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明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る
宗祖(しゅうそ)は開目抄(かいもくしょう)に「日蓮といゐし者は去年(こぞ)九月十二日子丑の時に頸(くび)はねられぬ。此は魂魄佐渡(こんぱくさど)の国に至りて云云(うんぬん)」と、御自身の事を仰せである。これを以(もっ)て当家では宗祖の発迹顕本(ほっしゃくけんぽん)とする。然(しか)るに龍之口法難(たつのくちほうなん)を指(さ)して宗祖が発迹顕本したとするのは何(いず)れの文証(もんしょう)に依(よ
もっとみる止観の七にいわく〜
止観の七にいわく「昔、ぎょう洛(らく)の禅師(禅宗の達磨たち)はその名が世の中に響きわたり、住する時は、四方から仰ぎ尊ばれ、去る時は別れを惜んで阡陌の群をなしていたが、なんの利益があったのだろうか。禅師(ぜんじ)の臨終を 見てみな後悔したと