川柳諸島がらぱごす、2022年春号です!
大変お待たせいたしました、川柳どうぶつえんあらため川柳諸島がらぱごす、2022年春号のお届けです。春と言ったら春です。
ダウンロードいただけるpdfデータと、テキストでも公開します。こちらのページでは、三人分の川柳各一〇句と、それぞれから一句選んでの評がついています。おしゃべりパートは続けて別ページにて公開します!
それでは、お時間お気持ちよろしければ、ご覧ください……。
banquet whole 城崎ララ
沈黙は金のエンゼルの耳うち
お互いの春の残高を見せあう
千針の谷に毛布の寄付募る
可視化光線×おばけのお辞儀
Shall we 山笑わせ、新王者さん?
オムハヤシ的な営巣を模索す
笑い方(クラムボンの栞)辞典
珈琲 根性論のコッタボス
とまりますボタンの舌の光苔
山颪〜笑い疲れた吐息の仕草〜
一句評
笑い方(クラムボンの栞)辞典/城崎ララ
一句評の頭で言うのもなんですけど、連作タイトル、いいですよね……。banquet hall=宴会場から音を借りて、すべてを宴会=banquet wholeしちゃってます。春そのもの!
さて掲句です。笑い、クラムボンと来てさっそくかぷかぷ、かぷかぷ聞こえてくるのですが、よく見ると「辞典」。しかも( )部分を抜くと「笑い方辞典」なる、耳慣れない本になります。笑い方に辞典。たしかに小説や詩、マンガから抜き出せば、辞典になるくらいのバリエーションはあるのでしょうが、自分の裁量で決められるはずの笑い方に、辞典が編纂されているというその事実が、せつないです。つい、自分の笑い方を振り返ってしまう。ちゃんと笑えてるかな、合わない笑い方してないかな。やっぱり今や笑うのも、自分の気持ちだけですることじゃないのかも知れませんね。ひょっとしたらこの辞典、みんなの本棚に一冊ずつ、こっそり並んでいるのかも。
そんなせつなさをゆるめてくれるのが、「クラムボンの栞」。 ほら、ずっと聞こえてましたよね、かぷかぷ、かぷかぷ。笑い声以前の音の中から、こわれそうにはかない楽しさが聞こえます。これも実は、楽しいばかりでもないかも知れないけれど、意味を持たない音だからこそ、救いになることがある。そんな奇跡が持続するはじめの一瞬、はじめのかぷかぷをつかまえた一句です。こまったら、かぷかぷ笑おうっと。 (西脇)
Haru No U-rei 西脇祥貴
二足歩行はあだな取り決め
ものぐさな合体ロボの春である
譜に起こす垂れ目の猫は垂れ目のまま
Always be my I, yet you read the B.C. Peanuts on your さかな
矮小化ドラゴン「おしりあたためますか」
地毛である。閑話休題、ペルセウス。
オールマイラヴィング 角砂糖なら八つ分
三角コーナー(きみらの花だうけなさい)
きりんさんおそらのパパはママですか
空の青だけで五劫とんでますんで
一句評
譜に起こす垂れ目の猫は垂れ目のまま/西脇祥貴
猫の目を音符で表すとしたら、どんな音楽になるでしょうか。
アリスのチェシャ猫は「猫のない笑い」でしたが、この句は「猫のないまなざし」で書かれた楽譜を想像させます。異なる色合いの目が多彩な音色となり、きょろきょろする動きでリズムを刻むかもしれません。獲物を狙うときの張り詰めた目つきだったら金属的な音がしそうだし、垂れ目ならピアノのペダルで伸びる音がとろとろと垂れてきそう。
面白いのは垂れ目の「まま」という記述です。本来は譜に起こす際に、垂れ目の猫は垂れ目でなくなるらしい……。理由はわかりませんが(切れが悪くなるから?)、垂れ目をいじらずにあえてそのままにしておく、逆張りを選んでいる。「垂れ目のまま」が字余りなところにも、余分を拭き取らずに残そうとする主体の意思の固さが感じられます。
画像検索してみると、垂れ目の猫はなんとも言えず不条理そうな表情に見えます。ただそれはあくまで人間の認知バイアスに基づく印象で、彼らの感情を汲むにはこちらの先入観を改めたほうがいいのでしょう。垂れ目の猫は垂れ目のまま、あるがままを表現するにはまず原形を受け止めること。川柳は自由だと謳われるなかで、どのような自由を目指していくのか……。一見すると柔和な雰囲気ですが、その実ひとつの信念を立脚点として表現の倫理を表明する、したたかさを宿した句だと思います。(彗星)
Power Reducer 嘔吐彗星
関係ないとこでなだらかになる崖
真剣とダメージジーンズ縮こまる
エレキギター(解脱してから弦がない)
吹けば飛ぶ国技のような綿毛
地球平面説×人間球体説
避寒地へ消息筋を縒り戻す
手ぐすねをひかれあったがmoonの月
御神輿 de だ・である調 de アール・デコ
パンでナイフを切ってください
揮発する金箔を呼吸する阿吽
一句評
手ぐすねをひかれあったがmoonの月/嘔吐彗星
手ぐすねをひいて〜といえば準備して待ち構えるの意味ですが、「ひかれあった」とあるのがまず魅力的でした。惹かれあったと読みにいきたくなってしまう。互いに準備して待ち構えていたらうっかり惹かれあってしまった、と読みにかかると、続いて「ひかれあったがmoonの月」。moonの月?!?曲がり角でぶつかるような、もう眩暈のような衝撃。くらくらです。
さて、moonの月とは……! moonは月ですから、月の月……せっかく「moonの月」と記されているので、後ろの月をmonthと取ってみるのも面白いかもしれません。強引に持っていってしまえば、moonのmonthで月月間。互いに待ち構えていたらうっかり惹かれあったような、そんな月同士の月間?架空の神話や暦でも打ち立ててしまったような気分で……いやいや少し作り過ぎた読みでしょうか。ここはむしろ素直に「moonの月」をmoonと表記する月、という説明文の意で取りましょうか。half moonでもfull moonでもなく、moonの月である。満月でも三日月でもない、ただ月と言われた時に私たちが想像しうる月とは果たして。思い浮かべた月はどんな形をしていましたか。
それで、改めて「手ぐすねをひかれあったがmoonの月」。互いに準備して待ち構えていたら、見えたのは形容できない月であった。と読めば天体観測。「ひかれあった」のですから、観測の用意をしていたのは地球から月を待つ私たちだけでなく、月のほうだってそう。しかし現れた月がなんとも呼び難い月なので、もうこれはmoonと呼ぶしかないよ。そんな夜、月の方でもそう?moonとしか呼べないなんて仕方ないねって笑ってくれているかも知れません。月だって太陽の反射と地球射によって光っているのだから、自分の姿を知らないかも知れないし。そんな答え合わせみたいに笑う晩のこと。今夜の月はmoonの月だったな、とどうぞ貴方も笑って帰ってくださいね。
勿論、音に流されるまま、moonの月を運の尽きと読むのも楽しいはずです。音から読みに行けば、手ぐすねをひかれあったが運の尽き、なんてもう相討ちになるしかないような似たもの同士、お似合いの結末が待ち構えていそうな句。喧嘩両成敗だとか、ここであったが百年目みたいな気配も感じました。展開次第でいろんな着地の可能性がある、万華鏡のような嘔吐彗星さんの句です。対談でも彗星さんの句の読みについてお喋りしていますが、そちらと合わせて何度でも読んでいただきたい句です。(城崎)
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