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アニメと、 紙 というものの関係。     ひとくち

戦後、10年から20年ほどのことだろうか。
版画教育というものが流行した。

その頃を振り返る資料では、まず、
版を写しだす「紙」という物の性質について書かれていた。

多くの人は紙を、うすくて、軽くて、水に弱くすぐ破けてしまうと考える。
けれどそうだろうか。

工作用の厚紙は、自分の手ではちぎれないほど硬いものもある。
昔ながらの から傘に使われる油紙は、雨に濡れて破れるか。
薄い紙を何百も束ねた辞書は、とても重いはずだ。

紙というものは、私達の考える以上に多様なのだ。

よく私達は紙を平面に使い、その面にものを書く。
けれど、これを折り曲げてみれば立たせることもできる。
折り紙などは1枚の紙からさまざまな立体物が出来上がる。

こんどは明かりに透かしてみる。
ふすま や行燈、提灯ようによく光を通す。

このように、紙は多様な特性を持っており、
私達はその紙の性質の一部を見ているに過ぎない。


はっきりとは覚えていないが、
だいたい こんなことが書かれていた。

残念ながら、どの本だったかすっかり忘れたが、
私としては心に残るものだった。

紙という、この不思議なものの多くは
その特性を隠し持ったまま、表面に文字、絵を描くためとして使われる。


『東都御厩川岸之図』での唐傘。


さて私は、アマチュアの アニメーターとして、
「紙」の性質をよく利用した時期がある。

それは、

 紙を透かし、
 その表面に黒鉛を塗り、
 ペラペラめくる

ということ。

日本では お馴染みのアニメーション制作の手法である。

しかし、この作業は「紙」というものの性質を、
直接体感させられるものだった。

紙は思っている以上に透明である。
私が使うのは、コピー用紙ですこし厚いものだった。
けれどその厚さにして、そこにテレビ石のように
下の紙の線を、しっかりと映し出していた。

トレース台がないため、下から光で照らすことはできなかった。
けれども、ある程度透けて見えるのだ。

こんなとき、鉛筆で描いた線は、紙上の薄い黒鉛の膜として感じられる。
何気ない紙の上に描く、というものが特別不思議に感じるのだ。

そして、「束ねる」ことで上へ、上へ、時間を重ねていく。


実際の、紙上での動画の作画風景。
https://www.youtube.com/watch?v=ox8WDcRjdbwより

さて、近年(というほどでもないが)
作画のデジタル化が進んでいる。

ただ、高齢化の現場にて、
いまさらデジタルで描くことができない人もいるようだ。

紙上と液タブ上、
どのような違いが作業を遅くさせるのか。

理由の一つに、空間の広がりの違いがある。

机上での作業では、机いっぱいに紙を
広げたり、
重ねて束ねたり。
重ねて分厚くなった束からは、その情報量が感覚的にわかる。

ぺらぺらとめくる時だって、
なにも順番に一つ一つめくる必要ない。
指を挟んでめくるのだから、とばしたって、はじめに戻ったっていい。

でも、
画面の中では違う。

いくら大きな画面でも、紙をいっぱいに広げながら作画はできない。
一つのコマを描いている時、そのコマしか画面に映らないアプリが多い。

これは、複数の資料がありながらの作業がなおきつい。
どれがどこのあったか、ファイルを探すのも面倒だ。

それに、厚みがないから、どのくらいの分量の画かわからない。

ページをめくる時も、
2枚目に飛ぼう、3枚前はどうだったか、瞬時に操作して見れない。

近年の液タブ。ワコム、21.5型液晶ペンタブ「Cintiq 22」


さて、アナログからデジタルに切り替わった事による弊害は多くあった。
しかし私は、その逆をよく感じる。

アナログによる、デジタルへの弊害である。
これまでの紙での作画では、その特性上、表現が制限されてきた。

たとえば、薄い線や、線のかすれは紙では表現できない。
なぜなら紙を重ねていったとき、それは透けて見えないからだ。
線は濃く、はっきり描かなくてはブレの原因にもなる。

それに線、とりわけ細い線以外で表現できないのだ。
黒い部分を、作画の時に大真面目に黒く塗りつぶせば、そこは、透かしても下の線が見えなくなる。
だから、動きを決めるときは全て線で描いて、
動きが決まってから色を付ける。

以上のことから紙作業の時代では、
鉛筆で濃淡を付けたり、油絵、色鉛筆のアニメーションは少ないのだ。
(ただ単に時間がかかる、という理由もある。)


今まさに、アニメは日本の「文化」だ。
しかし、文化という古い殻を破れていない。

絵柄、お話は、手を変え品を変え、変化に富んでいる。

しかし、そんなバリエーションのあるアニメを一列に並べるとどうだろう。
同じような絵柄、同じような定型的な手法で作られ、個性のないもので溢れている。

線はコンピューターが描いたような味のないものばかり。
けれども色はベタ塗り。
CG背景は妙にリアルだ。

そのギャップを埋めるため、「撮影」の作業を競って複雑にする。


 紙上に描かれた動画。
ベタ塗りで色を付ける。
光(トーカ光)を入れた画像。
以上、https://anilasoft.jp/より。このソフト自体は、大変良質なツールです。

デジタル化したことで複雑なフィルター、むらのない動き、発色の良い色は表現できるようになった。けれど、これはセルアニメをデジタルで模倣したに過ぎない。

デジタル化はアナログの模倣ではない。
デジタルでしかできない表現をゼロベースで構築すること。
これが今の世代のアートの制作であるべきだ。

デジタルで可能な新しい表現はいくつもある。

線の太さはもちろん、変化に富んだグラデーションや水彩のように透明なものを重ねることもできる。
画像を歪めることで油絵などを動かすこともできるし、濃淡のあるハッチングも表現できる。

特定の色にノイズをかけたり、ぼかしたり、歪めることもできる。

よく考えてみれば、私より皆さんのほうが良いアイデアがたくさん思いつくのではないか。


このようなデジタルでの新しい表現では新しいツールが必要だ。
ただ、いちいち技術者に頼むのは大変なことだ。

これからはそのツールを、
プログラムを知らぬ表現者にも開発できる環境が必要だと思う。

今まさにコミュニティー内で開発が進んでいる。
実現可能かはわからないが、とにかく助けを頂きたい。
2024年、夏ごろに試験版完成を目指している。




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 この記事の作者:  000-  eizou

詳細:オリジナルアニメ『眠ㇺ -nemu-』を制作中。
リンク:https://sites.google.com/view/sennzai/%E6%98%A0%E5%83%8F%E9%83%A8%E9%96%80

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