#詩人と繋がりたい


今日、研究者の伯父さんと話をした。
僕がかなり研究者向きの頭をしているし、高校の時も宇宙物理学者志望だったくらいには興味があるから、伯父さんには研究者をよく勧められる。
「研究者向いてるよ。フリーターなんかもったいないよ」と。

とはいえ今興味があるのは、外の世界の探求ではなく自分の内面を掘り下げること(言うなれば「自分の研究」)なので、伯父さんの話に刺さることは普段あまりないのだが、今日はひとつ興味深かった言葉がある。


「研究は、研究自体もだけど、同じ研究テーマを誰かと語り合うのが楽しいんだよ」


これまで研究といえば「ひたすらに缶詰め状態となり、とにかく研究テーマと論文との格闘の日々」をイメージしていた。
しかし、実はもっと人間味に満ちた日常が広がっているのかもしれない。
自分の興味が向くことを共有したり熱く語り合ったりできる話し相手がいるのなら、と考えると、僕の心は軽やかに躍った。
一瞬、研究者もいいなと思った。

ところが「じゃあ研究者になろう」とはすんなりいかなそうだ。
それは先ほども書いた通り、僕が今興味あるのは「自分の中の話」であって、「外の世界の話」ではないからだ。心理学とも違う。あれは一般心理なので、僕からすれば「外の世界」だ。

ただ、「誰かと語り合える」という言葉にかなり心が躍りはしたのだ。
思えば、noteの固定している記事も『バンド組みたい』なわけだし、熱く語り合える人に相当に飢えているんですわ。
相手の別の視点があると、一皮二皮むけそうな気がするし。

うううう

文章の生活からいきなり研究者に転向、、、だなんてそんな大きな決断をせずとも、誰か熱く語り合える人がいれば、ひとまず満たされそうなのだ。
今足りていないこと。
それは、誰かとの交流。
誰かとの、こ、う、り、ゅ、う、、、。
その渇きを理由にどこかに勤めたいだなんて思うくらいに。
職場に出会いを求めるのは間違っているだろうか

しかし、社会人サークルを覗いてみてもなんだかピンとこない。
ネットの時代、詩人と繋がるのなんてわけなさそうなものなのに、どうしてここまで難しいのだ~(自分から行動を起こさないから)

以前書いたように、今のフリーターの道で大枠は納得の道を進めている気はするけれど(ずっと続けるとは言っていない)、ただひとつ、現状誰かとの交流が圧倒的に・・・・足りない。
そこだけ、とにかく心が渇いている。
ほんと、これさえ満たせれば何もかもが完全無欠になれそうなのに。

はああ、(同じレベルの)詩人さんと繋がりたい。
「詩とは〜」とかもそうだけど、「自分の詩の意識したところ」とか「相手が好きな詩」とか「どんなことを意識しながら書いているか」とか熱く語り合うの絶対楽しいと思うんだけどな〜

こんな待ちの姿勢じゃ期待薄なんでしょうが、

詩のアカウント置いておきます。



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