ティーハウス ヒグレ〈3〉
”メルゴの微笑”の消失原因の中心らしいティーハウスヒグレに向かう決意をした私に常連さんはマッチ箱サイズの紙きれを渡してこう言った。
「宙人は観測不可地の狭間で商店を営んでいるものが大半です。私のような星をまわって生業をするものは稀、ネコタさんが昨晩遭遇した場所に行っても店の存在ごと無くなっているでしょう。ネコタさんにはティーハウスヒグレの本拠地に向かっていただきます」
紙切れは列車の切符で、文字のような模様は行き先を記し、左端には調整屋の印が後押しされているらしい。
「駅の改札でこの切符を通せばすぐにアナウンスが流れます。声に従って列車に乗ってください。目的地は終点ですから迷うことはありませんよ」
なんだか、観測不可知なんてところに行くにしては意外と普通……。隣町におつかいを頼まれたような気やすさで少し拍子抜けだ。なんて思っていたら、
「それと切符は肌見離さず持っていてくださいね。道しるべを失くすと戻ってこれなくなりますから」
最後にさらっと怖いことを言ってきた。
「ど、どういうことですか?」
「その切符は、宙人からの招待状でもあるのです。本来ならひとが立ち入れないところですから、招待状がなければ……排除されてしまいます。」
排除というのはつまり……考えたらダメだ。せっかくの決意が崩れる。直にポケットに入れようとした切符を財布に仕舞い直していると常連さんは伝票を手にレジに向かい瞬く間に支払いを済ませてしまった。渡そうとしたレモンジュース代は手で制して受け取らず「では後ほどティーハウスヒグレで会いましょう」と言って駅と反対方向に去っていった。
駅に着いたところで、この切符もどきが改札で本当に使えるのか不安になった。改札機を詰まらせて怒られる未来を覚悟してから改札に切符を通すと想像とは裏腹に、短い電子音を鳴らしゲートは何事もなく開いたのを見て窄めていた肩を緩めて首を回し切符を取り出した。すると聞いていた通り、“まもなく3番線に列車が参ります” とアナウンスが流れた。三番ホームに向かうとすでに列車を待つ人の列が出来ていた。この人たちも同じ列車に乗る……訳じゃないよね。私はアナウンスが流れるまでホームの壁際で待つことにして、端末を取り出し【メルゴの微笑】をもう一度調べてみたものの、収穫はなし。ため息をついてあたりを見渡す。列の先頭に立って疲れた目で線路を眺めるサラリーマンや端末を見る学生、笑い合ってるカップル、いつもと変わらない風景。
今この世界に”メルゴの微笑”を覚えている人はどれぐらいいるんだろう。本当に私だけしか覚えていないんだとしたら、もし取り戻せなかったらどうなるんだろう。ふとそんなことが頭をよぎり体が震えた。私が頭の中で作り出した妄想になってしまうんじゃないか。
”まもなく三番線に列車が参ります……”
ホームにアナウンスが響いた。泥沼のような思考をやめて線路に顔を向け、やがて停車した列車をみて目を見開いた。それは明らかに蒸気機関車だった。もちろん普段使っている車種と全然違うしホームの風景とあまりにもチグハグで、思わず周りを見渡したけど誰一人停車している列車に目もくれず、どころかドアが開いても、端末をいじったり会話をし続け驚いた様子はない。列車がそのものが見えていないみたいだった。
この列車でいいのかな。しまった、常連さんにもっと色々確認しておけばよかった。キョロキョロ周りを見たり切符を凝視してなんとか手がかりを得ようとしてる私は側から見たら挙動不審に見えたことだろう。
“まもなく列車が発車いたします。調整屋印の切符をお持ちのお客様はお急ぎください”
気を使ってくれたのか、私に向けたであろうアナウンスが流れた。その声に急いで列に並ぶ人たちの横を通り抜け列車に乗り込むと、ピイィィィッッと甲高い笛が鳴り響き、ゴトンゴトンと音を立ててゆっくりと動き出した。
☆
星間を渡りながらティーハウスヒグレに依頼をした星の元へ向かっていた“常連”こと調整屋は、今回の被害者ネコタの事を考えていた。
宙人には常人にはない能力がいくつかある。その一つは認識を歪める力で、仕事柄調整屋はこの能力の扱いに長けており、今回のようにひとに対面する場面では相手の懐に素早く入りこみ情報を得るために初めから知り合いだったと錯覚させている。そして調整屋が離れるとその者は彼に関わることを全て忘れてしまうのだ。
現にネコタの職場の先輩であるウエートレスにも夜間によく来る常連さんとして違和感なく認識させていた。が、ネコタは初め強い警戒心を示していたし、喫茶店に入ってからも違和感があるようだった。相手の無意識レベルで錯覚を起こせる調整屋だが、相手の耐性が高く能力が効かないことは稀にある。が、彼女は宙人に耐性があるように感じない。
そしてティーハウスヒグレ。一時的とはいえ星に降り立ち、ひとに接触して【メルゴの微笑】の存在丸ごと収集したというのが疑問だ。収集は星と交渉し得るもので、こんな回りくどいやり方をする必要がない。別の種族が関わっている可能性も考えるが調整屋が事態にあたっている以上、宙人の仕業で間違いないのだ。
(能力の誤作動による混乱が原因かと思っていたが、これは久方ぶりに興味深い事件かも知れんな)
そして調整屋はティーハウスヒグレに依頼したという朱に輝く巨星の前に着くと深々と頭を下げた。
☆
にぎやかな列車の前列の窓際席で私は縮こまっていた。なるべく気配を消していても視線を感じる。列車に乗り込んだ時、車内は確かに私以外誰もいなかったのに、ボックスシートの窓際に腰を下ろした瞬間、何の前触れもなく突然車内が真っ暗になり、悲鳴をあげて逃げ出そうとしたらすぐ目の前が真っ白になるくらいの強い光に包まれて、咄嗟に両手で顔を隠し目を強くつぶり固まっていると小さな話し声が聞こえ、その声が大きくなり同時に騒がしい雰囲気がしてそっと目を開くと、車内にはひとではないナニカがいてまた叫びそうになった。
ナニカというのは、後方席で酒盛りしている大きなハリネズミの団体や、その手前の席で赤や青の石っぽいものを転がして遊んでいる?二人組の黒いもやで、私のいる席から一つ挟んだ前の席には、つば広の麦わら帽子を目深にかぶり大きな荷物に埋もれてるものが座り、最前席では、さっきから私をチラチラ見ながらなにごとか囁いている濃紺のローブを着た真っ白いのっぺらぼう3人組なのもいてめちゃくちゃ怖い。
ただ異人たちは私のいる席周辺には決して近寄らず私の様子をうかがっているようだった。この中では私の方が異人なのかもしれない。窓の外は、トンネルの中のように真っ暗で車内と私の姿が反射している。時々異人を横目で確認しつつ下を向いてじっとしてると、目の前がぼやけてきた。瞬きをして目をこするも霞がかったようでめまいもしてくる。おかしいと思った時には遅く、呼吸は浅くなり座っているのもつらくて滑るようにして座席に倒れた。
気持ち悪くてたまらない、意識の外側で自分の周りに異人が集まる気配を感じながら意識を手放しそうになった時、瞼が冷たくてつるりとしたもので撫でられた。それは何度も瞼を滑り、次にふわふわした布で目を覆われると気持ち悪さが少しずつ弱まってきた。
「ゆっくり深呼吸して、吸ってー……吐いてー……」
いうとおりに深呼吸をすると落ち着いてきた。声の主は私の肩をぽんと軽く叩き「そのままちょっと待ってね」といって離れると、聞き取れない声で誰かと二言三言話してすぐに戻ってきた。
「さあ、お待たせ。気分はどう?」
私の目元に乗せていた布を外し私を支えながら体を起こしてくれたのは40代くらいのおばさんだった。
「だいぶ良くなりました。助けてくれてありがとうございます」
「いいえ、あなたの様子に気付いてあたしに伝えてくれたのはあちらの方だから。」
見ると倒れる前私を見ていたのっぺらぼうが離れたところから手を振っていた。いいひとたっだんだ、疑って申し訳ない。私はお礼を言って頭を下げた。今日は色んな人に助けてもらっている。
「商売道具が役に立ってよかったわ。ひとに使ったことなかったけど、物は試しってね」
「お医者さんじゃないんですか?」
「まさかぁ!あたしは宙人の磨輝屋。」
「磨輝屋……ってなんですか?」
「星をみがいておめかしさせるのよ。生まれたばかりの若い星や最後の瞬間を目一杯輝かせたいっていう星のため出張してるの。
ほら、これは隕石に当たって砕けたところを埋めるクリームで、窒素のパテに仕上げに使う石とやすりは千以上あるわ。あなたに使ったのは一番刺激がない月水晶とロゼポットタオル。また倒れないように月水晶握っててね。気分が落ち着くでしょ?」
「あ、ホントだ。持ってると落ち着く……。でも、どうして私倒れたんだろ」
「わたしたち宙人が無意識に発してる認識妨害があなたに集中したからだと思うわ。ひとをこんなにまじかで見たことないから興味津々でね。でも宙人は他の生命体に知られまいとしてるから、近づくだけでこういったことが起きてしまうの」
磨輝屋さんは申し訳なさそうにそういうけど、彼女や周りの宙人が助けてくれなかったらどうなっていたかわからない。
「ほんとに助かりました。何かお礼を、って言っても何があったかな」
カバンやポケットをごそごそ漁り始めると磨輝屋さんは、いいからいいからと手を振った。
「でも」
「じゃあ宙人専用列車にどうして乗っているのか教えてほしいかな、気になっていたのよ」
そんなことでいいなら、と私はこれまでのことを話した。磨輝屋さんは最初興味深そうに聞いていたのだけどティーハウスヒグレの名前を聞いて表情が変わった。
「……ティーハウスヒグレは、わたしの店の隣にあるお店だから付き合いも長いわ。ご店主は材料収集のために留守にしてて、今は弟子の子が留守番してるはずだけど、でも」
私は続きを待ったが、彼女は考え込むように黙ってしまった。この口ぶりからすると【メルゴの微笑】はその弟子に収集されてしまったのだろうか。
「私、収集されてしまったものをお茶の素材になる前に取り戻したいんです。ちょっとでもいいので知ってることを教えてください」
「あなたの強い気持ちは伝わったわ。でなければこんなところまでやってこないでしょう。ティーハウスヒグレへの最短ルートとおまもりをあげる。」
地図を教えてもらっている間に、列車は終着駅に着いた。続々と宙人が降りて姿が消えていくのを車内の窓から眺めていると、磨輝屋さんは明らかに一人で持てなさそうな大荷物を涼しい顔で抱え、つば広の麦わら帽子を被ると私たちも行きましょうかと言って笑った。
改札口で切符を回収する駅員さんの頭が渦を巻く暗闇でも私はもう怯えたりしなかったけど、切符を渡そうとした時に一瞬固まってから手のひらを突き出されたのは戸惑ってしまった。前を歩いていた磨輝屋さんがそれはそのまま持ってなさいと言うので頷いて仕舞う。色々あって忘れてたけど常連さんにも肌身離さずもってなさいと言われていたんだった。
「迎えに行かないといけない子がいるからここでお別れだけど、またすぐに会えると思うわ。えっと、」
「ネコタです」
「ネコタちゃん、頑張ってね」
「はい、また」
磨輝屋さんを見送り、私は多種のランプで外装された煌びやかな商店街を歩き出した。
続く