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システムエンジニア→教員→組織変革コンサルタント。異色のキャリアから行き着いた、自分なりの教育への関わり方

現在、”トランジションデザイナー”というユニークな肩書きで、企業の組織変革を支援するコンサルタントとして大人たちに伴走する峰岸 巧さん。

峰岸さんには、過去に教員として学校現場で子どもたちに伴走していた時期がある。システムエンジニアとしてキャリアをスタートし、その後、教育に携わりたくなって教員に転職した経歴を持つ峰岸さんは、なぜ再び民間企業に戻ったのか。

その多彩な経験から見えてきたことは、子どもたちの成長を支える上で、周りにいる大人の影響力が非常に大きいということだったと語る。

教育現場と民間企業、双方の経験を融合させ、新たな視点で子どもたちの成長に貢献する道を歩む峰岸さんのキャリアに迫る。

社員教育の中で見つけた、子どもたちに教えたいこと

——峰岸さんは現在”トランジションデザイナー”としてご活躍されていますが、まずは現在のお仕事について簡単におうかがいできますか?

トランジションデザイナー、聞き慣れない肩書きですよね。いわゆる組織変革のコンサルタントとして、企業組織が変わっていくための支援をさせていただいています。

例えば、企業組織の中でコミュニケーションが円滑に取れていないとか、メンバーの仕事量に大きな偏りが生じているとか、そうした「やりにくい」と感じられている状況を変えていくような仕事です。

ただ解決策を提案するだけではなく、最初のうちはその企業様の打ち合わせのファシリテーションをしたり、定期的に中に入って声を掛けたりしながらサポートさせていただいています。

——いろいろな経験が生きそうなお仕事ですね。峰岸さんは、ファーストキャリアでは民間企業を選び、その後は教員に転職し、再び民間企業へ戻って今のお仕事に就いているとのこと。間に教育分野への転職を挟んだ経緯に興味があります。

もともと、大学で数学の教員免許を取っていたので、教育には関心がありました。でも、最初のキャリアですぐに教員になろうとは思っていなかったんですよね。もし教育現場に行くなら、一度社会に出て、社会でどんな力が必要とされるのかを知ってから行きたいなと思って。

進学した大学院では管理工学科でソフトウェア工学の研究をしていたので、新卒採用ではIT企業に就職しました。

——教育とは全く違う業界ですね。どんなタイミングで教員に転職したのですか?

システムエンジニアとして働いていたのですが、30歳の頃、海外赴任の話が出ました。コンピュータなどの機材を海外の拠点に移して、現地のスタッフと一緒に保守・運営していくような管理的な役割だったのですが、実はあまりこの異動の話に乗り気ではなくて...。もともとはシステム開発がしたくてその会社に入ったので、希望とは少しズレがあり、どうしようかすごく悩みました。

ちょうどその頃、メディアで子育てや教育の話題を頻繁に見聞きするようになりました。私自身、教育に関心があったからアンテナが張られていたのかもしれませんが。そんな話題に触れながら、ふと思ったんです。

私がいた会社は、社員教育にも力を入れていて、プロジェクトマネジメントやファシリテーションを学ぶ機会がありました。プロジェクトマネジメントは、一つのプロジェクトを皆で成功に導くために、何が必要か考え、計画し、それを管理していくことです。

例えば、運動会や文化祭などの学校行事も一つのプロジェクトだと考えると、こうしたノウハウは子どものうちから知っていた方がいいんじゃないかと。今だったらそういうことを子どもたちに伝えられるかもしれない...。そう考えるともう迷いは消えました。

海外赴任ではなく教員へのキャリアチェンジの道を選び、開智中学・高等学校という私立の中高一貫校で数学の教員になりました。

企業と学校、働き方の一番の違いは時間の使い方

——念願の教員デビューだったと思いますが、企業から転職して感じたギャップはありましたか?

そうですね、一番のギャップは、企業に比べて学校では時間の塊がすごく細かいということでした。

企業における働き方は、今から1時間はこれをする、ここから2時間はこれをするなど、ある程度自分の中で時間の塊を作って仕事をしていくようなところがあります。それが学校だと、10分休みに丸付けをするといったような、すごく小さい単位で時間をマネジメントする必要があるんですよね。

今思い返すと、授業の開始が1〜2分遅れるなんてこともままあったかもしれません。先生たちのこういう細かく時間を管理する力は、世の中でもっと評価されるべきだよなぁと思いますね。

——確かにそうですね。教員生活の中で、特に印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

教員2年目に初めて中学1年生の担任になったのですが、さじ加減の甘さというか、私の緩さが少しルーズな方に働いてしまって、子どもたちが少し落ち着かない状況になってしまったんです。

次の年、クラス替えはありましたが、私も持ち上がって2年生を担当することになったので、クラス運営の方向性を変えてみました。

スタートのところでピシっと規律を保ちながら、子どもたちに自由な状況をつくるような形にしました。それによって、子どもたちがお互いに仲良くなったり、認め合ったりして、いろいろなことに取り組んでくれるようになったんですよね。学校行事でも、彼らの好きなように幅を持たせられるようになったというか。子どもたちはお互いに仲良く、楽しそうに、生き生きとしていた一方で、勉強のときは切り替えてメリハリよくやっていました。

その様子が、自分にとってうまくいかなかったことを良い形で次に生かせた経験として、すごく印象に残っています。子どもたちは卒業後もたまに集まっていて、私が呼ばれることもあります。

——すごく思い入れのある生徒さんたちなのですね。教員として、前職での経験が生きた場面はありましたか?

中高一貫校での最後の2年間は、校務分掌として生徒会の責任者を担当していました。もともと、子どもたちが主体的に行事を企画していくことに力を入れていた学校だったので、教員への転職を決めたきっかけでもあった「プロジェクトマネジメントの視点を子どもたちに教えたい」という意味では、しっかりアドバイスできたと思います。

「いつまでに何をするかスケジュールをきちんと立てたり、予算を考えたりしないといけないよね」とか「行事を一つのプロジェクトと捉えて成功に導くためにどうしようか」と声を掛けながら、子どもたちと一緒に考えるプロセスを経験できたのはすごく良かったです。

小学生の信頼を得る鍵は、全力の鬼ごっこ!?

——開智学園での教員時代、2016年に開校した開智望小学校に異動する形で小学校の先生も経験されたそうですね。

はい。当時、中高一貫校を受験して入学してくる生徒の中には、自ら望んで入学してくるわけではない子も多いと感じていました。そうした子たちが、中高6年間の学校生活で次第に変化していく過程に関われることは教員の醍醐味ですし、やりがいもありました。

その一方で、中学入学前の初等教育の段階で、子どもたちの可能性をもっと広げられるんじゃないかという思いが次第に大きくなっていったんです。
その中で、たまたま開智学園が小中高一貫の学校を創るという話が持ち上がったので、異動を希望しました。小学校の教員免許は、働きながら大学の通信課程で取得しました。

——中高生と小学生とでは、教員の関わり方や教えることも違いそうですが、そのあたりはどうでしたか?

信頼関係の築き方が、やはり小学生と中高生とでは全然違うなと思いましたね。

私が開智望小学校に異動したのは開校2年目で、3年生の担任になりました。開校初年度は、1年生と2年生の2学年だけでのスタートだったので、当時の3年生は学校の最上級生。そんな児童たちと接する中で、本当に価値観が覆されました。

中高生と比べると、小学生(特に低・中学年)相手だとまだじっくり話をして距離を縮めるという感じではなくて、まずは鬼ごっこからスタートするべし、という感じなんです(笑)。

私は子どもたちから「みね」と呼ばれていたんですけど、休み時間になると「みね、鬼ごっこしよー!」と体育館に連れて行かれて、猛ダッシュする。教室に帰ってきて授業して、また昼休みになったら「みねー」と引っ張り出されて、とにかくひたすら鬼ごっこです。彼らは全力で追いかけてくる大人が大好きなので、極端なことを言ってしまえば、一緒に全力で鬼ごっこをしているだけで信頼してくれるんですね。

そんな風な関わり方で子どもたちと信頼関係を作っていくんですが、次の日になったら子どもが全然言うことを聞かない、なんてこともあります。でもそれは、教員の影響だけではなくて、家で親とけんかしたとか、両親が弟につきっきりで自分に目が向かないとか、いろいろな理由が重なって学校で落ち着かなかったり、クラスの子とけんかしてしまったりすることもある。

そういう子どもたちの様子をよく観察するとか、子どもたちの話をちゃんと聞くという姿勢も大事でした。勉強に向かう土台をしっかり作るためにも必要だったと思います。

子どもたちを支える場は、学校だけじゃない

——現在は学校現場を離れている峰岸さんですが、教育現場で培った経験は、その後のキャリアにどのようにつながっていますか?

開智中学・高等学校から異動した開智望小学校・中等教育学校(小中校一貫校)では、組織を作るという部分での経験をさせてもらいました。新しい学校だったので若い先生もたくさんいて、そういう先生たちをチームとしてどう引き上げていくか。これを考えるのは、それまでのキャリアで役に立つ部分があったと思います。

教員経験全体を通しては、ファシリテーターとしての感覚がどんどん強くなり、その場、その瞬間、その相手が思考するために必要な問いを投げることの重要性をより感じるようになりました。今、組織を変革していく仕事の中でも、そのスキルは活用されていると感じています。

それに、子どもたちと関わる中で実感した「聞く」ことの大切さ。子どもたちって、話を聞いていないことをすごく見抜くんですよね。だから、ちゃんと話を受け止める。今の仕事でも、相手の話をしっかり聞くようにしています。

私と同じように、誰かに伴走支援するような仕事をされている皆さんにも、話をしっかり聞く姿勢を大切にしてほしいと思っています。「自分の話をしっかり受け止めてくれている」ということが伝わると、相手も自己開示してくれるようになってくるので。

——教育に関連して、今後はどのようなことに取り組んでいきたいですか?

初等教育に関わった6年間の中で、子どもの可能性を引き出すためには、保護者や地域の大人など、子どもたちを取り巻く周りの大人の影響が非常に大きいと感じました。

普段は働いている人も、家に帰ったらお父さんお母さんという役割がありますよね。子どもたちの可能性を大切にしたいなら、そういう大人たちに影響を及ぼせばいい。それならフィールドは、学校だけじゃないと今は考えています。

だからまずは、ビジネスの世界で大人に働きかけていく。企業で働く大人でも、子どもの頃から経験や機会を得られていないと、探究的な思考をすることは簡単ではありません。社会で大人に対して必要とされる部分は、学校教育と密接につながっているんです。

現職で支援している組織変革を通して身につけてもらう探究的な思考や関わり方は、家で子どもたちに対しても適用できます。学校での思考の仕方や関わり方と、家での思考の仕方や関わり方が同じになると、子どもたちの探究的な学びは加速していくと思うんです。そういう流れの中で、最終的には子どもたちの成長の後押しにまでつながるといいなと思いながら、今の仕事に携わっています。

——最後に、これから教育の世界に飛び込みたいと考えている方へメッセージをお願いします。

異業種から教育現場に行こうとしている方たちはきっと、子どもたちと関わっていろいろなことをしたいとワクワクしていると思います。そのワクワクした気持ちを大切にしてほしいです。

それから、自分のあり方も大切にしてほしいと思います。自分がイライラしていたり焦っていたりすると、子どもたちは全然落ち着きません。こちらのあり方がすごく伝わるんですよね。

そしてこれは子どもたちにも言い続けてきたことですが、自己探究、自己理解をするためにも、自分の行動や発言、そのとき感じた感情やその理由を振り返ることを大切にできるといいんじゃないかなと思います。振り返る力は成長するために必要だし、いろいろな場面でその人を後押ししてくれる強力な武器になると思うので。

取材・文: 村上 真由子| 写真:ご本人提供