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【 第5話 ある人のいつかのお話 】 わたしについて2 初舞台と五木の子守唄の歌詞

= 前回からの続き =


初舞台の記憶ははっきり残っている。

3歳の頃、「 五木の子守唄 」という演目を踊った。

3歳の子どもが赤ちゃん( 人形 )をおぶってあやす様子を踊るので、観客の表情も自然と和んだだろう。

小さい子どもが踊る時は、舞台の後方に先生が座ってくださりミスをすれば小さい声で指導してくださるようになっていた。

自分の番がきて、緊張しながら真剣にはじめるのだが、序盤の登場場面から  笑いがおこり戸惑った。

なにか間違っているのかな、失敗したのかな、上手にできていないからかな、と不安になった。

会場全体からの笑いはずっと続いた。

その場の雰囲気に戸惑っている私に舞台後ろの先生が小さい声で続けるようつぶやいた。

なんとか練習通りに続けていると、暗い客席から白いものがいくつかとんできた。

“ 大人の観客が笑いながらなにかを投げてくる ”  

怖かった。

踊っている間、何度となくかたそうな白いものがたくさん舞台に投げられた。自分に投げられていると思った。

笑われる恥ずかしさと投げられる怖さで、さいごには泣いてしまった。泣きながら最後まで踊った。

出番が終わり舞台から降りたら「 おひねりいっぱいもらってよかったね 」と言われた。

そのときはじめて “ おひねり ” を知った。

今となっては いい思い出で、少し笑えたりもするが、

できれば、先生や母など、だれか予測できたことならば事前におひねり自体やおひねりの意味などを教えてもらえていると、おびえずにもう少し上手に踊れたのではなかっただろうか。

投げられるおひねりを喜ぶとまではいかなくとも、少しはこわがらずに済んだのではないだろうかと思う。


日本舞踊は我が家の経済状況が厳しくなる中学3年生まで習った。


《 五木の子守唄について 》

熊本県球磨郡五木村に伝わる唄で歌詞は数多くある。

子守唄と言っても、子どもを寝かしつけるような内容ではなく、子守奉公の少女たちの自分の境遇を嘆く唄として伝えられている。

実は今まで意味を理解していなかった。

こんなに悲しい唄だとは思っておらず、今さらながら衝撃をうけている。

《 内容 》
生活の厳しい小作人たちの娘( 7〜10歳くらい )は、食いぶちを減らすため地主やお金持ちの家へ子守奉公へ出された。

奉公といっても、手当てはなくご飯を食べさせてもらうだけだった…とも言われている。

一人前の女性を雇うと手当てが必要なので、まだ幼い少女を子守りとして雇っていたようだ。


 = 五木の子守唄の歌詞  =
〔〕内は訳

おどま盆ぎり盆ぎり
盆から先きゃおらんと 
盆が早よ来りゃ 早よ戻る
〔 わたしの子守奉公はお盆まで。だから、お盆から先はここにはいないよ 。お盆が早くくればもっと早く帰れるのに。〕


おどま勧進勧進
あん人たちゃよか衆
よか衆ゃよか帯よか着物
〔 私は物乞い、乞食のようだ。奉公先の人たちは 裕福でお金持ち。いい服も着てる。〕

おどんがうっ死んだちゅうて
誰が泣いてくりょか  うらの松山 蝉が鳴く
〔 こんなわたしが死んだからといって誰が泣いてくれるだろうか。裏の松山のせみが鳴くだけ。〕

おどんがうっ死んだら
道端いけろ
通る人ごち 花あぐる 
〔 わたしが死んだら人が通る道端に埋めてください。通りすがりの人たちが花をあげてくれるだろうから。〕

花は何の花
つんつん椿
水は天から もらい水
〔 花はこの辺に咲いてる椿でいい。花にあげる水も雨でいいから。〕

ねんねした子の可愛さむぞさ
おきて泣く子のつらにくさ
〔 子守りしている子供が寝ているときはとても可愛い。でも起きて泣いたら憎らしくなるくらいつらい。〕

おどまいやいや泣く子の守にゃ
泣くといわれてにくまれる
〔 わたしは泣く子の子守りはしたくない。あやし方が下手だと叱られる。〕



「 子守りをする子どもたち 」

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画像 … 「 日本古写真グローバルデータベース 」より


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