【いい店の人と考える、これから先のいい店って? vol.3】 熊澤大介さん(釜浅商店 店主)
時代の波とコロナ禍による大きな転換期を迎えている今、お店というもののあり方も大きく変わりつつある。
お店というのは、住まう人や訪れる人と地域を結びつける、街にとっての窓みたいなものなのではないか。そう考えたとき、これから先の街を、社会を、そして住まう人を元気にしていくような「いい店」とは一体どういうものなのだろう。
お店を始めたい人も、既にやっている人も、いい店が好きな人も。みんなが知りたいこれから先の「いい店」のことを、実際に「いい店」をやっている方や手掛けた経験を持つ人に聞いてみたい。
第三回目に登場いただくのは、東京・かっぱ橋道具街にある〈釜浅商店〉の四代目店主、熊澤大介さんである。
2004年より〈釜浅商店〉の舵取りを務め、老舗の料理道具専門店にとって大きな転換となったリブランデングを実施するとともに、合羽橋の街にも新しい風を吹き込んだ熊澤さんに、お話を伺った。
賑わいを失っていた街と、必然だったリブランディング
東京都台東区。世界随一の料理道具街として知られるかっぱ橋道具街。東京メトロ田原町駅から道具街へと歩いていくと、大きな黒いのれんを下げたガラス張りのギャラリーのような建物が目に入る。1908年に創業した老舗の料理道具屋、釜浅商店である。
「創業時は〈熊澤鋳物店〉で、祖父の代に“浅草にある釜のお店”という意味合いを込めて現在の店名になりました。昔はその名の通り、煮炊きに使う釜を中心にプロの料理人向けに商売をしていました。僕が子供の頃は、合羽橋の街全体が一日中業者の出入りがあって賑わっていて、ずっとそんな環境で育ってきたんです。
一人っ子なので、子供の頃から何となくお店を継ぐことになるのかな?とは思っていましたけど、父は“25歳までは好きにしていい”と言ってくれていました。若い頃は家具デザインをやりたかったこともあり、一度そちらの道に進んだんです。で、外から家業を俯瞰してみると、料理道具屋というのは、デザインも含めいろんな分野に広げやすい仕事だなと感じるようになってきた。それで実家に戻ったのですが、その頃はバブル崩壊後で外食産業の景気も悪くなり、街にかつてのような賑わいはありませんでした」
ネット通販が徐々に盛んになってきていたこと、さらには各地に大規模なホームセンターができ、プロが使う料理道具もある程度そうした場所で揃えられるようになったことも、合羽橋がかつての賑わいを失った要因。2004年から四代目に就いた熊澤さんは、このままでは店の先は長くない、と考え、時代に合わせた形へと変革を遂げるべく模索し始める。
「まずはホームページのリニューアルからと思い、知り合いのデザイナーに相談したんです。すると“ウェブだけ格好良くしても仕方ない。思い切ったリブランディングが必要です”と言われました。
今でこそ、ブランディングって普通に使われる言葉ですけど、当時は少し胡散臭いイメージがあったのは事実で(笑)。でも、丁寧に説明してもらううちに、確かにホームページだけ変えてもだめで、ここで店構えも含めて一気に変えないと意味がないと決断しました。プロの業者さんはもちろん、一般のお客さんにも来てもらいやすい店にしよう、と」
言うなればBtoBとBtoCの両立。2011年に最初のリブランディングを行った釜浅商店は店舗を建て替え、「良理道具」というコンセプトを掲げるようになる。
もの売りだけではない、良い理(ことわり)を売るお店
「“良い道具=良い理(ことわり)のある道具”という思いを込めました。ウチで扱う包丁やフライパン、釜。どれも手入れをしながら何年も使い続けるうちに、手に馴染んで良い道具に育っていく。昔はそうした部分を“わかる人がわかってくれればいい”というスタンスで商売してましたが、これからは店側からちゃんと価値観を伝えていく必要があるなと。
そのためには入りやすい店構えにするのはもちろん、売りっぱなしではなくお客さんの身になって丁寧に説明したり、道具の手入れの仕方を教えるワークショップを開くなど、新しい取り組みをいろいろと始めたんです。
とはいえ、昔から、それこそ先代の父の頃からお得意さんが包丁や鍋なんかを持ち込んできて、それを修理するのは当たり前にやっていたし、“他では断られたんだけど、こんな形の釜を作れない?”と頼まれたら相談しながら特注で作ってあげたりと、ウチは合羽橋の中でも少し変わり者というか、もともとただ売るだけの店ではなかったんです。もしかしたらそういうDNAを受け継いでいるのかもしれませんね」
リブランディングを経て、明らかに客層が変わったという。
「お子さん連れの若いお母さんに、料理好きのカップル……。あとは最近ですとコロナ禍で在宅時間が長くなり、料理を始めたからいい道具が欲しい、という若い人など、今まででは考えられないお客さんが来るようになった。それは単純に嬉しいことだし、新しいお客さんがその道具をずっと大事にしてくれるよう、こっちも努力しなきゃいけない。そういう相乗効果が生まれたように感じます。
それと、今はもちろん難しいですけどコロナ前はインバウンドのお客さんの来店客数が凄かったんですよ。外国人にとって浅草と合羽橋は東京観光の定番コースになっているので、いろんな国のお客さんがウチにも来てくれました」
"他に代わりがきかない店"になるために。
そうした中で、熊澤さんは次第に海外に店舗を持つ必要性を感じ始める。
「外国人のお客さんが買ってくれるのは嬉しいんだけど、人によってはその後のメンテナンスが難しかったりするじゃないですか。実際、帰国してしばらく経つと包丁や鍋が錆びてそのまま使わなくなったって声を聞いたりもしましたし。だから、やっぱり手入れまで含めてカバーできる海外の拠点を持つことができればと考えました。そして、海外拠点を持つならば、まずは世界中の一流の料理人が集まるパリだな、と」
2014年から数回、パリにポップアップストアを設け、手ごたえを得た熊澤さんは、2018年5月、サンジェルマン・デ・プレに新店をオープンする。
「パリ店はプロの料理人も多いけど、予想以上に一般のお客さんが来店してくれています。ギフトの需要もかなりありますし、やっぱりフランス人は料理に対するこだわりがすごいんだなと感じました。そういう意味ではパリに出店してこっちが学べることもたくさんありますね。
釜浅商店が110年以上培ってきたものを、より広い世界に、多くの人に知ってもらいたい。ウチで扱っている包丁や鍋は、他ではもっと安く買えるという物も結構あるんです。でも、釜浅で買いたいと思って貰うには、居心地の良い店構えにしたり、丁寧に説明したり、アフターケアを万全にしたりといった付加価値をつけるのが大事だと思うんです。
今回“これから先のいい店って?”というテーマで取材を受けましたけど、僕にとってのいい店は、“他に代わりがきかない店”。釜浅商店がそんな存在になるために、まだまだやれることはたくさんあると考えています」
個々のお店が、身の丈に合った進化をすれば街もおのずと変わっていく
釜浅商店が大胆にリブランディングしたことを一つのきっかけとして、合羽橋の周りの店も少しずつ一般客を迎え入れる流れになってきたという。
「他のお店でも僕と同世代か、少し下の世代が後を継ぐケースが最近増えているのも大きいですよね。彼らからも、リニューアルについて相談にきてくれたりしましたし、他にも新しい雑貨屋さんが出来たり……。ただ、みんなにウチみたいにやってほしいわけではないんです。
よく地域活性化というと、商店街が一緒になって何かをやるイメージがあるけど、個人的にはそういう形ではなく、街の中に突出した店が表れて、それにつられて他の店も何かを始める、そうしてどんどん面白い街になっていくのが健全だなと思っています。
正直、合羽橋は新型コロナの影響を大きく受けていて、閉まったままの店も少なくありません。そういう所に新しい血が入ることで活性化すればいいですよね。蔵前や東日本橋など、ここ数年で注目されている東京のスポットはみんなそうじゃないですか」
昔のあり方にこだわらず、いろんなモノや新しい価値観を受け入れる懐の深さを持つこと。それがこれからの合羽橋全体の課題だと熊澤さんは語る。
「ウチのような老舗は、何となく商売が続けられるから続いてきた、という面があるんです。続いてきただけでもちろん凄いんだけど、長く同じ商いをする中でお店の明確な存在理由を見失っていたのもまた事実で。
リブランディングの過程ではそのあたりをちゃんと整理して、かなり無駄な部分を省いていった。そうする中で、釜浅商店がこれから進むべき道が見えてきたんですよ。
今はただ頑張れば結果が出る時代ではないし、決まった成功の形があるわけでもありません。だから、個々のお店がそれぞれの身の丈に合った進化ができれば、街全体も少しずつ変わっていくはず、そう思いますね」
熊澤大介さん
●くまざわ・だいすけ 1974年生まれ。家具店勤務を経て家業の釜浅商店に入社。2004年より4代目店主に。「良理道具」のコンセプトを広めるべく、さまざまな試みを行っている。著書に『釜浅商店の「料理道具」案内』(PHP研究所)がある。
釜浅商店
住所:東京都台東区松が谷 2-24-1
営業時間:10:00 〜 17:30
年中無休(年末・年始を除く)
http://www.kama-asa.co.jp
写真/石原敦志 取材・文/黒田創 編集/木村俊介(散歩社)