生活空間の思創(5)「生活音」
今回のお題は音。生活思創なので、必然的に生活音について試考してみます。
不登校だった娘が4月から中学生になり、何を覚悟したのか吹奏楽部に入って、クラリネットを始めました。いきなり、家庭内は音楽の話の比率が上がっております。また、6月になって近所からカッコーの鳴き声が聞こえるようになりました。7月は田んぼでカエルが鳴くことでしょう。あまり、じっくり向き合うことはないのだけれど、日々の生活は音に囲まれているのだ。
そして、このただ流れてるだけの生活音に、意味を見出してみようという算段でございます。
父「どうですか。クラリネットの練習状況は」
娘「めちゃ、ムズイ」
父「でも楽しそうだよ、部の練習を最優先にして、学校も行ってるしさ」
娘「入れ込んでるから」
父「結構、間近に発表会もあるらしいじゃん」
娘「そうなの、始めたばかりだっていうのに、ヤバいのよ」
父「演奏発表会って、期末テストと同じで、楽器でやるテストみたいなもんだしね」
娘「あー、勉強の方のテストのこと? そんなのもあったわね」
◼️生活音を分類してみる
音という現象が面白いのは、意識しないと入ってこない情報だということです。聴こうと思わないと聴こえてこないのです。特に、生活習慣の中では、音楽も会話も聞き流しながら過ごしてますから、一度、立ち止まってみますかね。まずは、生成AIに生活音って何?、を投げてみました。聞き逃しの幅を紹介してもらいます。
7区分で出してきました。まず、大きくは自然系と人工系がありそうです。細かくみると、人の意識が向きやすいものと、意図しないと意識が向きにくいものもありそうです。
環境音って、生活者にとっては生活周囲全てが環境ですからね。単語も含めて少し修正した区分けで図解してみました。絵柄も大切にしたいので、生活者を中心にオーケストラっぽい配置にしてみたよ。左右の耳に届く生活音は元来がステレオなのさ。
自然環境音のグループ、人間環境音グループ、人工物環境音グループの3グループで、最も意識が向き、かつ、生活の主体の音を会話音として、生活楽団のセンターにしています。
また、パキッと3区分はできないものは2つ。3区分が交差する場所に配置してます。合計5区分で話の見通しをつけてみました。
自然環境に近い生命的なものは人間環境を跨ぐものとして見立ています(ペットや足音など)。人工物環境でも人の気配が強めなインドアのは人間環境を跨ぐものとしています(空調や調理音など)。
また、意識の反応度が強く出やすいものと、それほどでもないものを高低で区分(やや強引だが、聴覚の反応具合って感じで)してみました。
◼️環境からの生活音、身体からの生活音
環境からの生活音を自然・人間・人工物でまとめてみたわけですが、これらは耳に聞こえる空気振動なので、振動数違いと見ることもできます。
振動ってことで話を拡張してみるなら、微細ながらも体の内部も振動しています。よって、これも生活音(空気振動とは言えないが感覚振動)にしてみて試考してみます。
これって自分に自分で聴診器を当てることに近いので、聴診することからアプローチしてみます。
聴診器で健常さを聞き取るとき、主要な身体音は3つあります。
・心音:心臓の音
・呼吸音:肺で呼吸する音
・腹部音:腸を中心としたお腹の音
これを図表261に足して。下記の図表262にしてみました。
3区分の環境音から、内と外の対称性で身体音の区分けを表現しています。
さて、音って、近くのものほど大きく聴こえます。囁き声だって、ものすごく近づけば聴こえるのです。音は聴き手にとって、「ここ」という場に依存してます。また、音は消えていきます。その場限りの存在なのです。「今」という刹那でしか音を受けられないのです。つまり、「ここ今」を目指すマインドフルネスとの接点があります。
◼️生活音をマインドフルネスの機会に拡張する
今度は、生活音とマインドフルネスの接点を深掘りしてみます。マインドフルネスの手法は多岐にわたるので、音とか聴くとかに相性の良さげな手法をピックアップして、生活でのマインドフルネスの解像度をあげてみます。
環境からの生活音と繋がりがありそうなものに「耳のセンタリング(Ear Centering)」があります。馴染みが薄いかもしれないので、生成AIに実践ステップを紹介してもらいます。
以上、こんな感じが耳のセンタリングです。特にステップ3はマインドフルネスらしいところです。環境からの生活音に「気づく」ことだけでも十分に意識の集中、つまり余計な思考をしていない状態になっています。
では、もう一つ。身体側からの生活音との繋がりから、マインドフルネスの候補を眺めてみます。自分の身体に意識を向ける典型的な手法としてフォーカシングがあります。この時、微細な体内の感覚に気づくことをフェルトセンス(Felt sense)と言ったりします。フェルトセンスについて、AIに整理してもらいます。
フェルトセンスでの気づきには幅があります。ここでは日々の生活音への意味づけっていう視点ですから、「5、健康の維持」の一種ですかね。まあ、意識の集中を「ここ今」に持ってくる習慣ですから、間接的には他の役割も兼ねているでしょうけど。
今回の展開では、耳のセンタリングとフェルトセンスに対称性を見ているってことになります。
◼️「生活聴診」で生活音を統合する
内と外の生活音という視点で「音を聴く」という行いを図解してみました。
図表の中心にあるように、「生活聴診」って名付けてみたw 曹洞宗の坐禅の作法である「調身・調息・調心(ちょうしん・ちょうそく・ちょうしん)をレスペクトしたネーミングでございます。「ちょうしん」がまた一つ増えちゃいましたw
・生活聴診の耳のセンタリング
ちょっとした隙間時間や、就寝前などに環境から音を拾ってくる。「遠くで鳥が鳴いている」、「雨が窓ガラスに当たる音がかすかにする」、「壁時計が秒針を動かしている」とかです。この時、間違いなく他の思考、「この仕事どうしよう」、「あの人がああ言ったのはなぜかな」とか、「ここ今」から離れた意識は一旦、停止します。
・生活聴診のフェルトセンス
外の音から内側の音へ。果たして音と言えるかどうかは不明ですが、心臓の振動に意識を向けることはできます。ここでのフェルトセンスって、内部からの音感と触感が一体になったものです。類似例を引き合いに出すなら、食べ物の美味しさを感じる時、味覚と臭覚が一体になる感覚とも言える。
呼吸も、鼻からの息の出入りって微か音を感じることができます。また、腹部の音も、そのままだと?だけど、お腹を思いっきり萎めると、腸のあたりから何やら音のような振動らしきものがやってきます。たまに、ボコボコって言ったりするよね。
そしてまた、フェルトセンスに意識が行くということは「ここ今」にいることと同義です。
一通り生活聴診をしてみると、幾ばくかの時間を余分な思考から自分を解放し、「ここ今」を体感できます。生活の合間が、仕事や遊びがの調整時間だったり、悩みや不安の頭の中での再生時間になったりすることから、少しでも脱却できる習慣は重要です。
生活音の存在に向き合うことは、風流な生き方にも見えるけど、地に足のついたマインドフルネスで余分な思考を取り除く効果があるのです。あと、スマホ時間の圧縮ねw
娘「クラリネットを吹くと自分の肺の音も感じるよ」
父「生活聴診できてますね」
娘「若いからね、検査いらんと思うよ」
父「まあ、何かに没頭している時は不要ですよ。気になることを頭の中でぐるぐる考える時間を減らしたい時こそ、生活聴診でしょう」
娘「悩んじゃうと、生活音なんか吹っ飛んじゃいますけど」
父「ええ、みんなそんなもんです。大丈夫です。悩みが一段落したら『あーいかんいかん、無駄に悩んじまった』ってな感じで生活聴診してください」
娘「私なら、もう一度、クラリネットの練習に戻るけどね」
父「それもいいね。肺の音聞けるみたいだし」
生活空間の中の音を切り出してみました。聴覚って、視覚や嗅覚にくらべると、環境と身体といった内外への往来もあって、かつ、そこそこ空間の広がりもカバーする特質がありますね。おまけに、音楽を没入して聴くこともできれば、BGMのように漂わすこともできるので、人の耳は意識のチューニングが可変なのです。
そう、生活聴診とは、この意識のダイヤルの捻り方の話だったのだ。
Go with the flow.
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