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子ども服会社の営業職から、英語教諭にキャリアチェンジ。教育実習での日々が気づかせてくれた自分の天職

現在、横浜創英中学・高等学校で英語科教諭として働く若尾希美さん。教員歴約20年になる若尾さんは、以前は新卒で就職した子ども服会社で営業職として働いていた。

しかし、大学生の頃に参加した教育実習で夢中になって子どもたちと向き合った日々が忘れられず、退職。通信講座で英語科の教員免許を取得し、教員としてのキャリアをスタートさせた。

教員という仕事は奥深く、難しく、そして楽しく、本当に飽きることがないと語る若尾さん。民間企業から教育現場に転職した若尾さんのキャリアの軌跡と、教員という職業への想いを聞いた。

「何かに夢中になれる自分」と出会った大学4年次の教育実習

——まず初めに、若尾さんのこれまでの歩みについて簡単にお聞かせいただけますか?

私は大学を卒業後、民間の子ども服会社で営業として働いたのち、ご縁があって社会人3年目のときに横浜創英中学・高等学校で教員としてのキャリアを歩みはじめました。

英語科教諭として高校と中学のどちらも経験し、現在は中学3年生の担任と学年副主任を担当しています。教員になってから、気づけば今年で19年目となりました。

——民間企業から教職の世界に飛び込むことは、大きな決断だったと思います。そもそも学校の先生という職業に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか?

一つは、大学4年次に参加した教育実習での経験が強烈だったことです。実習中は自分の知識のなさを痛感して落ち込むし、 思い通りの授業はできないしで、結構大変な日々だったのですが、自分の中で「もっといい授業がしたい」とか「もっと生徒たちと関係を深めたい」という気持ちが常にあったんです。大変なんだけど、“もっともっと”と思う気持ちが強くて。

いい授業がしたい、そのためにこう工夫したら、もっと分かりやすく、おもしろくできるんじゃないか、などと模索していたら、いつの間にか夜が明けちゃうような。「自分は、こんなに何かに夢中になれるんだ」と驚きを覚えた3週間でしたね。

そういう感覚を持ったのが初めてで、やっていて苦じゃないってこういうことなのかな、私はもしかしたら教員に向いているのかな、と感じました。

とはいえ、当時すでに民間企業から内定をいただいていたこと、また、ドイツ語の教員免許しかなかったこともあって、大学卒業後すぐに教員になるという選択肢はありませんでした。そのまま内定をいただいていた子ども服会社に営業職として就職しましたが、社会人になった後もあの教育実習での経験はずっと心に残っていたんです。

——ずっと心の中に教職の道が引っかかっていたのですね。ちなみに、子ども服会社に応募したのはどんな理由からだったのですか?

「子どもたちに夢を与える仕事がしたい」という想いをずっと抱えていたんですね。私は小さい頃から絵本が大好きで、本の世界からいろいろな考えを学び、想像力を広げ、夢を描いてきました。だから今度は、「自分が作り手として子どもに夢を与えたい」という願いを持って就職活動をしていました。

残念ながら出版業界とはご縁がありませんでしたが、ある子ども服会社さんからチャンスをいただいたので、そちらで働くことを決めたという経緯です。

自らの転職経験が、生徒たちの糧になる

——子ども服会社での営業職のお仕事はいかがでしたか?

私の主な業務としては、MD(マーチャンダイザー)さんやデザイナーさんと共同で衣類を開発することや、作った商品を量販店に置いてもらえるように売り込みをしに行くことだったのですが、とても大変でした(笑)。

一緒に企画して作り上げた衣服が売れたときはもちろんうれしかったのですが、体力的にも精神的にも非常にハードな毎日でした。販売先からは「納期をもっと急いでくれ」とプレッシャーをかけられるし、メーカー側に「もう少し早く納品できませんか」と相談すると「そんなの無理に決まってるだろう!」と怒られる。完全に板挟み状態で...。

自分で何か手を動かせたらいいのだけれど、できることといえば多方面に頭を下げてお願いすることくらい。そんなもどかしさや、ミスをしたわけではないのに怒られる理不尽さから、成果を得たときでさえ、私にはちょっと虚しさが残りました。

——苦労された様子が伝わってきます。そんな日々の中で、次第にキャリアチェンジを考え始めたのでしょうか?

入社1年目は教育係の先輩がついてくれていたのですが、その方が非常に楽しそうに仕事をされていたんですね。

商品が売れたとき、「この瞬間があるから自分は頑張れているんだよ!」と嬉々として語る姿を見て、同じように達成感ややりがいを感じられない自分に気付きました。同じ想いを共有できないことにも申し訳なさを感じました。その頃から、「私はこの仕事じゃないのかな」という気持ちが膨らんでいきましたね。

当時は、自分のことが嫌で嫌で仕方がありませんでした。自分はもっと前向きに働けると思っていたし、困難な状況でもめげずに頑張れる人間だと思っていたのに、今いる会社ではこんなに役に立たない。上司や同僚含め人には恵まれていましたが、仕事内容は辛く不満ばかりで、これからもずっとこうして生きていかなきゃならないのか...。そう思うと、自分に失望したというか。

常にネガティブな感情を抱えながら働く自分と、教育実習のときに生き生きと夢中で取り組んでいた自分とを比べたときに、教員として歩む道に賭けてみたいという気持ちが増していきました。

その後、退職を決意し、通信制大学で英語教諭の免許を取得したのち、募集がかかっていた横浜創英中学・高等学校に採用していただきました。

教員の仕事を心から楽しんでいる若尾さん

——印象的だった教育実習が、このタイミングでキャリアチェンジの転機になったのですね。実際に教員になってみて、思い描いていた仕事とのギャップを感じることはありましたか?

それが、本当にないんですよね。もちろん最初の数年は慣れないことも多く、仕事が忙しかったり、うまく関係を築けない生徒がいたりと大変なことはありましたが、営業職をしていた頃と比べたら、そんな苦労はとても些細なことと思えました。

職場での不満は、皆さん誰もが持っているじゃないですか。もっと休みがほしいとか、お給料をアップしてほしいとか。でも、私は前職での苦しかった経験を思えば、今の職場環境はとても恵まれていると実感できます。自分が今前向きに仕事ができているのは、前職の経験があったからこそとも言えるかな。

——心持ち次第で、ギャップも楽しめるということなのかなと、今のお話を聞いて感じました。

少し自己中心的に聞こえてしまうかもしれませんが、教員になってから、仕事は「誰かを幸せにするためにやっている」というよりかは、「これをすることで自分自身が幸せになるからやっている」というマインドが常にあります。

よくメディアなどで「親が毎日笑顔だと、子どもも幸せになる」といった報道を耳にしますが、教員と生徒の関係も同じだと思うんです。教員が幸せそうに働いていたら、子どもにもきっと良い影響を与えられると信じています。

もちろん人から感謝されるとすごくうれしくて、それがやりがいにつながっているという面もありますが、大前提、それは「自分がやりたくてやっている」からであって、かつて会社で働いていた頃のような「こんなにやっているのに」という、見返りを求めてしまう感覚はないですね。また、そう思える自分にも安心しています。

子どもたちに、届けたい言葉を届けられるように

——若尾さんは、異業種からの転職という形で教員になられましたが、前職での経験が今に生きていると感じることはありますか?

例えば、キャリア教育の授業や生徒から進路相談を受ける際に、「自分に合った生き方を見つけることは、とても大切なことなんだよ」と実感を持って伝えられます。

生徒からよく「若尾先生っていつもポジティブで、何でも前向きに取り組んでいるよね!」と言われるのですが、それは前職での葛藤があって今の仕事に出会えたからなんだよ、と話しています。昔は自分に自信がなかったけれど、今は自分を愛せるようになったよ。同じ人間なのに、仕事によってこんなにも捉え方が変わることがあるから、幸せに生きられるよう、自分に合った道を見つけられるといいね、と。

「こんなことをやってみたいけど、無理かも」と一歩を踏み出せずにいる生徒に対しても、「諦めないでやってごらん」「無理そうだと思っていても、案外無理じゃないことってたくさんあるよ」と伝えるように意識しています。とにかく生徒たちには無限の可能性が広がっているので、大人の物差しで無理だと判断せずに、背中を押してあげることで「やってみようかな」と前向きな気持ちになってほしいです。

あるとき、卒業生に「やってごらんって先生に言ってもらえたから、挑戦できて今があります」と言われたことがありました。すごくうれしかったし、生徒たち一人ひとりの可能性を信じることの重要性を感じました。

——先生の体験談は、生徒たちにとってとても説得力があるでしょうね。若尾さんにとって、教職の魅力とは何でしょうか?

諦めずに、自分が誠意を持って子どもたちに関わり続ければ、必ず届く(と信じられる)ことです。これまでの経験を通じて、「心を込めて伝えた想いは絶対に無にはならない」と確信しています。

今担当している中学生は、自立と依存の狭間にいて葛藤する時期なので、それぞれ悩みもあるし、苦しい時間を過ごしている子も多いんですよね。でも彼らは、ほんの些細な声掛けやきっかけで変わる可能性を秘めているんです。そこに関われることは、責任重大ではありますが、大きなやりがいだと感じています。

そして何より、仕事をしていて大笑いできること。これは、もしかしたら教職ならではの特権ではないかと思います。子どもたちと一緒にくだらない話や冗談を言って笑ったり、職場の仲間と職員室で「今日こんなことがあったんですよ」と共有し合って皆で笑顔になれたり、そんな瞬間がとても幸せです。家庭でも職場でも、変わらないぐらい日々心から笑えることに感謝しながら過ごしています。

——最後に、これからの抱負についてお聞かせください。

冒頭でも触れましたが、私は昔から「子どもに夢を与える仕事がしたい」という願いを一貫して持っています。

もともと進みたかった出版業界、新卒で働き始めた子ども服会社、そして今の教職。子どもとの関わりが間接的か直接的かという点での違いはありますが、その核は変わっていません。

そして子どもたちに夢を与えるためには、「伝える力」がすごく大事になってくると感じていて。想いがあっても、自分が選ぶ言葉によって、相手に届くか届かないかが大きく変わってくると思うんです。

例えば、幼少期の私に影響を与えてくれた絵本。絵本は短い言葉と挿絵で子どもの心に鮮烈な印象を与えることができます。私はそこにとても魅力を感じるというか。考えてみると、「言葉で伝える」という意味では教員の仕事も同じなんですよね。これからはより、子どもたちに伝えたい想いを届けられるよう、そして夢を与えられるよう、自らの言語能力をもっともっと磨いていきたいなと思っています。

取材・文: 森山 光太| 写真:ご本人提供、Adobestock、Canva、