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木瓜の花は初恋に匂い

 その日の朝は、この田舎特有の霧が住宅地をまるで隠すかのようにおおっていました。早春のこの清んだ空気にはあまりにも似つかわしくなくて、私――佐藤しずえ――は玄関を掃いていた手を止め、
「まだまださむいわねぇ・・・・・・」
 そう誰に言うでも無くつぶやいていました。すると
「しずえちゃ~ん!!」
 急に呼ばれた名前よりも、絶対にこの場所では聞かないはずの声に戸惑いながらも
「勇ちゃん・・・・・・?」
 とまだ何も見えない玄関の外に向かって声を掛けると
「あったり~」
 と何故か淡紅の花をつけた盆栽を抱え込んだ孫の勇が右頬を腫らしながら今にも泣き出しそうな笑顔で私の胸に飛び込んできました。
「・・・・・・とりあえず、中に入ろうか?もう春に近いけど二月じゃ寒かったでしょう」
 勇はこの早春とはいえまだまだ寒い中を歩いてきたのでしょう、体はすっかり冷え切ってカタカタと小さく震えていました。

 私が借りている田中住宅は大家さんが元々住んでいた家を貸家にしただけあって給湯器や広いお風呂など歳をとってきた私には有り難い家でした。私は五年前に夫を癌で亡くしてから抜け殻のように暮らしていたのを、やっぱり早くして夫を病で亡くしていたお茶のみ友達だった田中さんが
「旦那さんと暮らしていた家にぽつんといたら、貴女までおかしくなっちゃうわよ!どう?ものは相談なんだけど私が旦那と暮らしてた家がそのまま残ってるのよ。もし良ければその家を管理人って形で住んでもらえないかしら?」
「そうよね・・・・・・悪いけどそうさせてもらうわ」
 そして、今住んでいる訳なんだけれど一人暮らしにはもったいない位綺麗な家で、部屋数は六畳間が二つ襖で行き来できるようになっているし、台所はダイニングキッチンで田中さんのこだわったというシステムキッチンは淡いピンクで統一されていて、そこに置いてある一人用のダイニングテーブル――せっかくだから淡いピンクにした――でゆっくりと色んなフレーバーティーを飲むのが今のマイブームになってる。
 私が此処に住み始めてから田中さんは大喜びで
「貴女が几帳面できれい好きなのは知っていたけど、こんなにきれいに家に住んでもらえて嬉しいわ」
 とよくお茶を飲みに来たり、二人で
「たまの贅沢よね」
 と外食に行ったり、良好な関係を築けてるし何も不安は無いのだけれど不満はあったりもして。――それは――

 息子の正が離婚をすると言ってきて、驚いたのは去年の同じ位の時期でした。ぶっきらぼうに
「嫁が浮気をしていた、勇は俺が引き取る」
 とだけ言うと、まるで何も言わせないとばかりにお茶も飲まずに帰っていったのでした。その態度にちょっと腹が立ったのと、まだ小学生だった勇の顔が浮かんで何とも言えない気分になったのでした。
 案の定今日の勇の状態です、私は正にムカムカしながら玄関を入ってすぐの茶の間に勇を通してストーブをつけると
「温かいの煎れるわね、ココアでいい?」
「うん、ありがとシズエちゃん」
 うつむいたまま返事をした勇に後ろ髪をひかれつつ、奥の台所で電子ケトルでお湯を沸かしながら、これから何て勇に聞こうかとボンヤリ考えてたときエプロンから聞き慣れた着信音がなりました。急いで出ると案の定正からで
「勇がいなくなった! 母さんの所に行ってないか?」
 答えようと口を開けかけたとき、いつの間にか勇がいて首を横に振っていました。
「来てないわねぇ、ちゃんと探した? こっちでも心当たり探してみるから」
 そう言って通話ボタンを押すと勇が
「ごめんね、でも今父さんに会いたくない」
 そう言ってボロボロ泣く勇を抱きしめながら
「いいのよ、ほら向こうに行って一緒にココアでも飲みましょう」
 と勇にココアの入ったお気に入りの白いカップを持たせて、自分のカップにも紅茶を煎れながらこれからどうやって親子喧嘩の理由を聞き出そうか頭を痛めていました。

 茶の間に戻るとフウフウと息を吹きながらココアを飲んでいる勇の前に座って
「どう?大丈夫?少しは暖まった」
「うん……」
 静かな茶の間に飲み物をすする音だけがながれている……するといきなり勇が笑い出して
「昨日の騒ぎが嘘みてー」
 私は笑顔を作りながら
「ふーん、騒ぎって?」
 勇は一瞬固まった――多分口がすべったんだろう――が意を決したように
「シズエちゃん、聞いてくれる?」
「いいよ」
 すると勇はポツリポツリと話しはじめたのでした
「俺好きな人が出来てね……今行っている中学校の担任の先生なんだけどね」
「そう、素敵なことよ。人を好きになるって事は」
「そして、冬に入る前にこの木瓜の盆栽をくれたんだ。俺嬉しくて嬉しくて……シズエちゃん、木瓜の花言葉知ってる?」
「ごめんなさいね、あまり詳しくないな」
「色々あるんだけどね、(一目惚れ)ってあって俺てっきり先生も俺のことすきなんだーって勘違いしてた」
「何で勘違いって思ったの?」
 ここで勇が泣きながら
「昨日、父さんから(好きな人が出来た)って紹介された人が……うぅ、先生だったんだ。思わず(先生の馬鹿!)って言ったら、父さんに……殴られて」
 勇のことを抱きしめるとわんわん泣き始めて
「俺……が馬鹿なんだよね、よく考えればこんな餓鬼相手に好きにならないよね」
 私は勇の目を見ながらいいました
「勇は素敵な男の子よ、それに賢い。本当は木瓜の盆栽を貰ったときわかってたんでしょう?」
 勇は涙を拭きながら
「木瓜の花言葉の一つに(指導者)って意味があるんだ、それと前に家庭訪問に来たとき父さんが『恵ちゃん』って」
「あぁ……昔隣にそんな名前の小さい女の子がいたわねぇ。それで?」
「何回か、休みの日に友達と遊びに行くとカフェで先生と父さんが楽しそうに話してるのを見た」

 何て言ったらいいか考えあぐねているとき、ふいに玄関先で田中さんが
「シズエさーん、息子さんが来てるわよ!」
「ヤバい、シズエちゃんどうしよう?」
 私は笑顔で
「大丈夫!私にまかせて」
 と言うと、玄関に行きました。そこには如何にも不機嫌そうな正が待っていました。
「母さん、勇を隠すの止めてくれないかな」
「正だって母さんに隠してることあるでしょ?『恵ちゃん』とか?」 ぐっと言葉に詰まった正に私は言いました
「勇みたいな思春期の子供がいるのに、あんまり褒められた行動ではないわね?『恵ちゃん』も、勇の気持ちには気付いていたはずでしょう?」
「それが……全然気付いてなかったらしい、昨日も『やっぱり担任がお母さんだといやよね』って肩を落として帰っていったから」
 それを聞いていたのかガターンと後ろで引き戸が外れる音がして勇が
「父さん、それ本当?」
とがっくりと項垂れています。可哀想に……、すると正が
「勇……その盆栽は『恵ちゃん』のお爺さんの形見だそうだ。俺が離婚した後元気がなくなった勇を気に掛けていたそうだ、それで俺が幼なじみってわかってあの盆栽を渡したらしいぞ」
「……何で」
「あの小さな花が早春に咲くように、冬の季節もいつかは終わるんだよって言いたかったらしい。花言葉は聞いて絶句してたぞ」
 勇は顔を上げ
「なーんだ、俺が馬鹿じゃん!父さん、担任泣かせたら俺が今度はぶっ飛ばすからな」
「……それって?」
「幸せになれよって事だよ」
「勇~」
 正は思わず勇に駆け寄って涙ながらに頬ずりしています、勇の半泣きしながら
「父さん、痛いよ。髭そってこいよ」
 とされるがままになっています。そこへ田中さんが来て
「やっと話しがまとまったか!お腹空いているでしょう、田中さんお手製のお赤飯のお握りでも食べなさい」
 と大皿いっぱいのお握りを持ってきてくれました。正と勇は歓声をあげて
「もー、田中さん大好き!!」
 と言いながらお握りにかぶりついています、それを田中さんと二人で見ながら
「よかったわねぇ、シズエちゃん」
「えぇ、本当に」

「お邪魔しました~、シズエちゃん朝から有り難う」
「いいけど……盆栽は?」
 勇がこっそりと
「俺の初恋、置いておいて」
 と耳打ちしてきた、その笑顔はスッキリとしていました。
「わかったわよ」
 その時正が
「ボケないようにか~」
 頭に久しぶりに拳骨をしたのは、間違いじゃないと思うのです。
 二人を見送った後で、田中さんとまだ見ぬお嫁さんの話しをしたのは内緒にしておいて下さいね。


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