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パートナー・プロデュース(α版)<その2>人生の積み残し、という道標


◼️結婚にまつわる不条理感

以前、不条理とは「身に余る難題」ということを引用で書きました。家庭生活って不条理だと考えてみることから、このパートナー・プロデュースの試考は始まります。


図表65

 図表65では家庭生活を、結婚のスタートと終わりという時間軸で捉えています。赤い2つの♡マークが相思相愛の起点になって、結婚生活が始まります。さりながら、はじまりのあるものは終わりが必ずあり、結婚も例外ではなく、家庭生活は離別か死別で終焉します。
 図表にあるように、死別も離別も♡マークの変形版で表示できてしまうのですw  死別は♡を心臓に見立てて、心拍線終わるイメージです。離別は、ご存知のように感情としての♡にひびが入るやつです。この見立てだと、結婚は、♡2つがひとつになってはじまり、♡2つのどちらかで終わるわけですね。左右の絵柄のギャップに切なさを感じます。

罪な♡w

小生が言いたいことは、結婚を誓ったスタートからパートナーとの未来への関係を考えるだけでは片手落ちではないですか?、です。いつ来るかは誰もわからない結婚生活の終わりから逆算してパートナーとの関係も考えたらいかがでしょうか、ということなのです。

 小生は、結構年取ってから結婚生活をしてますからねえ。寿命が長くなったとはいえ、やはり、人生の終わりをチラチラ見ちゃうわけです。 ですから、生の讃歌だけでパートナーと一緒の意味を捉えるのではなく、死の挽歌もセットにして試考したいのです。いや、したいわけではなく、せざるを得ないことならば、正面から受け入れようと提唱しているのです。


◼️優先順位が高いキッズ・プロデュース

前回も述べましたが、パートナー・プロデュースはあまり意識されてきませんでした。なぜなら、そもそも優先順位のトップのリストにはキッズ・プロデュース、一般名称「子育て」があるからですね。

図表66

もう、子供できちゃうと家庭の全てがキッズ・プロデュースに充てられるといっても過言ではありません。子供が幼稚園か保育園に入るまでは、親はディレクターも兼務ですから。まるで、「動物が主人公の実写映画制作?」ですな。子育て期間は経済的な将来不安も同時に湧きます。働いて稼ぐことへの優先順位も上がっていきますから、いやが上にもに、パートナー・プロデュースへの意識は相対的に低下しやすい。

 でもです。不思議なもので、子供の成長に伴って自分とパートナーの人生課題が表出してくるのもこの時期です。「子供を自然の中で育てたい」VS「今の仕事はどうする」とか、「子供が育てられる一軒家が欲しい」VS 「一生同じ場所に住むことになりそうな覚悟」など。良くも悪くも答えのない課題を、お互いの信念で語り合わねばなりません。ええ、これは子育てが親の人生にも意味深さをもたらしてくれるのです。

 言い方を変えると、結婚当初の赤い2つの♡マークから、いつか訪れるであろう黒い2つの♡マークまでを視界に入れ始めたことになります。

「子供を自然の中で育てたい → いつか自然の中に住みたい」
「今の仕事はどうする → いつか仕事を変えることになるかも」
「子供が育てられる一軒家が欲しい  自分も終の住処を考えなければ」
 「一生同じ場所に住むことになりそうな覚悟  一度は海外に住みたい」

 もちろん、散らかるだけでは生活が回らないので、常に妥協という折り合いがパートナー間で行われます。しかし、今まで見ることがなかったお互いの願望や憂慮が赤裸々になって、情報として交換されます。これって、まさに対話による信念の相互変容を促すことを理想とする民主主義の実践ですよね。


◼️パートナー・プロデュースへ

 全ての人々の結婚生活に子供がいるわけでもありません。そうなると、パートナー・プロデュースの方がキッズ・プロデュースよりカバー範囲は広いともいえます。

 本題の前に前提の確認。

 まずは硬めのところからです。パートナー・プロデュースは、生活思創の役割を具現化したものの一つになります。図表61を再掲してます。この表に従うと、個人の人生の目的を手助けする家庭に、見通しの良い生活信念を提供する、としています。ならば、パートナー・プロデュースは「新たな見通しの良い生活信念」を試考し、「それなりの相互援助」に繋げる活動といえます。

図表61 再掲


 このゆるい「それなりの相互援助」は、家庭生活が始まる前と、終了後の個人生活までを取り込んでいくことで、展開力をアップさせることができます。図表64で見るならの四隅の取り込みです。なぜなら、個人の人生を家庭生活よりも上位概念にしているからですね。あくまでも家庭生活は家族メンバーの相互サポートの場なのだ。


図表64 改訂版

さて、そこで時間軸が前後する要素を可視化します。家庭生活の前にあった個人生活を回想とし、後に来るであろう未知の個人生活の話を仮想として設定したのが図表64の意味です。

  家庭生活って不条理だよねとか、人生の目的は意味を見つけようとする行為そのものだ、とか、話の流れを振り回しています。そこに「目的→手法→結果」みたいなシュッとした方法論は、どう考えても無謀そのものでしょう。(線形の思想は定説ありきの思想なのです。更地に高速道路。)

なので、もう少し日々の生活にも練り込んで違和感のないようにします。


◼️「人生の積み残し」を道標にする

 個人の人生の後悔を減らすことに貢献するのが家庭内での相互援助としてみます。そして、人生の後悔の遠因を「人生の積み残し」と設定します。やや、見通しが良くなった気がする・・・w。

 そうなると、パートナーとして相手に何を回想したらよいのかというと、既にある人生の積み残しです。何を仮想してほしいかというと、このままスルーしてしまうと、人生に後悔してしまいそうな積み残しです。

 人生の積み残しには、回想と仮想の時間軸とは別に、大きく2種類のさばき方があります。表現を変えるなら、成し遂げることを期待していたのに封印したものをさばく成就と、避けてはならないはずと思っていながら封印して放置しているものをさばく成仏です。図表67

「人生の積み残しを成就させる」=気が晴れる

「人生の積み残しを成仏させる」=気がかりを消す

「人生の後悔を減らす」=気が済む

この「人生の積み残し」を成就と成仏させることによって、気が済む状態にする。それが、人生の後悔を減らすだろうという見立てになっています。やや切ない話なので、フレンドリーさを求めて使う単語は韻を踏んで選んでます。

図表67

 多くの書籍で、人生の後悔について解説されてます。大きくは、挑戦しなかった、人間関係を大切にしなかった、健康に気を遣わなかった、の3つのようです。「しなかった」形になっているの共通なのですが、人生積み残しでは、「しよう!」に翻訳されて出てきます。過去に放置された未行為が回想に、将来に先送りされた未行為が仮想になります。

 という展開になったところで、記号接地としての小生の原体験を記入してみました。ペア組んでもうすぐ15年ですから、詳細に記憶を棚遅しすれば、どうも沢山ありそうですな。ここでは、それぞれに主だったものだけを入れてみたものです。
 あくまでもパートナー・プロデュースのイメージを肉付けするものと思ってください。(家庭内で配布資料を作成しても、いいことないっすよw)

図表68

 小生の場合、人との関係性が手薄で、それは負い目となっていたように思います。相方のサポートは人間関係の優先順位を高くしてくれたことです。感謝。いいかげんだった大切な人との関係性に焦点をあてて行動(会う延べ頻度や、会う状況の質)するようにバックアップしてもらいました。負い目が成仏してますw
 仮想にあるのが、今ここで展開している生活思創です。成就するかどうかは不明ながら、少なくとも気が晴れてます。ここはパートナーの精神的なサポートが大きいかと思います。気が引けて、逡巡してたものの背中を押してくれている感じでしょうか。
 ※まあ、ここは家庭の投資リソースの話も絡むので、家庭が持つ生活信念が影響します。このあたりは別の機会に取り組みたい。

 一方、相方の方はどうでしょうか。二人の子供の母親という立ち位置もありましたから、いくら父親が頑張っても、そこは天と地とほどの子育てへのコミットメントの差があります。下の子が小学生になり、徐々に個人としての身の振り方についても考える余裕が出てきました。
 ちなみに、「仮想ー成就」に入っている部分が、以前の髪結いの亭主プロジェクト時から模索が続いている項目です。ただ、試行錯誤を意識的に続けているおかげで、どうも手仕事やアート系の活動の先に、成就しそうなものがあると感じています。

 小生ペアでの実感ですが、パートナーへのプロデュース意識を高めると、埋もれていた「人生の積み残し」にお互いの会話の中で気づく確率が高まります。ポロッと口を突いてしまうのです。「おっと、この辺りの話で相方の関心を押すと、次の見通しが良くなりそうだ」みたいな。

 次回の見通し。「人生の積み残し」は顕在化してるとは限りません。潜在的かもしれないし、無意識の中に沈んでいるかもしれない。パートナーが諸々の「ゆらぎ」を相手に与えることで、「人生の積み残し」に気づける家庭生活について試考します。あくまでも予定。

Go with the flow.


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