第二の人生はのんびり好きなことをするのが本当に幸せなのか
「やあ、お久しぶり」と人の良さが滲み出るその柔らかい笑顔は以前と全く変わらない。品の良い佇まいの中にも人懐っこくおおらかで優しい人柄が溢れ出ている。
彼の名は羽多野さんという。
羽多野さんに出会ったのは4年ほど前、起業を目指す老若男女が集まり、政治家や地方自治体の長も輩出するある塾の講座の小さい一室だ。羽多野さんは当時からある事業を立ち上げようと模索し、過去の社会事業家のケースを学び、同期の受講生と侃侃諤諤意見を交わし合い、プランの熟考を重ね事業立ち上げのために邁進していた。
そんな彼が今どうしているのか気になって、今回訪ねてみたのだ。
ひとしきり塾仲間のことなどで話に花を咲かせた後、今はシニアの知見で地域社会に恩返しできないかと事業を立ち上げ日々奮闘しているのだと話してくれた。そんなこともあり、前から気になってはいたけれど、私自身も今後迎えることになるミドルやシニアの現実からいよいよ目を背けることができなくなったのだ。
シニアの定年後の人生はパラダイスかそれとも消化試合か
ミドル世代の定年後のイメージはこんな感じか?「定年後は会社に縛られることなく趣味や娯楽や旅行などを存分に楽しみたい」「子供の学費もほぼ終了。資金的にも余裕ができて定年後が今から待ち遠しい」
そんな夢のような生活が定年後は続くのか?人生100年時代、余生は思いのほか長い。医療の発達により健康寿命も伸びていて、スポーツクラブやゴルフ場などはどこも元気なミドルやシニアで溢れている。
充実感溢れる人もいる一方、意外にも大企業で長年活躍してきた人ほど、自由な生活を待ち望み夢見た定年後は想定外だったりする。頼りにされていない無力感や孤独、ぽっかり空いた時間の過ごし方が思いつかず暇を持て余してしまうのだ。
日本特有のシニアの実態
先出の羽多野さんは東京の国立大学に在学後、銀行に30年弱、その後一般企業に役員として11年半ほど在籍、そのほとんどを国際業務に従事してきた。日本に戻り、雇用延長の流れが加速する中、日本の雇用システムの課題を強く認識するようになる。
定年後、楽だがやりがいを感じられないぬるま湯のような斡旋先に送られるOB。役職定年で今までより低いポストでの雇用延長で能力に見合う仕事や立場に就けず、鬱々とした日々を送る60代。大企業では60代の人材を持て余している一方、中小企業では新入社員の採用も難航し人材が不足している。
疲弊する中小企業
もともと日本はファミリービジネスが経済の大きな部分を占めていて規模の小さな会社が多く経営改革が遅れている場合も多い。先代のやり方をそのまま踏襲、経営者自身が社外で研鑽を積んだことがなかったり、相談できる人材がいないからだ。一方、近年は物価上昇や資材調達の混乱、デジタル化、脱炭素化、人件費アップや人材不足など構造的、戦略的に取り組まなければならない課題が盛り沢山。どう経営改革を進めていけばいいのか、一人頭を抱えている経営者も多いという。
中小企業に恩返しをしたい
羽多野さんの実家は事業を営んでいた。だから中小企業の経営改革が如何に大変かはなんとなくはわかる。幼少期からずっと近くで見つめてきた両親が次から次へと訪れる苦難と奮闘する姿が大変さを物語っていたからだ。
人材不足に頭を悩ます地元の中小企業に、シニアの幅広い知見を活用して地域に貢献し恩返しをできないかと考えたのが、この事業を始めたきっかけだ。一方では人材不足なのに、もう一方では優秀な人材を飼い殺しにしてしまう実態。引き合わせることで、シニアも中小企業もハッピーになるのではないか。この考えが頭をぐるぐるめぐり、いてもたってもいられなくなった羽多野さんは、報酬は悪くないが雇用されるという選択肢を捨て、人材活用のための互いの架け橋となるべく茨の道ともわからない起業を決意する。
その会社の名はなんと『知見パワー』だ。なんとストレートな名前だ。何をしたい会社なのかがはっきりと滲み出ている。パワーなんて聞くとTVに出てくる芸人をついつい思い出してしまうが、羽多野さんは至って真面目だ。なんでも横文字のネーミングが流行っているこの頃、この直球で飾らない社名が逆に新鮮で心に力強く訴えかけてくる。羽多野さんの裏表のない明るいお人柄がそのまま滲み出ている。
双方の架け橋になれば
現在羽多野さんの会社には多くのシニアが登録している。多くは60歳から70歳前半の方(1/4位の方は起業して個人事業主として働いている方)だという。複数の職場を経験することで違う文化や考え方を経験でき、人間としても仕事人としても幅が広くなり、本人にとってもメリットは多いと羽多野さんはいう。登録者も、報酬目当てではなく純粋に自分の知見で貢献できればという方がほとんどだ。
ところが、意外にも中小企業の経営者の依頼はそれほどには多くはないという。羽多野さんは地元の商工会議所や中小企業家同友会などに所属し、様々な事業を経営する中小企業の経営者との交流を重ね懇意になって本音の話を聞くうちに、いろいろな課題が見えてきた。それはシニアに対する先入観だ。「大企業で活躍してきたシニアは頑固で威張っているのではないだろうか」という少しネガティブなイメージがあるのだ。それに加えて一人一人の守備範囲がどうしても広くなる中小企業には大企業出身者は使いにくいのではという印象もある。
現在羽多野さんは企業からの指名もあり、事業のために自身も経験を積むためにと、海外取引の推進を模索する中小企業の仕事を請負、海外出張に同行したり、英語の書類の作成やチェックなどを行っているという。国際的な取引にも通じ、銀行員として多くの会社の経営課題にも向き合い、役員としてマネジメントにも実績を積んできた羽多野さん。豊富な経験をもとに、働き方も含めた最適なシニアの人材をマッチングし、お互いの調整役を一手に引き受けてくれる。
羽多野さん自身もシニアの年齢になり、仕事を継続していくためには、無理をしすぎずペースを守ること、家族や地域の繋がりも大切にすること、健康に気を遣うことを大切にしながらの働き方の重要性を実感しているそうだ。
中小企業側、シニア側それぞれ勤務の頻度や業務内容など双方から希望を聴取し羽多野さんが調整の上お互いが納得のいく形でスタートするので、双方の認識不足によるトラブルは起こりにくい。もちろん業務がスタートしてからも適宜相談にのって寄り添ってくれるのだ。そして一定期間は知見パワーへの手数料は発生するが、その後双方が望めばお互い直接雇用契約を結ぶこともできるという。
高齢化と中小企業の人材不足の解決は日本の喫緊の課題
今後も高齢化が予想される日本社会。羽多野さんの知見パワーのような取り組みによって、日本の人材という宝が大企業のみで持ち腐れになることなく適材適所で活躍し循環するようになることが、急速に進む高齢化及び人口減少の波に対応する上で必要なのではないだろうか。