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9月18日。 神々の誕生日。

妹尾武治
写真: 滝沢比佐子


落合信子
うじきつよし
水野透
神谷明
and my sister

お誕生日おめでとう!


is there really the past?
or is it created now?



明日は、
 高山善廣 が 生まれた日。

This YouTube shows a "試合", Takayama VS Minoru.  
September 3rd, 15 years after this match, they made again,
the Best-Bout-2024.




風の時代?




When The Wind Blows…



マルクスは、もしも社会主義革命が起こらなければ、
資本主義はやがて狂った帝国 ”水曜キングダム” を作り出し、
自然から収奪を深めすぎることで、
この世界が終わると予言した。


自殺は思考の放棄だ。理性を捨てることは愚かだ。

シーシュポスが不条理な英雄であることが、すでにおわかりいただけたであろう。その情熱によって、また同じくその苦しみによって、かれは不条理な英雄なのである。 神々に対するかれの侮蔑、死への憎悪、生への情熱が、全身全霊を打ち込んで、しかもなにものも成就されないという、この言語に絶した責め苦をかれに招いたのである。 これが、この地上への情熱のために支払わなければならぬ代償である。地獄におけるシーシュポスについては、ぼくらにはなにひとつ伝えられていない。神話とは想像力が生命を吹き込むにふさわしいものだ。 このシーシュポスを主人公とする神話についていえば、緊張した身体があらんかぎりの努力を傾けて、巨大な岩を持ち上げ、ころがし、何百回目もの同じ斜面にそれを押し上げようとしている姿が描かれているだけだ。引きつったその顔、頬を岩におしあて、粘土に覆われた巨塊を片方の肩でがっしりと受けとめ、片足を楔のように送ってその巨塊をささえ、 両の腕を伸ばして再び押しはじめる、泥まみれになった両の手のまったく人間的な確実さ、そういう姿が描かれている。天のない空間と深さのない時間とによって測られるこの長い努力の果てに、ついに目的は達せられる。 するとシーシュポスは、岩がたちまちのうちに、はるか下のほうの世界へところがり落ちてゆくのをじっと見つめる。その下の方の世界から、再び岩を頂上まで押し上げてこなければならぬのだ。かれは再び平原へと降りていく。

『シーシュポスの神話』アルベール・カミュ


9度目の夏、

それはニーチェの永劫回帰

天翔龍閃!

それはニーチェの 超人

超人 I gave you…

「火事場のクソ力じゃあああ!」

ゆでたまご, 神谷明




静かに生き残るのは、反抗的人間。

Silent Survivor, うじきつよし



「諦めたらそこで?
       そこで?
     そこで??
  ん??」      

 ”Umm~, Agressive!”

かれが山頂を離れ、神々の洞穴の方へと少しずつ降ってゆくこの時の、どの瞬間においても、かれは自分の運命よりたち勝っている。かれは、かれを苦しめるあの岩よりも強いのだ。

 この神話が悲劇的であるのは、主人公が意識に目覚めているからだ。きっとやり遂げられるという希望が岩を押し上げるその一歩ごとにかれを支えているとすれば、かれの苦痛などどこにもないということになるだろう。 今日の労働者は、生活の毎日毎日を、同じ仕事に従事している。その運命はシーシュポスに劣らず無意味だ。しかし、かれが悲劇的であるのは、かれが意識的になる稀な瞬間だけだ。ところが、神々のプロレタリアートであるシーシュポスは、無力でしかも反抗するシーシュポスは、自分の悲惨なあり方を隅々まで知っている。 まさにこの無残なあり方を、かれは下山の間中考えているのだ。かれを苦しめたに違いない明徹な視力が、同時に、かれの勝利を完璧なものたらしめる。侮蔑によって乗り越えられぬ運命はないのである。

『シーシュポスの神話』アルベール・カミュ

決定論は希望だ。人間に尊厳と思考の幅を持たせてくれる。その思考の幅を身勝手に「自由」に使ってみて欲しい。手のぬくもりが、今も守ってくれる。

『僕の心理実験』妹尾武治




モノ と こころ



その陰陽を無極に戻す。

そのためにこそ、各人が天機に耳を傾けよ。
天機を漏らさないのは、Stand Alone Complexでなければ、
意味がないからだよ。
自分で考える個々人が必要だからなんだ。

人は人を救えない。
三沢は人じゃない。
三沢を救ったのはレオ。
レオはウルトラな人。


それでも


かなしみは絶望じゃなく
   明日へのマニフェスト


苦しみの果てに、人は人を超えていける。


愛(自分)を取り戻せ

自分らしく、俺流に


オレ流オレオレ詐欺

「信子?俺だよ俺。」


ガチャン!



くっ、黒電話!?…?

信子は落合のことを「オチアイ」と呼び、
オチアイは信子を「かあちゃん」と呼ぶのだから!!


愛だけを、信じる子



ニーチェ、カミュの思想は、
井上哲次郎、漱石のそれと同じ。

「その結節点に、滝沢比佐子の愛がある。」

  そう思ってるんだ….

『比佐子その生と死(上)』(滝澤克己編)より


続く 未来へ。 



参考文献


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