ティーハウス ヒグレ〈2〉
職場の喫茶店からの帰り道、別れ際に先輩が言っていたことがずっと気に掛かって頭から離れない。私が舞台【メルゴの微笑】を知ったのは先輩に薦められたことがきっかけだった。けれど先ほどの先輩はまるで初めて聞いたかのような素振りで……。
「なんてね、次に先輩と会う時は昨日買った舞台のパンフレット持っていこっと」
一人暮らしのアパートに帰り着き一息入れようと冷蔵庫から水を取り出して、何気なく部屋の中を見渡すと私は驚いた。
棚に飾っていた【メルゴの微笑】コレクションが全てなくなっていたからだ。今朝出かける直前まで眺めて帰ってきたらまた見ようと立て掛けて置いていた買ったばかりのパンフレットやこれまで集めた舞台ポスターやステッカーなどの小さなグッズ類、原作本など専用棚に飾っていたコレクションが、ものけの殻となっていた。他の棚やクローゼット、果ては靴箱やトイレまで部屋中ひっくり返す勢いで、探し回ったけれど、どこにもない。もしや泥棒が入ったのかと一瞬思ったけど部屋荒らされた様子はないし【メルゴの微笑】関係のものだけがなくなっているのが奇妙だった。
とにかく誰かに相談したくて昨晩盛り上がった【メルゴの微笑】ファンチャットに、いつものように保存済みのブックマークからアクセスする、が、なぜかこのページは存在しませんと表示される。二、三度やり直してみても変わらずコレクションがなくなって気が立っていることもあり舌打ちしながら【メルゴの微笑】と検索する。検索結果0件、ヒットしません───
流石におかしいと思って単語を区切ったり、キーワードを変えたり、普段からよく見ている舞台ファンのブログや舞台評論サイトなど思いつくものをかたっぱしから調べてみたけれど【メルゴの微笑】に関する記事は見つけられない。その時、帰り道で感じていた違和感。そう、先程職場で舞台の感想を先輩に話そうとしたとき、戸惑った表情を思い出した。"【メルゴの微笑】なんて知らない───"
「そうだ!チケットを見れば……っ」
数日前yuuチケットで購入したα劇団の電子チケット、その履歴を確認しようと端末を操作する。
「あった!……え?なにこれ……」
"α劇団 "クジラメリーゴーランド"
○○月○○日(○) 18:00開演"
表示されたのは全く覚えのない演目のチケットだった。α劇団の公式HPでは【メルゴの微笑】公演の練習風景や役者さんの意気込みコメントが載っていたはずの記事が綺麗になくなり、代わりにチケットにあった”クジラメリーゴーランド”という公演に関する記事が載っていた。
まさか、一晩で世界から【メルゴの微笑】とそれに関係するものがなくなってしまったの?そんな想像が浮かんだ途端、私は部屋を飛び出し駅へと向かっていた。行き先は昨日公演があったばかりの劇場、最後の賭けでスタッフさんに話を聞きに行こう。今から行っても閉館時間に余裕で間に合うはずだ。もし、そこでも知らない、と言われたらと思うとおかしくなりそうだけど、このまま家に閉じこもっているよりは良いと思った。
薄暗くなった町は街灯がともり、最寄り駅周辺の飲食店は学生やサラリーマンで賑わい始めている時間帯だ。足早に駅に向かっていると、突然「ネコタさん!」と肩を掴まれた。
「……っ先輩!」
「ちょっと大丈夫?すごい青ざめた顔してるけど」
振り返るとそこいたのは先輩だった。いつもの癖で無意識に職場の前を通っていたらしく、ちょうど店の前にいた先輩に声をかけられたようだった。
「急いでるみたいだったけど顔色が悪かったし、何回声かけても気づかないから心配で。むりやり引き留めてごめんね」
「先輩まだ仕事中なんじゃないんじゃ……どうして外にいるんですか?」
「お客さんにね、もうすぐネコタさんがここを通るはずだから一緒に引き留めてって頼まれて表にいたのよ。そしたら本当にあなたが走ってきたからびっくりしたわよ」
その時タイミングよく喫茶店のドアが開き、出てきた人の方を見て先輩が、ほら、あちらの方よと耳打ちしてきた。
「こんばんは、ネコタさん。すぐにお会いできてよかった」
「えぇっと……?」
丁寧にお辞儀をしたその人は、うっすら見覚えがあるような気がするけど思い出せなくて曖昧な返事をになってしまう。
「ネコタさん、最近早番メインだったから忘れちゃった?こちらの方はマスターの古いお知り合いで、夕方の遅い時間によくいらっしゃる常連さんよ」
そうだったっけ、まだピンときてないけど先輩がそういうならそうなんだろう。私に用があるってことらしいけど、これから劇場に行かなきゃならない。
「すみません、今夜はちょっと用があってまた別の日に……」
「今から行ってもあなたが望む答えは得られないと思いますよ」
「え?」
「大切にされているものがあるか、確かめに行こうとされているのでしょう。しかし、」
「もうこの世界のどこにもそれはありません」
閉店が近づいた喫茶店は、ランプシェードの明かりがアンティーク調の店内を照らし窓際の席から全体を見渡せばちょっとした絵画のような非日常空間を感じる。
「お待たせしました。はい、レモンジュース」
「ありがとうございます、先輩」
目の前に置かれたビタミンカラーを見ると少しだけ気分が上がって、強めの酸味が身体中を駆け回り最後に心のモヤを吹き飛ばしてくれるような爽快な気分になった。この店のレモンジュースはやっぱり美味しい。好物だけど、飲み過ぎると有り難みが無くなる気がして特別な日だけ注文することにしている。舞台のチケットが当たった日や、仕事で大ミスして気持ちを切り替えて頑張りたい時、そして今。
「落ち着かれましたか?」
向かいの席でコーヒーを傾け、常連さんはそう言った。
「はい、お話を聞かせてください」
数分前いとも簡単に、淡々と、あなたの大切なものはもうどこにもないと言い放ったこの人に私は掴みかけた。隣にいた察しのいい先輩に抑えられながらも、お客さんということを忘れて攻めるように叫んだ。
「何か知ってるんですか!?もしかしてあなたの仕業なんですか!」
「落ち着いてネコタさん!どうしたの!?」
困惑している先輩を無視して常連さんを睨みつける。この人はおかしなことばっかりだ。私がこの時間に喫茶店の前を通るなんて私自身わかりようのないことを知っていたし不信感がどんどん大きくなってゆく。
「私が知っているのは、今夜貴方がこの道を通ることと、この星から消えてしまったあなたの大切なものは取り戻せるということだけです。それが私の役割ですから」
「……?どういう……あなたはなんなんですか」
「私は宙人、調整屋を営んでいるものです。ネコタさんは自覚がないでしょうが、宙人と出会っていながら二十四時間経っても忘れずにいる稀有な方です。こうしてここにあなたがいるのが何よりの証拠ですよ」
「はあ……それより‘’取り戻せる‘’って本当ですか?」
「本当ですとも。そのためにもあなたに協力していただきたいのです。なにお手間は取りません。お話する時間をいただけませんか」
私はため息をつくと了承した。常連さんは立ち話もなんですからと喫茶店に向かうので私も後ろからついていく。話の間、黙ってそばにいてくれていた先輩に「大丈夫?」と聞かれたけれど「よくわかってないですけど多分」と引き笑いであいまいに返すことしかできなかった。
常連さんは、運ばれてきたコーヒーを一口啜ると口を開いた。
「まずは、私のことを説明させていただきますね。私は調整屋を生業としている宙人。宙人とは惑星、恒星、連星、生まれたばかりの幼星、死に向かう老星など“星”を相手に生業をするモノの総称です。本来はこちら側と交わることのない様に狭間の空間で商売をしているのですが、稀に繋がってしまう方がいて、良い交流で済めばよいのですが、そうでない方の手助けをさせていただくのが調整屋の役目です」
「えっと、つまりあなたは人間じゃないってことですか」
「左様です。」
「マスターの古い知り合いで常連さんっていうのも嘘?」
「それは半分本当。こんな生業ですから、今世との繋がりも私にとっては大切なんですよ。まあ私のことは常連さんとでも呼んでください。」
はぐらかされたけど、まあいい。問題は大切なものが戻ってくるためにはどうしたらいいのか、だから。
「それで私は何をすればいいんですか?」
「ええ、そうですね、昨晩あったことを教えていただけますか?どこで何をしたのか、なるべく詳細にお願いします」
私は【メルゴの微笑】の観劇に行ったこと、その後近くの商店街に行きその一角の店で不思議な体験をしたことをぽつぽつと話した。常連さんは黙ってうなずきながら聞いていたけど、店名の一部が“ヒグレ”と読み取れたことと、店の奥から声が聞こえてきて導かれるようにふらふらと近づいていったと説明したときの険しい顔は正直怖かった。
「ありがとうございます。……間違いないですね。宙人が経営している店です」
「あの店が何か関わっているんですか?」
「左様です。その店はティーハウスヒグレと言って星の記憶を転華しお茶にして振舞う老星に大変人気の茶屋ですね。今までこちら側に影響を及ぼしたことはなかったのですが何があったのか……しかもお話を聞く限りネコタさんは影響を受けていませんね」
「は?どういうことですか、受けていますよ!だって現に【メルゴの微笑】は無くなってるし、集めていたグッズとか全部なくなってるし!」
「ティーハウスヒグレから影響を受けるとすればそれは記憶です。おそらく店主は素材として【メルゴの微笑】を収集したのでしょう。その日は近くの劇場で公演があったとおっしゃっていましたね、であれば劇団関係者や観覧していたお客を含め、かなりの人数の記憶から素材を集めたのでしょう。そうして、世界から【メルゴの微笑】は消失してしまった。ネコタさんは呼びかけの途中で正気に戻り事なきを得たのではないでしょうか」
「私以外にも……」
規模が大きすぎてめまいがする、たった一晩でそんなことができるなんて確かに人間じゃない。そもそもなんで【メルゴの微笑】なんだろう
「それは依頼主のご希望なんでしょう、とはいえこちら側の影響が大きすぎます。ネコタさんもう少しご協力いただけませんか?貴方は、宙人が人に対して発している認識操作の耐性が強いようです。件のティーハウスヒグレに行っていただきたい」
「私が?行ってどうするんですか」
「説得……いえ、話を聞きに行ってください」
私は思いっきり顔をひきつらせた。さっきまでのできることならなんでもしようと思っていた気持ちが陰ってゆく。耐性があるかなんて私にはわからないし、偶然だった可能性の方が高い。記憶を操作できるひと(?)に会いに行くなんて前回は運よく逃げられたけど相手のホームに自ら行くなんて自殺行為だ。
「お願いします。私はこれからティーハウスヒグレへ依頼した星に会いに行かねばならないので、ネコタさんが頼りなのです。もちろん報酬もお支払いいたします」
そんなこと言われても、常連さんの強い視線から逃げるようにきょろきょろと目をさまよっているとカウンターでグラスを吹いていた先輩と目が合った。先輩は軽く手を振ってまた大丈夫?と口パクで心配してくれている。
思えば、先輩に【メルゴの微笑】を教えてもらうまで特に大切なものもなく空虚な毎日を過ごしていた気がする。もうどうだったかなんて覚えてないくらい私の世界は色づいた。ここで断れば、いつか忘れてしまうのかな。いつかできる別の大切な存在や、日々の生活に飲み込まれて、見えなくなるくらい流されて、ある日ふと思い出して今日の選択をやっぱり間違えてたって、暴れまわりたくなったりするのだろうか。
半分以上残っていたレモンジュースを一気に飲む。強い酸味が急に喉を通ったから体が拒否反応を起こしてえずき、涙も出でくる。なんとか飲み切ってすぐお冷をあおる。
「大丈夫ですか?」
自分なりに気合を入れたつもりだけど、常連さんが困惑しているのを見てやっぱりアホなことしたなと笑えてきて一人で肩を震わせながらうなずく。誰に頼まれたでもなく勝手にやっておきながら、もう二度とこんな飲み方はしないと誓った。それでも落ち着くと頭の中がひんやりとすっきりしているのが心地いい。
「ティーハウスヒグレに行って【メルゴの微笑】を取り戻してきますね」
さらっとそんなことが口走れるくらいには、爽快な気分だった。
続く
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