見出し画像

川柳諸島がらぱごすプレゼンツ『百句目句会』、結果発表&合評会!!!!!

大変、たいへんながらく、お待たせしました……。
!!!!! じゃねえよ、とお思いの方もみえるだろうほどの時間を経て、いよいよ、川柳諸島がらぱごすプレゼンツ『百句目句会』、結果発表です!

お待たせしたので、もうすぐ結果発表しちゃいますね。
川柳諸島がらぱごすプレゼンツ『百句目句会』、栄えある最優秀句に選ばれたのは……こちら!!!

晩年の粗茶は身のこなしが違う/雨月茄子春

おめでとうございまーーーーーーーーーーす!!!!!
雨月さんには賞品として、『川柳スパイラル』18号を送ります! 送りますからねー!!!  

それでは以下、この句が選ばれるまでの、合評会のもようをお届けします。
時間をかけた分、三人三様の選・読み、かなり濃密です。お時間体調よろしいときにどうぞ……。




選の発表&◎句評


西脇祥貴(以下、西脇)
 お待たせしてます、川柳諸島がらぱごすプレゼンツ『百句目句会』の合評会、はじめまーす!!!
城崎ララ(以下、城崎) やった〜!! よろしくお願いします!
西脇 なによりまずは謝辞を。8月14日に投句募集のnoteを上げてから募集締め切りの31日までに*1、なんと、25人もの方からご投句いただきました……。「がらぱごすと橋爪さんが先にやった九十九句摘みに、百句目をつけてください」という無茶な題だったにもかかわらず、たくさんのご投句、ありがとうございました!!!!!
橋爪志保(以下、橋爪) みなさまご投句ありがとうございました!!!
城崎 ふわーい! みなさまご投句ありがとうございました。こうして集まった句を拝見すると嬉しいですね……!
 ところで選、どのようにしましょう? 先に選を全部提示したほうがいいでしょうか? それとも一推しから選・評ともに出していく感じ?
西脇 じつはすでに三人それぞれが、激推し◎=1、推し〇=4の計5句を選んでいます。なのでとりあえず選を全部出して、推し度の高いものから見ていこうかと……どこかで見たような方法ですね……。
橋爪 ふむふむなるほど!
城崎 それでは選から出していきましょうか。どどん!
 
〈城崎選〉
遺伝子のバネでそろそろいってきます
かみさまの手に肉球がついている
晩年の粗茶は身のこなしが違う
太陽にかざせ僕らの島となれ
◯改札を抜けて生命線に乗る
 
西脇 おおお……。それでは西脇も、どん!
 
〈西脇選〉
◎来世まで伸びる茶トラとソクラテス
ラ・ニーニャの泣かない三つ編みですよ
ありふれたちいかわとなる生命
太陽にかざせ僕らの島となれ
改札を抜けて生命線に乗る
 
橋爪 ではでは、橋爪も。どん!
 
〈橋爪選〉
伸びてくる阿弥陀籤の白髪
晩年の粗茶は身のこなしが違う
かみさまの手に肉球がついている
寿命弄ぶカーテンコール
改札を抜けて生命線に乗る
 
 おや? けっこう○の句が被りましたね。◎は被りなしだ!
城崎 おお〜! たしかに◎は被ってないのに◯はけっこう被ってますね。しかも、お互いに◎の句は◯で採っていないという……ほう……。
橋爪 興味深い選になりましたね。これは合評会、大荒れの予感! ウフフ!
西脇 なんかでも、悩んでた句がだいたい出てきてくれててうれしいです。できるだけ投句が公になってほしいですし……そして荒れればあれるほどおもしろくなりますから、こういうの……。
 選の多いので行くと「改札を抜けて生命線に乗る」ですが、せっかく◎が三人ばらばらなので、まずは各々の激推しアピールから行きましょうか?
城崎 本丸から攻めるタイプだ……◎ですね。オッケーです、やっていきましょう!
 城崎の◎は「遺伝子のバネでそろそろいってきます」です。それではイチ推し文をどうぞ。どどん!
 
遺伝子のバネでそろそろいってきます
 百句目で終わるんじゃなくて弾んでくれた句。じつは◎句は一目見て決めてしまいました。九十九句目の付録から摘んでバネが出てきたととってもいいし、なにより「そろそろいってきます」がいい。
 百句目、終わりの句なのだから、どっしり構えて落ちになるような句でもいいし、整っている句でもいいのに、ここからどこかへ跳んでいくような句がやってきたことが予想外で、それでいて、楽しみ倒した九十九句のいちご摘みの結びにはこれ以上ないくらいぴったりきました。
 だいたい、「遺伝子のバネ」ってその強靭さがすでにがらぱごすっぽい。多様性と独自性ですくすくしていってほしいし、らせん構造はホッパーとしてもすごく跳べそう。「そろそろ」も推しポイントです。百句さえ腰掛けにして、もっともっとと欲張っていきたい。飛躍の句だと思います!

橋爪 ではでは、わたしのイチオシも、どん!!
 
伸びてくる阿弥陀籤の白髪
 99句目の「伸びてくる」を摘んだ句ですね。全体の雰囲気から摘んだ句もたくさんあってそれらもとてもよかったのですが、シンプルに前の句から摘んできて、それでいい句ができてるのは素敵です。それに何より、わたしたちがいちごつみを始める前におこなった順番決めの「阿弥陀籤」が句の中に読み込まれていて、この円環状の構造にオオ!と思いました。いちごつみが「終わり」なのではなく、ぐーるぐーると無限に続きそうな……。
 「阿弥陀籤」は書かれることによってたしかに線が「伸びる」。けれど、「伸びてくる」と書くと、能動的に、動的に描写することができます。「白髪」と「阿弥陀籤」、両方の漢字が結構画数多いややこしいものであることから、ちょっとわさわさした不穏な感じも演出されますよね。わたしはなぜか、芥川の『羅生門』の老婆を思い起こしたのですが、これは「あみだくじ」の表記では成せなかったことです。「白髪」単体では何も感じなかったのに、「阿弥陀籤」と重ねることで、頭に生えてる状態ではなく、毛そのもののみが取り出される点も、おもしろいと思います。
 こんなふうに、言いたいことが多くなる句は基本いい句だなって思ってます。100句目ということで、がらぱごす特有のからっとした明るさを考慮したりとか、ふつうだとすると思うのですが、そんなのをガン無視して、おどろおどろしい感じで締めようとしている気概も感じました。
 
西脇 それでは西脇のも、どーん!!!
 
来世まで伸びる茶トラとソクラテス
 ソクラテス=対話篇。二人を前提にした記録だけが残った哲人。が、ここでは茶トラ(来世まで伸びる!)の猫とふたり。延々終わらない哲学対話が続きそう。それはすれ違うようで、どこかでつながってもいるようで、というその距離感がまさにこの九十九句摘みのそれをまとめてくれています。と同時に、句の空気感がこれまでの九十九句に合っていて、茶トラ=無邪気・無軌道、ソクラテス=哲学・思考のシンボルと見ると、九十九句のポイントを押さえてくれてもいるようです。
 並んでどこまでも歩いていくソクラテスと、どこまでも伸びる茶トラ、ふたりの後ろすがた。茶トラの色からなのか、自動的に行く手が明るく感じるのも魅力です。どこまでもどこまでも歩いていくのを見送る、となると、終わりがないようにも見えてくる。哲学対話は終わるもんじゃないですしね。そしてさんざ哲学対話、と言っておきながら、耳そばだててみるとじつはわりと他愛もないこと話してそうで(例:「日光が温かいのはなぜだろう」「ニャー」「それは生物そのものの原子的なありように由来するのかな」「ニャンワ」)、その内容のほほ笑ましさ+混沌(こんとん!)ぶりと九十九句の親和性が高いので、九十九句を自然に、終わらない会話へと接続してくれそうなのがうれしかったです。
 
 ……というわけで、さすが各激推し。読んでるとどれも納得しちゃいますね……。

遺伝子のバネでそろそろいってきます


西脇 じゃあ出た順で、まずは城崎さんの激推し「遺伝子のバネでそろそろいってきます」から話していってみましょうか。これじつは西脇も、5句にしぼるひとつ手前まで残してました。「終わるんじゃなくて弾んでくれた」というのがまさにぼくの激推し句の推し理由と近いですし、とってもわかりました。
 終わるんじゃなくて続けようとしてくれる句、というのが投句の中にいくつかあって、そのうちの一つなのは間違いない。前の句の生命線→遺伝子、しかも形をとってバネ、というのは、ああ~! と思いました。が、読み取る楽しみの多い句が他にあったのと、強みである軽さをどうとらえるか――九十九句と近すぎないか?――というので、最後の最後に外してしまいました。橋爪さんはどうですか?
橋爪 そうですね。生命線から遺伝子へと意味が繋がり、遺伝子の二重螺旋みたいなぐるぐるがバネっぽいっていう形の話になり、バネの動力を活かしていってきますが導かれる。ぽんぽんぽん、と順接的に意味が展開されていくんですね。
 その順接の感じ、明るい意味内容と合っているところはとてもいいとおもったのですが、ちょっと構造としてはまぶしすぎ&シンプルかなあ、という印象でした。
 「そろそろ」がシンプルさを回避するための影の役割を果たしているという反論もできそうですが、バネの力をキリキリキリ…って溜めている「そろそろ」だと考えれば、納得は早くて。納得の早さというのは、武器にもなるかもしれませんが、のっぺりした感じも与えます。この、「いってきます」「バネ」という動的なアイテムを使っていることが、のっぺりした調子というのが根底にあることを見えづらくはしているのですが、でもやっぱりそこを感じ取ったので、外したというのが結論です。
 でも、この句が100句目にあったら、ちょっとわくわくして、たかぶる気持ちもありますね。暗めの句を◎で取っていて言うのもなんですが、明るいことは基本的にはがらぱごすの二人が築き上げてきた信念と近くて、いいと思います。
城崎 なるほど……! お二人ともありがとうございます、メチャ勉強になります……
 わたしは橋爪さんがおっしゃった順接的な展開だったり、やっぱり句自体の持っている能動的な印象が好きなのですが……あと遺伝子って結構暗めのワードだと捉えていたのですがどうでしょう? 暗めのワードをバネにして跳ねるからこそ強靭、という印象でした。
 遺伝子で先天的に決定されるものであったり、生態の進化が受け継がれていったりして、自らの意思でどうにかなるものではないけれど、生物の独自性の核となる部分だと思います。生命礼賛までは行かないんですが、そういう連なりのなかでの「そろそろいってきます」は、より一層明るく跳ねると思うのです。
橋爪 「遺伝子」は、明るくも暗くもない感じで捉えてたかもしれないです。西脇さんどうです?
西脇 ぼくも明暗ではとらえてなかったですね……奥行きというか、深さはあると思ってました。九十九句目を付録→生命線のつながりで、「二次元平面上の生命線が三次元方向に立ち上がる」みたいな動きだと読んでいたので、生命線の上向きベクトルに対して、遺伝子は下向きベクトル=深度を見せてくれてる、というふうに感じてました。バネの飛躍する幅を、そうやって自分で深めたんだな、みたいな。
橋爪 ベクトルが違うって読み、おもしろいですね。なるほど……勉強になります。
 でも、それを思うとなかなかに見逃し難い句に見えてきて、困りながらにこにこしてます。
西脇 そうなんですよ……さっきも出てきたシンプルさって、読み手次第でいくらでも開拓される余地、っていう強みでもあると思うんです。今回の場合は、前句という補助線があるので、そこまで広げすぎることなく読めるとは思うのですが……まあしかし、それを言い出すといつまでも読めるし、いつまでも絞れないという……。
 そんなわけで、城崎さんに言い残したことが無ければ次へ行ってみようと思いますが、さらに推しておきたいポイント、ありますか?
城崎 メチャメチャ勉強になっております……!ベクトルが違うってそういう意味なのですね。わたしは言葉をそのまま平面で受け取って、誌面のイメージが強いのかなあ。ひとまずここまでで。

伸びてくる阿弥陀籤の白髪


城崎 次は橋爪さんの推し句ですかね?
西脇 行ってみましょう! 「伸びてくる阿弥陀籤の白髪」。これは25句中でも異様な見た目でしたね……城崎さん、この句見たときどうでした?
城崎 前の句の「伸びてくる」からの一語摘みですね! 最初に読んだ時は阿弥陀籤というより縁日などである白い紐の先にお菓子やおもちゃがついているくじを想像したのですが、「阿弥陀籤」に「白髪」のインパクト、強いですね〜。
 字面から受ける印象はあまり楽しい雰囲気ではないのかな〜と……橋爪さんの仰るように、どこか不穏な感じ。この表記が選択された意味を探りたくなりますよね。『羅生門』の老婆と聞くと、もう、この阿弥陀籤を束ねて……になってしまいそう。句の印象が作者の意図にしっかり嵌った句なのではないかなと思います。
西脇 あー、あの紐引くくじ! わさーっと紐が垂れているところなんて、たしかに伸び放題の白髪みたいです。異形。あと地方のお祭りで踊る仮面には、ふさふさの白髪がついていたりして、それも思い起こさせますね。不穏さ→神性・聖性もにおわせる感じ。
 橋爪さんの評に出て来た、がらぱごすの雰囲気をガン無視する、という挑み方は実際効果的で、ぼくも「どうしてこんなことする?!」と心の中で突っ込んでいたので、その点ではこの句につかまれてたんだと思いました。こういった、え、ここまでの流れは? という投句もじつはそれなりにあって、いかに自分が九十九句の流れや全体(だとおもっているもの)に引っ張られているかを思い知らせてもらいましたね……。ある意味これくらい飛ばしてもらった方が、さらなる101句目を呼び込む力は強いのかも。
橋爪 紐のくじの読みも、仮面の読みも、どちらもすごく面白いですね。面白い読みを引き出せるのは良い句ってことだと思います。
 ただし、100句目にがらぱごす的雰囲気でぴしっと終わらせる句に相応しいか、という意味ではやっぱり違う印象を与える句だと思うので、そこはもう、理念とか思想の問題になってくるというか。
城崎 今回、全体から摘んでもらってもオーケーにしたことで、がらぱごすっぽさを加味していただいているのかな〜というのはちょっと感じたのですが、百句目句会なので百句目!  というほうにフィーチャリングしてもらってもいいのではないかな? と思っています! 実際いちご摘みのほうでも波あり谷ありでハッピーでダウナーでをやっているところもあり……。
 本当に、今回の合評会にあたっていい句ってなんだろう? というのを求めて考えたりそれこそアンソロジストの序文*2に頼ったりもしたのですが、どう読みたいか、どう読んでいくか? になっていくのかな……と思ったり。好きな句! を貫いていいのかなとか。いろんな景色や気持ちが描ける句ってたしかに良い句ですよね。わたしはそれを楽しんでいるのだとよく思います。
西脇 橋爪さんのおっしゃったの、まさに選句時点での二大視点でした。九十九句を終わらせるいい句を選ぶべきか、九十九句を踏み台にしてくれたいい句を選ぶべきか。そう、百句目を付けてくださいとは言ったものの、百句目で終わりとはたしかに言わなかったんですよね……。
 ただおそらくこの三人でいくと、どの句からも面白い読みはある程度引き出せちゃいそうで。だからしゃべってしゃべって、見えてくるおたがいのものからつなぎ合わせて、絞り込むことになるかなあ、とぼんやり思っています。
 阿弥陀籤の句についてもうすこし指摘しておきたいことがあって、今回三人が選んだ句の中で唯一の七七句なんですよね。寿命弄ぶの句もそれらしいですが、より厳密に14音なのはこの句だけ。なので九十九句と合わせたときの収まりがいいし、あとつい髪、で気味の悪さを感じたりもしていたのですが、共白髪なんてことばもあると思うと、白髪の長く伸びていくさまも、ある種めでたく感じられます。この伸びしろの長さと毛量のたっぷり具合に、七七であることと、白髪の体言止めが関係している気がしてなりません……。
橋爪 七七の句で終わらせるのは、たしかに座りがよくてバランスよいですね。共白髪の読み、めちゃくちゃいい…………わたしはおどろおどろしい読みばかりしましたが、めでたさもあるかも。ウワーッ評っておもしろ!!!!!!!
西脇 三人で時間を忘れてキャッキャ摘んでたら、いつの間にかみんな白髪になってぼうぼうに伸びちゃって、絡まったようすが阿弥陀籤みたい、なんて。
城崎 共白髪は初めて聞きました〜そんなプラスの白髪もあるのか……と思えば、福白髪もありましたね。ここで「伸びてくる阿弥陀籤の白髪」を改めてみると、たしかにこれは車座になって時間も忘れて楽しくやっている姿も浮かんでくる……いいですね〜! こうして見える景色や印象が何度も変わっていくの、合評会の楽しみなのかなと思います。
西脇 何もかもプラスの方へ持っていくこと、それだけではどうかな、と思いますが、句に掘り返せる部分があってかつ読み手が掘り返した結果、深度・広さが伴ったプラスが表れるなら、その読みも絶対大事だし、そういうところまで読める元の句の部分を見逃したくないですね……。

来世まで伸びる茶トラとソクラテス


西脇 では続いて西脇の◎、「来世まで伸びる茶トラとソクラテス」。これは橋爪さんいかがでしたか?
橋爪 この句わたしも惹かれました。これも「来世まで伸びる」ということで、なにやら縁起がいいですよね。茶トラとは猫の毛のもよう柄のことですね。猫が伸びると読んでもいいし、茶トラのトラジマ模様が伸びてゆくと読んでもいい。ソクラテスとの並列が、ちょっと単調な感じを思わせたのと、ソクラテスっていう名詞の力に寄りかかりすぎなのではないかということで最終的には外した句ではあるのですが、なんか句としての雰囲気というかオーラというか、そういうものがすごくいいですよね。
西脇 たしかに、いろんなイメージを呼べる語って一方で重たさもあるので、まず目が行っちゃうし、行ってしまうと引きはがすのが難しい。茶トラと組み合わせることでそのへんを逃がそうとしているのかな、と受け取ったのですが、これは猫好きバイアスをかけてしまった可能性もあるな……。
 城崎さんはどうですか?
城崎 わたしはあまり読めていない句でした。生き物に対する情熱がないので「茶トラ」が自分のなかで猫と対応していなくて……こうして改めて読んで、ああ猫のこと! と。
 人名のソクラテスはわかるのですが、「来世まで伸びる」ってなんだろう? 髭のこと? 猫の髭、白いしな〜ソクラテスも壁画のイラストは立派な髭だったし……宗教画や壁画のように絵の中にストーリーを描いていくものは、時間の経過があるじゃないですか。そんなふうに、上の方から髭がずーっと伸びていって、伸びていった下の方ではもう来世の場面になってる……みたいなのを今読んで想像しました。壁画のイメージですね。ただ、ソクラテスもちょっとイメージが掴みづらいところがあるかなと思っています。
橋爪 なるほどー。付け足しなんですが、一番の力点はたぶん「ラ」の音できれいに調子を整えてるとこだと思うんです。印象がなんとなくいいと思ったのはそれが理由なのかなと思いました。
西脇 「生き物に対する情熱がないので」、すげえいい言葉ですね……。情熱とは……期せずして城崎さんを掘り返せた気持ち。
 本題に戻って、茶トラも文脈の要ることばだったとは、と衝撃でした! やはりあった猫好きバイアス。そして「ラ」音、来世のラ、茶トラのラ、ソクラテスのラ。後二つについてはoaとuaで、すぼまった音→開いた音、というのも揃ってます。あと伸びるのル、ソクラテスのス、のu音つながりも、裏で調子の良さの助けになっているかなとも思いました。
 さらに広く見ると、575にちゃんと収まってるのも大きくて、意味はともかく、耳で聞いてことばがしっかりつかめるという点では、句会対応もばっちりですね。
橋爪 「茶トラ」が猫のことを必ずしも指さないのではないかという点はわたしも考えたのですが、一応ネットで検索してみたところ、猫の記事ばかりがヒットしますので、まあアリかなあという判断をとりました。ここらへん微妙なとこかとおもうのですが、ね。
西脇 しかしここがつかめないとあとが辛いのはたしかですね……それで余計ソクラテスを難しくしていたかも。句を「読めた! いい句!」と思えることって同時に「読めなさ」に目が向かなくなることでもあるので、「読めなさ」が見えたらすかさず検討するのも重要ですね。

改札を抜けて生命線に乗る


西脇 さあ……◎の句はこれでひととおりやりました。どの句もさすが◎の付くだけあって、やればやるほど面白い句ばかりでしたが……まだ決めには行けなさそうなので、続いて〇の句を見ていきましょうか。
城崎 ◎句、どれもいろんな読み方のできそうな良い句ですもんね……推しポイントもそれぞれで面白い〜! 採ろうか迷って採らなかった句、というのもまた面白い。○句についてはもっとそういうのがありそうですね。
西脇 一句だけ三人とも〇を付けた句があります。「改札を抜けて生命線に乗る」。これから行きましょう。城崎さんこの句どうでしたか?
城崎 静かに入って飛翔するような句。わたしも生命線には波乗りのようなイメージがあって、サーフィンを軸吟に持ってこようか迷ったので、つい似たような気持ちで寄ってきてしまいました。
 生命線に乗る、なんとなくレールに乗って人生を辿るような、ちょっと通勤電車じみた窮屈さと日常に即した安心感も感じられますね。改札を抜けて、の日常動作もそうした雰囲気に一役買ったと思います。
橋爪 わたしも◯つけた句です。改札を抜けるってことは電車なのかなあと想像はつくわけですが、そこを「生命線」で裏切るという構造の句。中央線とか山手線とかいろいろある電車のなかに「生命線」がしれっと紛れ込んでいるように読めて楽しい。それと同時に、手のひらの上を小さな電車がガタゴト走っていくようなイメージも持てます。
 中央線はオレンジ、山手線は黄緑だけど、生命線は何色だろう、ウフフ。
西脇 西脇は最終〇つけたんですけど、初めは落としてました。九十九句目の中でも一番目立つ語(生命線)を摘むという大ネタ使い、さらには17音→17音がなぜかここではごてついて見えて落としたのですが、どうにも気になって。つなげて見ているとごてつくけれど、単体ではさわやかーに捻り込むいい句ですし……。
 で、改めて眺めていたら、あ、これも百句を終わらなくさせようとしてくれてる句なんだ、と気がつきました。レールを伸ばしてくれている。で、九十九句目で描いた生命「線」を、読み手たちが乗れる路「線」に描き変えてくれたおかげで、まだ先いけるぞ、が実感になった。さわやかかつ技巧もありながら熱も感じさせてくれるのに、拾わない手はないと思っての〇、でした。橋爪さんの言われた「改札」一語で生命線の線を路線にしてしまう手つき、なんでしょうね、力業のようで、ほんと、さわやかですよね……。
 〇句、ということであえて聞いていきたいのですが、◎にならなかったのはどういうあたりからでしょう? 西脇はなんといいますか、いいとはわかったけれど、わかったがゆえにうまさというか、手際の良さが見えてしまった気がして。それがダメなわけじゃないんですけど、百句目でないところでも一句で立ててしまいすぎる……言い方難しいな。とかく九十九句との距離が、◎にした句と比べてあるように思ったんです。城崎さんこのへんいかがです?
城崎 わたしは逆で、直前の生命線を摘んでもらったので、そのまま百句目の位置に収まってもいいなあと思いました。いちご摘みの摘みを王道にこなしつつ、「改札を抜けて生命線に乗る」なんてさりげなく、でも日常じゃない非日常の中に戻っていけそうなところとか……。
 ◎句に採らなかったのは◎句の跳ね方の方を選んだからですね。西脇さんの言うように、この句は句として一句でも立てそうだなというのは感じました。完成度が高い。百句目に収まってももちろんいいけど、百句目でなく一句で置かれていてもいい句だな〜と思ったと思います。
西脇 たしかに摘み方としては王道、しかも路線に変えてしまってるあたり相当パワフルにひねってもらってはあるんですよね。そのよさと、◎にした句のよさはタイプが違う感じなのかな。跳ねるほうが魅力ははっきりする、というのもありますが……。
 橋爪さんはどうですか、◎ではなかった決め手、ありますか?
橋爪 そうですね、◎にしなかった理由は強いて言えば、電車の路線と生命線、線同士で「かけました」感が強く出過ぎてるところですかね。シンプルで王道で強いですが、提示されているものの意外性の大きさでいえば、じつはそんなにないのかも、とも思ったんですよね。もちろんそのことをいいと捉える方向もアリかと思うのですが。
西脇 うん、うん、そうですね。収まりは間違いなく良く、一回は納得するので、だからこそぼくも、より意外性についてかんがえちゃいました。じゃあ意外性がなきゃダメなのか、っていうとそうじゃないんですけど、そこでこれまでの九十九句からの流れを合わせてみると、もう少し跳ねてもいいのかな、と。ほんとは生命線→電車の路線、ってけっこう跳ねてるはずなんですけど、ことが川柳となるとなんか上がるハードルがあるな、とあらためて感じました。でもほんと、落としどころらしい落としどころではあるんだよな……。

かみさまの手に肉球がついている


西脇 じゃあ続いて、他の〇の句も見ていきますね。二人ずつ〇のついた句が三つ。それでは、「かみさまの手に肉球がついている」から行きましょうか。城崎さんこの句はどんな印象で選びましたか?
城崎 逆に、この句は猫かな〜と思ったんです。付録、踏んづけにきた猫かなと。付録でついてくるペーパークラフトとかを、なんとはなしに上からぺしゃんと潰しちゃうとき、猫ってかみさまみたいじゃないですか? そういう絵かなと思いながら読みました。
 たぶん、わたしの中で筒井祥文さんの「こんな手をしてると猫が見せに来る」の句で見た印象と近いんだと思います。大きくて無邪気なものは、理不尽なことをしても許される……みたいな文脈ってありませんか? ちいかわのあの子とか、セイレーンみたいな……自然と同一視されるような……そういう、擬人化ならぬ擬神化で読みました!
橋爪 わたしも◯でとってます。生命線から手を持ち出してきて、そこから肉球を考えた句ですね。肉球がついている生き物は、ねこだけでは必ずしもないかな、とはおもうのですが、城崎さんの読みはすごく面白いです。
 わたしは、人間のおじいさんっぽいすがたの「かみさま」の手をふいに見たら、肉球がとってつけたようにあった、みたいな想像をしました。こっちのほうが奇妙で不思議な感じがして、わたしは好みです(人間よりも本来立場の弱いねこを神格化させる手つきはどちらかというと人間の身勝手が過ぎて、あまり得意ではない表現かもしれません)。でも、それだけでなく、この句は川柳の作り手そのものを表しているような気もしています。創作者、つまりその世界の創造神の、手、つまり世界を作り出すパーツ、ですよね、そこに肉球というかわいらしいものがついている。粋でおかしみや趣のあるもの(だけが川柳ではないことは当然ですが)が手のうちにある神様、それが川柳の作り手! という意味です。
 つまり、99句作り上げたわたしたちのこと、さらに100句目を作り上げること、それら全てを内包している大きな句に読めたのです。それは、どれだけ謙虚に川柳を作っていても、その世界観のかみさまにならざるを得ない覚悟と責任の句でもあります。あとでしっかり触れますが、「粗茶」の句(わたしは「晩年の粗茶」がわたしたち三人を指す、祝福句だととらえました)についても共通して言える部分があると思ってます。
 川柳全体を内包する、という読みは、深読みのしすぎと言われればそうなのかもしれないですが、これが百句目句会に出された、100句目としてまとめあげる句として出された、という文脈や意図を想像すると、また変わってくるのかなと思います。100句目にあるという場の磁力を存分に活かしてるなと思うのです。
西脇 ぼくもこの句、最終5句にしぼる手前くらいまで残してて、橋爪さんの方の想像で読んでました。おじいさんに肉球の方。文字面のまんま読んでいった感じですね。で、ぼくのかみさま手だけでかくて、肉球がライオンサイズでした。ぷにぷにというよりがっしりの肉球。生命線→手、の流れは気づいてなかったかも……でも◎にした茶トラの句を読んでた余波で、自然に猫の句として納得した記憶があります。
 橋爪さんの読みは象徴的ですね、シンプルゆえの含意を汲み上げていくとそうなりますし、100句目としてそういうことを汲み上げたい気持ちは、選のときぼくもありました。そうか、九十九句全体も、川柳そのものも内包した句だったのか……。その謂いとしての肉球、と思うと、たしかに結構うれしいな……。
 外したのは単純に◎に猫の句を取ったからだったのですが、城崎さんの言われるように、一見してしっかり川柳と見える見た目も強いですし、掘り起こせばこれだけの内容が詰まっている。なかなかにおいしい句だったんですね……!

晩年の粗茶は身のこなしが違う


西脇 こんな調子で各句広げていけるといいなと思いつつ、次の〇二つ句に行ってみます。橋爪さんのお話にも出てきたので、「晩年の粗茶は身のこなしが違う」にしましょうか。橋爪さんこの勢いのままお願いできますか? 祝福句、ということですね。
橋爪 そうですね、まず「晩年の粗茶」というのは不思議な響きです。晩年、という言葉からは、ベテランぽさも感じられて、熟れたもののようなかんじがして、粗茶というのはへりくだっているわけなんですけれども、この、対義語っぽさがありながらべつに対義語ってわけではない、ねじれの位置みたいな語の斡旋がおもしろくて。「身のこなしが違う」というのはざっくりいってプラスの感情、褒め言葉、かなあと思うのですが、ここではへりくだった粗茶が持ち上げられている。ぐわんぐわんと意味が上下する感じはジェットコースターみたいで面白い。
 わたしはこの句、「西脇城崎橋爪はさすがだ、すごいな」みたいな言葉の言い換えだと思って読みました。……と言葉にするとクソ恥ずかしいんですが、99句目まで書いた労苦をいたわっている100句目のような気がしたんですね。
 つまり、99句目から取ったというより、99句全体から取ったという雰囲気で捉えました。ば、ね、そ、ち、み、こ……子音が結構レパートリーに富んでいて、読んだ感じもくちゃくちゃ小気味良い音がして、そこも加点ポイントかもしれません。
西脇 そんなダイナミクスが一句の中にあったとは……!! たどれてなかったな、ここはちょっと反省。敬語と賛辞をぐるぐるかき混ぜてるんですね。で、結局褒めてくださってる。ここ大事!
 ただあやういかな、と思ったのは、そのかき混ぜがともすれば誤用に見えないかというところと、子音のバラエティが豊かなのはいいんですけど、意味でいくと8・9=17音なのもあってか、リズムが散文がちなところでしょうか。でも99句全体に対してこの句を置く、99句の外から100句目をつける、っていう視点はめずらしい特徴ですね。じつはそういう視点を西脇は他の句に感じていたのですが、それはまた後程。
 城崎さんはどうですか? 勝手ながら、城崎さんこの句好きそうだな、と思ってました(笑)
城崎 橋爪さんの評を読みながら畏れ多いやら有難いやら、になっています。ヒャ〜! そう開いていただくと、なるほど褒め言葉ととってもいいのかしら……と思ったりもします。西脇さんのわたしが好きそうだなというのは、食べ物が元気にやっていそうだから? 好きですね〜! しかしこうして他の方の評を読んでいくと無限に好きな句が増えていくので困りますね……。
 わたしは言葉のイメージで句を読みがちなのですが、粗茶って人に出す時にわざわざ粗茶ですが……って前置きするじゃないですか。だから、99句を読みにきた人に粗茶どうぞ……って出しながらその粗茶がメチャ逃げまくって飲めない……みたいな、このいちご摘みの句たち、メチャ身のこなしが違う……一筋縄で読めん……みたいな感じがして、これも畏れ多いような読みなんですが、想像したら愉快な印象でした。ダンシング粗茶……もうぜったいそんな粗茶見たい。ぜったいに見たいじゃないですか…………。
 しかも晩年の粗茶。わたしはこの「晩年」を武術の達人みたいな、粗茶に対する修飾詞的な意味で読んでいました。見極めたくなる身のこなし! いちご摘みの方の「漫才に熨斗〜」辺りのフェーズも感じます!
橋爪 ダンシング粗茶! 言葉の響きがいいですね!
西脇 粗茶見たさという、あらたな気持ちの領域が開かれました……! 一読面白い句、というかよく粗茶なんて持ってこられたな……というのでまちがいなく刻まれる句ですし、晩年とか身のこなしとか、語でばらして並べるとまったくばらばらなのに、なんでこんなうまいことつながってるんだと。そしてそうか、粗茶の身のこなしそのものはかんがえてなかったな。思ったよりだいぶ、だーいぶコミカルな句だった……。これは発見です。より絞れなくなっちゃう笑

太陽にかざせ僕らの島となれ


西脇 ちょっとまだ脳内で粗茶が逃げ回ってますけど、次行きましょう。〇二つの句はあと一句。「太陽にかざせ僕らの島となれ」ですね。
 これはとってもストレート。生命線→てのひら→「手のひらを太陽に」の連想から、川柳諸島がらぱごすの島のイメージへ接続。「川柳の多島海で、いろんな川柳の島を巡りたい」というがらぱごすへの改名当初の思い*3を汲んでくださったのかな、と思いました。
 巡りたい、だったので、自分の島を持つことはあまり考えてなかったのですが、こうして「僕らの島」って言ってもらうと、そうか、こうしてやっているがらぱごすの毎号も、多島海の内の小島とか、岩礁くらいにはなってってるのかな、と自信になるところもあったり。ひとからそういうの言ってもらえるのって、なんか励みになりますよね。しかも前半後半ともに命令形の言い切りという力強さ。これ、自分では、できない……。だいぶうれしかったです。ありがとうございますm(__)m とりあえず紙がらぱごすを太陽にかざして、島だな……と感慨にふけることにします。。。
 あとあと、「僕ら」。この複数形もうれしくて、直近では今回の三人のことともいえるし、広げれば、これから来てくれるだろう方たちの島にも、がらぱごすがなり得るのかもしれない、と思わせてもらいました。大入祈願の句、みたいな! 劇場のバックヤードみたいに、印刷して部屋に貼っとこうかな。
 城崎さんはこの句、どんな印象でしたか??
城崎 この句はほとんど西脇さんの評と同じ読み方をしましたね〜! そう、一読して嬉しかったんです。生命線からの太陽。そして「僕ら」。この僕らが複数形で多島を想起させながらも、大きく包み込むような、呼びかけるような、広くゆるやかな親しみを感じます。
 また、句の持つ明るさで強制的なニュアンスがないところもまた好きです。「なれ」と命令形で言い切っているんですが、子どもの願い事みたいな明るい姿に落ち着いているのが良い。大入祈願の句って言われると本当にそうですね〜! 嬉しい句だ……本当に晴れやかでした。

○ひとつの句


城崎 さて、ここからそれぞれの○句になりますかね? 城崎の○句はすべて出てしまったので、橋爪さん西脇さん、出ていない○句の推しポイントをお願いしま〜す!
橋爪 あとはわたしののこりはこれかな?
 
寿命弄ぶカーテンコール
 カーテンコールだから、最後の句らしくて締まりがよいですよね。カーテンのたわみやへなへなと風をはらむところが「寿命を弄んでいる」動きのようにみえたという、ささやかだけどひやっとした体温が差し出されるところがいいなあと思いました。
 
 西脇さんも、残りの句をどうぞ!
西脇 ではぼくの〇ひとつ句が、あと二句ですね。
 
ラ・ニーニャの泣かない三つ編みですよ
 粗茶の句のところで言っていた「99句をいたわる印象の句」というのが、ぼくにとってはこちらでした。ですよ、っていう句末が絶妙に99句の外から言っている感じを出していて、いたわるどころか、99句を売って(ニヤリ)くださってすらいるかのよう。「~ですよー!」って、売り声にも近い言い方ですよね。売ってもらえるってうれしいです。
 そしてラ・ニーニャ。気象現象とは知っていつつ改めて調べると、「東風が平常時よりも強くなり、(太平洋の)西部に暖かい海水がより厚く蓄積する」「ラニーニャ現象発生時は、インドネシア近海の海上では積乱雲がいっそう盛んに発生」するとのこと*4。これ、今回の三人が、みんな西の方に住んでるのを踏まえてるんじゃないかと。西、熱いぞ、と。しかも積乱雲ですよ! 土砂降り、雷、嵐、『台風クラブ』じゃないですけど、もうお祭りの極点みたいな状態。それを100句目に呼び込んで、さらにその下にあって「泣かない三つ編み」——この三をぼくら三人のことだとすれば、三つ編みはここまで99句やってきたぼくらの結びつきのことで、さらにさらに三つ編みは跳ねると揺れる。ポップに揺れる。強くて熱くてポップな三人の99句ですよー! という、どこまでも嬉しい売り込みの句が、こちらなのではと思いました。
 
ありふれたちいかわとなる生命
 そしてもう一句。これは一目ぼれでした。選句していて一度抜いたんですけど、最後に戻したんじゃないかな。それくらい頭に残った句でした。
 まず、まちがいなく今の句だということ。固有名詞「ちいかわ」の寿命があとどれくらいあるか、ちいかわが隆盛を極めている今はわかりません。が、なにせ使うなら今だというのを逃さず、しかもこの句会に出してきてくださった度胸がうれしかった。探せばちいかわを使った句はもうあるんですけど(「ちいかわ(日曜・祝日を除く)」南雲ゆゆ*5)、使い方から書き手のちいかわ観がにじみ出ちゃうことばなんだな、ちいかわ……とあらためてその偉大さに呆然とさせられます。ビッグ・ムーブメントの破壊力。
 それではここでの使われ方はどうかと言うと、「ありふれた」を付けることで、隆盛を極めているキャラクターとしての特別感がころされています。ころされてもなお「ちいかわ」という、ちいかわのパワーを信頼してのことでしょう。これも今だからできること。でも結局じゃあ「ありふれたちいかわ」ってなんなんだろう、と考えてもはっきりしません。なにか特殊な魅力を持つ、ありふれたもの。この特殊な魅力にも、今がぎゅうぎゅうに詰まっていて、今よりちいかわが廃れたあとの空気の中では、もうこの特殊さは感じられないんじゃないか。
 それくらい危うい線を辿って成り立つ句の最後を「生命」でとじるという、これまた大胆さ……。ちいかわの線のたよりなさを受けてか、この生命、なぜか不定形に思えるんです。生命のスープ、みたいな。100句目で全部溶かして、ちいかわに流し込みよった……エヴァ×ちいかわ!? という末世感。今できる、露骨すぎるほど最強のマッシュアップなのではないでしょうか。……正直、大賞句ではないかもと思いつつ、でもこの句を世に出せないのはヤダーッの思いが募り、〇をつけました。

まとめ&軸吟

 
西脇 はい、というわけで、選句全句の評が出そろいました!
 読みまで出て来てみると、自分ひとりで選していた時よりかなり濃密に、句の内実が見えてきましたね。あらためてほんといい句ばっかり……。しかし、この中から一句にしぼらねばなりません。一通り評を見たいまの状態で、これ、と言える一句は挙げられそうですか? 橋爪さんいかがでしょう?
橋爪 一句とはなかなか難しいのですが、改札の句と肉球の句はなんか印象的で、よさが自分の中でアップしましたね。
西脇 改札句は三人とも○だったので、それぞれの思いがしっかり分かってよかったですね。あらためて評を見返すと、城崎さんの「乗る」→「サーフィン」って受け止め、すごい……。あらのなさ、うまさ、みたいなところをどうするかだけですが、そう思うと、相当レベルの高いところにいる句ではあります。
 肉球句はまさに橋爪さんの読みが、句の持っている魅力を解剖して解放していました。やっぱり川柳は句×読みで、いくらでも面白くなるなあと。100句目という位置にもふさわしく、かつある種の柳論にもなっている。シンプルゆえの大きな句だと分かって、ぼくも印象が変りました!
 城崎さんはどうですか? かなり乗ってる評がいくつもあったから、絞るのむずかしそうですけど……。
城崎 阿弥陀籤の句はだいぶ印象が変わりました! 字面に引っ張られがちなので、こうしてみんなの評を読ませてもらうのって大事だなとしみじみ……。
 あと僕らの島となれの嬉しさというか、そういうのを噛み締めてます。粗茶もわたしのなかで良さが大幅にアップしました! 車座になって座談会した気分。お腹いっぱいです……ここから絞るのは本当に厳しいけど、今の気持ちでは粗茶かなと思っています。
橋爪 粗茶の句は、評によってかなり活性化されたというか、盛り上がりましたよね。盛り上がったけれど、最初からの印象もよかった。あまり大きな傷もなく、推せる一句だとわたしも思います。自分の◎の句を推したい気持ちもあれど、さわやかでシュッとしてるほうが、やっぱり100句目らしさ、がらぱごすらしさはあるのかな、と思って。
 おふたりの評を聞いていると、がらぱごすが何を重視して、何を大切だと感じているか、みたいな、カラーというか、柱というか、そういうのがわかった気がしました。粗茶はわたしも同意です。あとは肉球の句はやっぱり捨てきれなくてかなり迷ってるのですが、どうかな。西脇さんどうです?
西脇 知りたいな、カラー、柱……どう見えたんでしょう……。
 そしてじつはぼくも、粗茶かなあ、と思ってまして。そんなスムーズでいいのかな? と思いつつ、評を受けて一番印象が変わった+はじめに欲してたなにかがみんな詰まっていたことが判明したので、好感度が最高です。どれもいい句、という中で思い返していると、最初に飛び出てくるのはやっぱり粗茶。自分が選んだ句も捨てがたいですが、いまのところこの軽やかさにやられています!
 ……と、いうわけで。さらなる異論がなければもう粗茶に決まりと言えそうなのですが、いかがでしょうか? 言い残し、ありませんか?
橋爪 なしです、これでいきましょう。
西脇 城崎さんはいかがでしょう?
城崎 オッケーです!粗茶に茶柱建てたいな……。
西脇 ありがとうございます……。す、すごい幕切れ。いやしかしこれも句そのもののすごさと言えましょう。
 それではあらためて、川柳諸島がらぱごすプレゼンツ『百句目句会』、大賞句は、「晩年の粗茶は身のこなしが違う」に、決定しました!!! おめでとうございまーす!!!!!
 いやあ……たっくさん読みましたね……。いま見返したら、句会の募集開始から四か月が経過していました。。。橋爪さん長期間のお付き合い、ほんっとうにありがとうございます!! いかがでしたか? 評で印象が変わった、みたいなこともたびたびあったようでしたけど……。
橋爪 ありがとうございました! 長丁場になりましたが、楽しく評できました。評で印象が悪くなった句がひとつもなかったのがよかったですね。評の重要性を感じました。
 評は価値を決めるものではなく、句をさまざまな角度から照らし出すものであるべきだし、そうあってほしい、という願いがかなり反映できたように思います。いい会だったのではないでしょうか!!!!
城崎 ほんとに長丁場となってしまいましたね〜! こうして最後までお付き合いいただいてありがとうございます💛 まさに、評はあればあるだけ読みの角度や見え方が変わって楽しいものだと思っているので、三人で評を出せてとてもよかったです〜!
 川柳って額縁みたいなもので、どう見たか? なにが見えたか? 見たいものはなにか? がみんな違ってすごく面白いんですよね。ビー面句会がわたしのなかでは評の面白さ(評+句の面白さ? かも)が顕著だと思っているのですが、そういう、どんな読みが出てくるかな〜という楽しみもありました。なにより読めていない句のほかの人の評こそ読みたい。現に、粗茶の句と阿弥陀籤の句は合評会ですごく印象が変わりました。勉強になりました〜!
西脇 ほんとそこでしたね……。川柳、ことに現代川柳の、ともすればわからない、で終えられちゃうことにはなんか、「ちょっと待ってよ、それはあんまりかなしいよ」と思うことしきりだったのですが、もしかしたら評の役割からして違うこと、そこから見せなきゃなんじゃないかなってずっと思っていて、それを今回ちゃんと示せたように思えます。
 あと、評に現れる視点にくわえて、その語り方も含めてだいじだなと再認識しました。橋爪さんのたしかな分析、城崎さんのはまりこんだ勢い。評って言うと、なんだか上から、外から何かを語るように聞こえますけど、いや、川柳の評はプレゼンでもあるなって。こんなにおもしろいよ、これだけ読めるんだよ、ってアピールできるし、それが一句に対していくらあってもいい。あるだけ広がる、うれしさをどんどん増やせる機会が評なんだ。あー、これから会う句に評をするのまで含めて、楽しみでしかたないです……!
 さて、それではこれにて幕、になるのですが、最後に大きな仕事が一つ。軸吟ですね。三人それぞれの軸吟を発表して、vol.3のしめくくりとします。それでは、ご投句くださったみなさま、お付き合いくださったみなさま、そしてなにより橋爪さん、ありがとうございました!!!
 
西脇軸吟
夜? 要らない。ここは無心の麦畑


橋爪 お二方もみなさんも、本当にありがとうございました! 投句してくださった方は、結果が出るのがのんびりになってしまいごめんなさい🙇‍♀️ いい経験をさせていただきました!!!
 それでは軸吟を!
 
橋爪軸吟
命ごと振り返ったら百人目

 
 ありがとうございました!!!
城崎 改めまして、ご投句いただきました皆さま、そしてゲストで合評会までお付き合いいただいた橋爪さん、ありがとうございました〜!
 おかげさまでじっくり楽しい合評会になり、また、選者という得難い経験もさせていただきました……結果が出るまで長くお待たせしてしまい、申し訳ございません。お付き合いに感謝しております。また、次回がありましたら懲りずにご参加いただけると嬉しいです〜! ありがとうございました!
 
城崎軸吟
手のひらで島の灯りがまた増える

 
 次回のがらぱごすもよろしくお願いしま〜す💛
  
 



 
 
 
西脇 ……さいごのさいごに、5句選まで残った句の作者さんを公開しておきますね。敬称略にて、失礼します……)
 
 
遺伝子のバネでそろそろいってきます  おかもとかも
 
かみさまの手に肉球がついている    小山あすか
 
太陽にかざせ僕らの島となれ       南雲ゆゆ
 
改札を抜けて生命線に乗る        佐藤移送
 
伸びてくる阿弥陀籤の白髪        白水ま衣
 
寿命弄ぶカーテンコール         小野寺里穂
 
来世まで伸びる茶トラとソクラテス    まつりぺきん
 
ラ・ニーニャの泣かない三つ編みですよ  湊圭伍
 
ありふれたちいかわとなる生命       林やは

 
          *
 
晩年の粗茶は身のこなしが違う       雨月茄子春




 

*注

 
*1「8月14日に投句募集のnoteを上げてから募集締め切りの31日まで」
 は、半年経ってる。言い訳しません、ごめんなさい。ほんとに、ほんとに大変長らくお待たせしました……。
 
*2「アンソロジストの序文」
 8月末に発売された田畑書店発刊のアンソロジストvol.6より、「【特集】川柳アンソロジー みずうみ」の永山裕美さんの序文のこと。同アンソロジー内の樋口由紀子さんの[解説]も参考としました。
 アンソロジスト vol.6 樋口 由紀子(著/文) - 田畑書店 | 版元ドットコム (hanmoto.com)
 
*3「がらぱごすへの改名当初の思い」
 川柳諸島がらぱごすはむかし、「川柳どうぶつえん」という名前でした。とあるきっかけをいただいてがらぱごすに改名したのですが、この経緯、とても思い入れがあるので、手前みそながらリンクを載せておきます↓
 どうぶつえんより、だいじなお知らせ。|川柳どうぶつえん (note.com)
 
*4「ラ・ニーニャ現象」
 「 」内の引用は、気象庁のサイトより。
 気象庁 | エルニーニョ/ラニーニャ現象とは (jma.go.jp)
 
 *5「「ちいかわ(日曜・祝日を除く)」南雲ゆゆ」
 川柳句会ビー面2023年4月分に投句された一句。城崎さんも西脇も取っていたので、評から一部引いておきます。
「日祝はちいかわじゃない……日祝はちいかわじゃない……ずっとちいかわではいられない、寂しい」(城崎ララ)
「ちいかわ読んでいると、あの世界がいいなー、とは決して思えないので、ウィークデイ側をちいかわに充てる心情に共感はできないのですが、あるいはそれも覚悟のひとつなのかも」(西脇祥貴)
 川柳句会ビー面 2023年4月|ササキリ ユウイチ (note.com)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?