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「海を育てる森がある」鳥羽の旅館が、森に遊び場とツリーハウスをつくった理由:造園家・溝口達也さん × 旅館「扇芳閣」5代目

伊勢志摩の鳥羽にある旅館・扇芳館(せんぽうかく)。

2020年4月、5代目の社長を継承した、せんとくん(谷口優太)は、これからの旅館のリブランディングに合わせて、リニューアルを進めました。

世界中で人々の動きが止まり、観光業界も厳しい時期に直面したコロナ禍。扇芳閣のリニューアルは、当初の予想に反して、スピードもスケールも想像以上に大きくなって、いち早く進みました。

noteで紹介してきたように、多世代の家族が旅行を楽しめるファミリースイートルームや、海からの風が感じられるダイニング、1階のライブラリーとプレイスペースが誕生。

鳥羽湾を一望できる山のふもとにある旅館・扇芳閣のファミリースイートルーム

子育て世代、多世代の家族旅行で訪れるお客さまを迎えるのが、私たちの日常になりました。プレイスペースで元気いっぱいに遊ぶ子どもたちを眺めるのは、とてもうれしいひとときです。

そして、いよいよ2024年春、扇芳閣の裏にある山を拓いて整えた「はじまりの森」を、子どもや大人に楽しんでもらえる時が来ました。

小さい頃、せんとくんが遊んでいた裏山が、わくわくする自然の遊び場になったのです。

森の入り口には、コーヒーヒースタンド&お菓子づくり工房「ヒノヤマラボ」がオープン!

子どもが45人が同時に乗っても大丈夫でした!

山の中腹には、巨大なツリーハウスも完成しました!

2023年に対談した建築家の藤原徹平さん(フジワラテッペイアーキテクツラボ:FUJIWALABO主宰)もお話されていましたが、鳥羽にある旅館・扇芳閣のリニューアル構想は、じつは最初から「山」とともにありました。

この「はじまりの森」は、どうやって誕生したのでしょうか?

扇芳閣の森を訪れた大人や子どもに、新たに生まれる時間とは?

鳥羽の自然や文化、そして扇芳閣の個性を生かしたこれからの観光業のありかたとは?

今回は「はじまりの森」のコンセプトを一緒に作り、森づくりに伴走してくれている株式会社landscipe代表の造園家・溝口達也さんと、せんとくんが森で語り合いました。


海のある鳥羽、山にある扇芳閣の森づくり

——最初に、溝口さんが扇芳閣を訪れたときの印象はいかがでしたか?

溝口:初めて建築家の藤原さんと扇芳閣に来たとき、いきなり山登りが始まったんですよ。館内も通ったと思うんだけど、印象としては“山登りした”って感じでしたね。

最初に思ったのは、「鳥羽といえば海」の印象が強かったんですけど、ここは樋ノ山(ひのやま※)なので、この山に降り注いだ雨が、川水となって海に流れていく。山と海が「水」でつながっている自然のサイクルが見える。そういう意味では、樋の山に人が関わることで、伊勢志摩の環境が変わっていくのは面白いなと。

※「樋ノ山」の「樋(とい)」は、「雨水を受けて地上に流す装置」の意。扇芳閣のある伊勢志摩は全国でも有数の雨が多い地域です。

株式会社landscipe代表の造園家・溝口達也さん


——「水が樋(とい)のように流れる樋ノ山」と、せんとくんは藤原さんや溝口さんにお話したそうですね。

溝口:『山に木を植えました』という気仙沼のカキ漁師、畠山重篤さんの絵本があります。

森の木々が葉を落として、それが土の中で栄養分に変わります。その過程で、「フルボ酸」という物質が「鉄」と結びついて「フルボ酸鉄」になります。このフルボ酸鉄が海まで流れついて、それが海藻の栄養吸収を助ける。太陽光によって海水が温められ、海の水が山に雨を降らせる......。この大きな自然のサイクルが、絵本で描かれているんですね。

扇芳閣は、まさに鳥羽湾を一望できる山手にあるじゃないですか。樋ノ山のふもとに川があって、そこから海に雨水が注がれていく。

だから、鳥羽にあるこの山を最大限に生かすことは大事だなと思いましたね。

——鳥羽の海と山のつながりが感じられる場所ですね。

せんと:僕はなんで藤原さんたちに山の話をしたのか思い出してみたんですけど......もともと僕は「観光地は、ホテルとアトラクション施設があったら成り立つ」と考えていたんです。

綺麗なホテルとディズニーリゾートやUSJのようなアトラクションを作ったらいいんだろうと。

——いまと別キャラのように違いますね(笑)。アメリカ的な考え方というか。

せんと:別キャラですよね。アメリカに留学していた影響もあるかもしれません(笑)。

せんと:僕、長野県の小布施町を舞台に2018年の1年間、観光DMO(地域旅行会社)で旅行ツアーをつくる仕事をしていたんです。

小布施は、まちづくりのお手本にもなるほど美しい町並みがある町です。その町並みの歩道は「栗の木」を使い舗装されています。

最初は「なぜ、栗の木?」と疑問に思いました。

話を聞くと、小布施は、「松川」という魚が生息できないほど酸性の強い川水が流れていて、故にお米が育ちにくい土壌の地域だそうです。ただ、小布施の人が知恵を絞り、米の代わりに工夫して育てたのが、厳しい環境でも育つ「栗」だった。それが今では「栗の町」と呼ばれるまでになり、食に留まらず、栗の木で「美しい町並み」までつくられている。

自分の中で、バラバラの要素だと思っていた「自然」と「地域」が「観光」と一つに繋がる瞬間でした。その経験が僕の考え方をいい意味で大きく変えてくれたんですよね。

観光というものは、人が勝手に作りあげるものじゃなくて、地域の自然資本と文化が結びついてできあがってる。

小布施で過ごした1年間は、伊勢志摩出身の僕にとっては、脱帽の連続でした。本当は鳥羽もそうだったのかもしれないですけど、それまで僕の中で自然資源と観光があまり結びついてなかったんです。

そんな話を、FUJIWALABOのランドスケープデザイナーで友人の稲田さんにしたら面白がってくれて、「町にあるもの、土から湧き上がってくるものを大切にすることが大事、リニューアルするためには、建物から微生物まで幅広く考えないとね!」と言ってくれました。

それで、藤原さんにも「雨水が樋のように流れる樋の山だった」とお話したんです。

小布施で考えさせられて、消費的な人工物をつくる観光地への違和感があるなかで、藤原さんとの出会いもあって。そこから溝口さんに導かれるように出会いました(笑)。

——いまのせんとくんからは、以前は鳥羽の資源を観光に活かす考えがなかったのが考えられないですが、このエリアには、たしかに日本屈指の水族館「鳥羽水族館」やテーマパーク「志摩スペイン村」がありますね。

せんと:もともと、豊かな海の恵みに加えて、「行ってみたい!」と人をアトラクトする施設が沢山あるがゆえに、それを「当たり前」と感じたり、頼り過ぎてしまっていないかな......と思うこともありました。

でも小布施は、雪が降るような寒い季節に、わざわざ外から人は来ない。ときにはネガティブにもなる特性があるなかで、地域資源を編集して、より付加価値をつけて魅力に変えていく。

その地に生きる人たちの精神性とか、地域への向き合い方、観光に来た人への伝え方が、僕が伊勢志摩で見てきたそれとは違うように思えて。これをどうやったら伊勢志摩でやれるのか。そのひとつが森の話かもしれない、というイメージだったんです。

——全国各地で造園され、庭をつくられている溝口さんですが、扇芳閣にはどんなユニークさがあるでしょうか?

溝口:最初に扇芳閣を訪れたとき、僕は生前にお会いした先代・仙二さんの印象が大きかったですね。

昭和のバブルの時代に、ある種のパワープレーで作った大きな旅館があるんだけど、なんとなく仙二さんは、平成や令和の時代を冷静に感じていたと思うんですよね。

仙二さんがつくった「めだかの学校」はひとつのメタファーというか、鳥羽や地球全体のこともそうだけど、人間がやってきたことに対するメッセージが詰まってる。その「めだかの学校」が、谷口さんがつくった「はじまりの森」とつながるのは、すごく面白いルートだなと。

その日は、下から山を登ってきてここに辿り着いて、藤原さんや谷口さんと「ここ、入口にいいかもね」と話せて、最初からイメージを共有できていましたよね。

扇芳閣の裏山を登った先にある、先代の仙二がDIYした生物多様性を考える「めだかの学校」ビオトープには約5000匹の黒めだかが泳いでいる。

山と海をつなぐ「はじまりの森」

——その後、「はじまりの森」の構想は、どんなふうにして出来上がっていったんですか?

溝口:「はじまりの森」は、谷口さんが名づけてくださいました。

せんと:一般的に「森に雨が降って、その水が海に流れる」みたいな循環の話はよく知られていると思うんですけど、僕としては「漁師さんが森のことをよく知ってる」っていう感覚があったんですよ。

一同:へー!

せんと:昔は漁で使用する漁具も森の木でつくっていて、漁師さんは道具を介して山とつながってる感じがあったんです。気仙沼で植林したカキ漁師さんの話と近いと思うんですけど。

漁師さんは、森の木が揺れるのを見て「今日は漁に出ていい」と判断したり、森のもので生活の糧を整えたりしていた。そういった生業も含めて、いろんなものが山から始まっていく感覚があったので、大きな話ですけど「はじまりの森」という名前をつけたんです。

そんな徒然な文章をバーっと書いて、森で目にとまったタブノキの葉っぱとともにスキャンして、シートに貼って、溝口さんに送ったんです。

溝口:私も谷口さんも同じような文章を寄せてるんですよ。

僕も最初に話したように山と海のつながりを考えていましたが、谷口さんは漁師さんを介して鳥羽の循環を感じて表現している。


「はじまりの森」コンセプト

——冒頭にある「海を育てる森がある」は、漁村・鳥羽市に残る言い伝えなんですね。ちなみに、ツリーハウスの構想はどうやって生まれたんですか?

せんと:最初は、プール横にある森の入り口に「森のアスレチックを作りたい」と思っていたんですよね。

その後、建築家の藤原さんとお会いして、FUJIWALABOとのマスタープランづくり(基本構想)で僕のライフヒアリングを進めていくなかで、「実家の裏山の木やヤマモモの木にツリーハウスを作っていた」という話をしたら、「それなら、ツリーハウスつくりましょう!」と。「で、森の中では、どの木で遊んでました?」みたいにトントン拍子に話が進んでいきました(笑)。

裏山の森が、自然の遊び場になるまで

——実際に、「はじまりの森」はどのようにつくられ、拓かれていったのでしょう?

溝口:場づくりの話でいうと、僕はアフガニスタンの人々に「武器ではなく鍬を持て」と呼びかけ命と向き合った医師の中村哲さん(人道支援のNGO「ペシャワール会」現地代表)が好きなんです。

哲さんは、アフガニスタンの砂漠にコンクリートではなく、現地にある石材を蛇籠に詰めて水路を作られました。その理由は、哲さんが死んだ後も、そこにいる人たちで直せることが大前提だったからです。

僕も同じように、特別な素材ではなく、地域で誰でも手に入れることができるものや、この敷地のなかにあるものを最大限活かしながら場を整えていくことを意識しました。

例えば、掃除で出た枯れ枝は、無煙炭化器で炭にして山に撒き、通路をつくる時に切った剪定枝は、チッパーでウッドチップにして広場に撒きました。

階段や手すりには、近くのホームセンターで購入した焼杭や綿ロープなどを使ったり、場を整備して集まった倒木や石材なども使ったり。どちらも誰でも簡単に施工できる方法を意識しましたね。そうすれば壊れてもそこに関わる人々がいつでも手直しできるから。

溝口:あと、やりすぎないことを大事にしましたね。

通路も、「ここに道を通したい」というより、山を歩いてみて「ここに道、あるよね」という感じで、大きい木を軸にしてなんとなく道ができてきて。「広場みたいな場所も欲しいよね」となって、タブノキ広場のようなちょっと間のあるスペースをつくって。本当に、動物が歩く道や、風が通る流れなどの自然に逆らわず、あるべきところに返していく手法です。


——お話を聞いた後に、あらためてこの森を見渡すと、まさにありのままの空間ですね!

溝口:何にもやっていないような。余白たっぷりでいいと思ってるんです。

これからは谷口さんや扇芳閣に来る子どもたちが使っていくわけで、飯盒(はんごう)が炊ける場所ができたり、木の枝や葉で染色ワークショップをやったり......自然教育みたいなことも広がっていけばいいんじゃないかな。使うことで育っていく場って魅力的ですよね。

溝口:そのなかで、「めだかの学校」が知のインプットのような場所になればいいなと。

例えば、「めだかの学校」には自然を感じる本がたくさん選書されていて、「はじまりの森」で実際に体験していけるような、頭と身体、知識と経験がつながる場になればいいですよね。仙二さんの思想を残しながら、(時代に合わせて)編集していくといいのかな。

せんと:森での学びとか、祖父は「大人が変われば、子どもは変わる」と本当によく言ってたので、そういう精神性も残せたらいいですね。

溝口:ここに地域の保育園の子どもたちが遠足に来ると聞きました。自然教育は地産地消であればいいと思うけど、そういう場を仙二さんは提供できていた。それをより一歩踏み込んで、谷口さんは、実際に体で感じてもらうために子どもたちを森の中まで誘っていいですよね。

この切り株も、もうテーブルと椅子ですよね(笑)。

人の手が入れやすい、扇芳閣の“完成した森“

——この森には、どんな木がありますか?  植生など、特徴があれば教えてください。  

溝口:今回しっかり整備した、タブの木広場と呼んでいる辺りには、タブやシイなどがあります。これらは常緑広葉樹(陰樹)で、遷移(せんい※1)の最終段階、極相(きょくそう※2)段階に生えてくる木。日陰でも芽を伸ばせるんですね。

※1 遷移:一定の地域の植物群落が、それ自身の作り出す環境の推移によって他の種類へと交代し、最終的には安定した極相へと変化していくこと。

※2 極相:群落全体で植物の種類や構造が安定し、大きく変化しなくなった森林

溝口:少し下の方には、コナラなどの落葉広葉樹(陽樹)がありますね。カフェの方の一度人の手で開かれた場所には、常緑針葉樹(陽樹)のアカマツのようなパイオニアプランツ(裸地が植生を拓いていく際、最初に芽を出す先駆植物)もあって、いろいろ混ざってる状態です。人が植えたのかもしれないけど、常緑針葉樹(陰樹)のスギやヒノキもあります。あとは、プレイネストの横にそびえる落葉広葉樹(陽樹)ヤマザクラも立派ですね。

せんと:桜が楽しみですね。

溝口:まだ遷移の途中段階の山だと、フジやクズなどが他の樹々などを覆い、積極的に人が関わらないといけないんですけど、ここは遷移の最終段階、極相林だから植生は安定していて手を入れやすいんです。

溝口:僕らは本当に作為的になりすぎないように意識して、人が通るところに出ていた下枝を払ったくらいで極端には切ってないんですね。真に自然の造形だから美しい。

せんと:昔から、ここ(タブノキ広場)には空間があったんですよ。小さい頃、ここで友だちと焚き火をしたこともあります。陽が入れば気持ちよさそうですよね。

——ツリーハウスには、ここの木材も使われていますか?

せんと:全部じゃないですけど、一部はここで切った木を採用しています。窓枠の木は、この辺で拾った木を生かして、藤原さんたちにDIYしていただきました。

溝口:森を整えてるときに、パトリックや浜本さん(FUJIWALABO スタッフ)が枝を選びにきて、「この木、使えるな」っていってたよね(笑)。

子どもたちがぐんぐん登る、山の秘密基地

——「はじまりの森」は、いつから遊べるのでしょうか?

せんと:冬場は寒いので、プレイスペースを中心に遊んでもらいながら、春からご案内していきます。本当はオールシーズンでもいいと思ってるんですけど。

溝口:今朝、みなさんの子どもたちと一緒に山を登りましたけど、ちょっと寒い日(3月上旬)でも、子どもがあれだけ喜んでいる様子を見ると、オールシーズンでもいいと思いますね。

せんと:本当に、子どもたちが楽しんでいる姿を見ちゃうと、本当にうれしいなと思いますね。ロジックでは説明できないんですけど、ここでしかできない体験だなってあらためて思います。

悔しいけど、館内のプレイスペースや客室(ファミリースイート)より、山の方がみんな楽しそう(笑)。森は、すべてが自由で、制約はないですからね。

——子どもも大人も、身体を使って体験する場は大切ですよね。普段の生活では、どうしても頭で考えがちなので。

せんと:山を歩くだけで、めちゃめちゃ身体を使うんですよね。

全然リズムが変わるじゃないですか。身体のハリも感じられて、大人の方がより体験できるかもしれない。子どももより子どもらしく遊べる。

だから、あえて坂の下から一緒に登っています(笑)。

——普段はサッカーには自信があるうちの子も、慣れない山登りで脳がクラッシュしてました。

溝口:すごくいい体験ですよね。

せんと:100mくらいですけど、あの距離でそれを感じられるのはいいですよね。

「はじまりの森」のこれから

——これから10年後、30年後、100年後ーー。どういう森になっていけばいいと思いますか? 

せんと:伊勢や志摩には、自然神ーー神様がいる場所として奥山があって、奥山には動物たちの棲家があります。人が住んでいる山や森は、間借りさせてもらっている場所なんですね。

そんな動物と人の間、街と奥山の間にある「里山」として、人も楽しみながら手を入れて整えていけたらなと。里山があることで、動物にとっても人里や町に間違えて入らなくてすむように。

何か大きく変えるというよりも、きちんと整えていく。整え続けることが大事なんだろうなと思います。まずこの山でもやりますし、他の場所でもやっていきたいですね。

その姿は、5年10年経っても多分、変わらないんだろうなと思います。

——変えるのではなく、整えていく。

せんと:僕は、「森で◯◯教育」みたいなものは、ちょっと押し付けっぽいというか、どちらかとうと「教えるもの」というよりは「教えないもの」に近しい感覚があって。「こういう学びの場所にします」みたいにラベルを貼るのは、僕は得意じゃないんです。

溝口:なるほど。

せんと:得意な人にはやってもらえばいいと思うんですけど、本当に遊ぶ延長で何か気づくものがあればいいなと。「土って触れるんだ」と気づいて、感じて、帰っていく。そういう場所になってほしいと思います。アクセスしやすいようにしてあげることはできると思います。

——溝口さんはいかがですか?

溝口:今、学校教育では、自然を科学で学ぶ時代です。谷口さんがおっしゃったように、やっぱり実際に感じてみることは大事ですよね。

伊勢や鳥羽、あとは和歌山のエリアは、巨樹・巨木に出会って、自然への畏敬の念が沸き起こるような場所が日常の隣り合わせにあります。

僕は、人が山に積極的に関わっていくことで、その場が豊かになっていくことを目指せたらいいなと。自然におまかせなんだけど放ったらかしがいいわけではなくて、謙虚な気持ちで人も関わらせてもらって、お互いにハッピーな関係をつくっていけたらいいんじゃないかな。それが里山のあり方だし、日本の人たちがもともと持っていた感覚だと思います。

——扇芳閣に泊まりにきた人にとっては、「はじまりの森」の存在によって、どんな時間が生まれるでしょうか?

せんと:ちょっと抽象的なんですけど、街は大人中心ですけど、自然のなかでは大人も子どももすごくフラットになれると思うんですよね。いい意味で逆転したりもする。

普段の生活では、子どもが大人についていくことが多いと思うんですけど、ここでは子どもの方がてくてく先に登っていって、大人が「早く来てよ」って言われたり。日常とは違った関係性が生まれるのは、すごく面白いんじゃないかなと。

山を見てすぐに駆け上がった子どもたち、のんびり登る大人たち

溝口:逆転してたよね。

体験してもらう場として、自由度を作っていく魅力がありますよね。よく色んな場所に書いてあるような「怪我の責任は一切負いません」みたいなきつい言葉ではなくて、「自己責任でお願いします」の自由度を高めていくには、ここは大きすぎなくてサイズがすごくいい。

親の目も行き届く範囲だから、それができるサイズ感だと思うんだよね。そういう責任や自由度の境界線をちょっとずつ溶かしていくことは、時間をかけてやっていくといいですね。

——遊び場から、自由度の境界線を溶かしていく。いい実験ですね。

せんと:妻とも「息子にとって、どんな場所になったらいいんだろう?」ってよく話すんです。例えば、火を起こして、どの木がよく燃えて、どこに風を送ると火が大きくなるのか。僕もここでそんなことをやって楽しかったんですよね。

地域の人や地域の子どもたちにとっても、ある意味ちょっと行き過ぎて楽しめる場所はあっていいんだろうなと。観光客の方にとっても、鳥羽でしかできないことではないけど、ここでそういう体験ができるのは面白いと思うんです。

そうすると、ただ“旅行先”を選ぶ感覚じゃなくなると思うんですよね。なんというか“もうひとつの実家”に来るような感覚に近いというか。

——“旅先”ではなく“もうひとつの実家”になる。安心して挑戦できる場所になる。

溝口:その谷口さんのマインドが扇芳閣とセットで染み出てくると、全然違う価値になっていくんじゃないかな。

僕は本当に、「めだかの学校」からいろんなメッセージを感じたので。アート性は強いけど、仙二さんの心の声でもあったと思うんですよ。

せんと:言葉としては、SDGs、ESG、サーキュラーエコノミーとかいろいろありますけど、人と自然の距離を近づけていこう、自然のなかに人がいると認識していこうという方向性ですよね。時代の要請としては、20〜30年前の祖父のときよりも今の方が強い。

学校にもいろんな掲示があるんですけど、今はもう掲示ではダメというか、体感して自分事にならないといけない。知ればいいという時代でもなくなってきた。

溝口:「はじまりの森」は、いろんな人の体験の入口になるよね。

せんと:旅先には違うマインドで来てるから、意識が変わりやすいところはあると思います。ここで子どもも含めて、遊んだり活動したりできること。パンフレットを読むよりも一人ひとりの発想や体験が大事なので、それができる場所にしていきたいですね。


取材・文:笹川ねこ 写真:濱地 雄一朗


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