良い大学を出たはずなのに。転職を繰り返し、気付いたら自分の居場所がわからなくなっていた
褒められてきたレール
世間一般的に言われる良い高校に入り、有名大学に入学。自分の意思というよりも、親が「大丈夫」と言ってくれた道を正当に進んできた。就職活動においても、安定と言われている金融企業にて内定を獲得。第三者から見たら、理想に近い人生を歩んできました。
とっても真面目に育ってきたかというと、真面目な部分もありつつ、友人たちとふざけたり、馬鹿なことをしてみたり、と場に応じたおちゃらけもしながら楽しむことができる性格。どんなところでも褒めてもらえたり、頼ってもらえたり、相談に乗る人として、気付いたら場の中心になっていることも多々あるような人柄の持ち主。
レール上での違和感
周囲よりも比較的自由に、楽しそうに歩んできているので友人に相談しても「あなたなら大丈夫。好きなようにやってみたらよいよ。」という返答ばかり。好きなようにやってきている自分なはずなのに、好きなようにやってみたらよいよ、と言われても欲しかった返答じゃないと感じることも。そんなことが何回か続くうちに、自分の歩みが間違っていたのかもしれない、と感じるようになってしまった。そして自由に動くことに対しても自信を失い始めていたのです。
『親や周囲の期待に答えるように好きにやってきた。そのはずなのに感じる不足感や違和感の正体はどこにあるのだろうか。』
自分の才能は、自分が一番気付いていない
自分が今まで焦点を当ててこなかった事柄や場所、環境ごとに出る人それぞれの役割があります。これらを一つ一つ丁寧に解き明かしていく中で、同じようなパターンが存在していることが明らかになっていきます。すると、どんどんと言葉が紡ぎ出され、今までの違和感の正体が一つの事象に起因していることに気付くでしょう。
この方の場合、親が望んだこと、友人が望んだこと、組織・会社が望んだことの『範囲内』で自分が必要と思い込めることを優先的に行っていたことが見えてきました。
必要=楽しいこと、と思うことで歩んできたが、必要なことが必ずしも楽しいことではない、という違和感が社会人生活の至る所において浮き彫りになったことで、見えない違和感が膨れて行ったことが根底に存在していました。
本来、自分が望んでいることは社会全体が、その環境にいる人たちが自然体の中で笑顔でいれること。会社の中では、会社が必要としていることが、必ずしも社会に生きる人たちが笑顔になれることではない現実を目の当たりにしてきたのです。見据えていることは、一つの会社ではなく、周りにいる人たち、社会全体の笑顔ということが明確になっていきました。
そう、自分の才能は全体を俯瞰し、社会を性善説で捉え、人を笑顔で巻き込んでいくことだったのです。いつも自然とやってきたことだから、自分では言葉にできていなかった。
才能と感じていなかったことが、才能であると気付くことができ、もっと自由に、他者の望むレールの上ではなく、自分が望むレールを敷いてみよう。そう自信を持って選択できるようになっていきました。
人生は旅であり、自分の舞台で踊っていいモノなんだ
自分の才能を認めることは、日本人が苦手なことだと思います。「あなたって〇〇が得意だよね!」と言われても「いえいえ、それほどでもないですよ。」という会話をよく耳にします。違う場面、違う人から「〇〇が得意ですね」と言われても、また謙遜してしまい、自分の〇〇の才能に蓋をしてしまう。
人から言ってもらったことを全て才能だと捉えよう、ということではありません。自分でも「そうかもしれない」と少しでも思うことを言ってもらった際に、折角なので違う人に聞いてみましょう。
「この前、〇〇が得意だねと言われたんだけど、どう思う?」と。
少し恥ずかしいかもしれないですが、5人くらいに聞いてみましょう。その5人の内、2人でも賛成してくれたら、それは既に自分が持っている才能なんです。
自分が望むレールを敷いてみよう、と顔をあげた途端、自分が歩んできた人生という旅が思った以上に良かったかもしれない、と思えるはずです。顔をあげるまでが難しいのですが、顔をあげることができると今までは見えてこなかった世界や選択肢、可能性がどんどんと溢れだしていきます。昔失敗して、蓋をしていたことも「今なら違うやり方でできるかもしれない」と肯定的に捉えることもできるようになったりします。
「自分の人生の旅、もっと自分の舞台で踊っていいんだ!」
そう言って、笑顔で京都駅でお別れ。
自分の人生、自分の舞台の上で踊ってみたい方。踊れるのか不安だけど、舞台をつくりたい方。
ぜひ、せんのみなとの扉をノックしてください。まずは、性格別行動ワークショップを楽しく行いながら、自分に合った舞台を見つけるお手伝いをしていきます。
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