶がある人は少なくないと思います。

でもそれからもう何十年も経ってて、私は大人になっています。今の私には死活問題じゃないし、親が喧嘩していても私に何の影響もありません。


思い込みは思い込んでるうちは思い込みと気づけないけど思い込みと分かった時点で昇華が始まります。だから、もう私はこの思い込みを握りしめておく必要がないんだと、やっと腑に落ちた感じがします。


そもそも、私の中の見たくない私を昔は認識すらできなかった。厄介者で傍若無人で暴れ者って…ほとんど異常者ですよね…苦笑


親と喧嘩することはあっても、いつも内観せずに親が悪いで終わり、モヤモヤを解消しないままでした。だから、自分に対するこのセルフイメージに気づくこともなかったし、認めることもありませんでした。

子宮が活動を始めてから、どんな見たくない自分も受け入れられるようになりました。異常な自分、狂気の自分、冷酷無比な自分。そんな側面がない人なんていません。ポジティブな自分は受け入れているけど、ネガティブな自分には目を瞑っていませんか?

私には圧倒的な安心感を感じられる家が自分の中にあって、どんな自分もその中に住んでいる感覚です。それは女性みんなにあります。男性はそんな女性から癒しを受けます。


セックス、セルフプレジャー、瞑想でオーガズムを感じることでその家が自分の中にあることに気づくことができます。



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