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長いよしなしごと
日の出も見えず、日の入りも曖昧な日が続いている。
小雨で曇りが多く、新月の時期なのでしょうがない。
仕事も小休止で家にこもっている。
午前中はまだしも午後からは暇を持て余し気味だ。
スケッチの基礎の本も何冊か、手軽なスケッチブック、鉛筆、iPadのペンシルまで準備しているが、一向に夢中になれない。
基礎を学ぶのは面白くないのですぐ飽きてしまう。
切実な何かが湧きあがるまで待つとしよう。
読みかけの数冊の本からも静かな呼びかけがあるのだが、聞こえぬふり。
狭い部屋なので、以前は整理整頓を心掛けていた。
人を呼ばなくなってからは本も床に積んだまま、テーブルにも物が多い。
これでは突然訪問されたらあわてるのが目に見えている。
訪問というと思い出すのは竹林の七賢のリーダー格「阮籍」のエピソードだ。
徒然草の「さしたることなくて人のがり行くは〜」の段から知った。
「阮籍の眼、誰にもあるべきことなり」とある。
阮籍は来てほしくない人には白眼をむいて対応し、来てくれて嬉しい人には青い眼で喜んだという。
青い眼とは単に黒眼のこと。
白眼の対義語になるらしい。
白眼視はこの故事から来ている。
もうひとつ、碁打ちは親の死に目に会えないという故事も、阮籍が母の死を聞いても碁を打ち続け、酒を飲み血を吐いたことから。
相当変わった人物のようだ。
しかしこんな沁みる詩もある。
夜中不能寐 夜中 寐(い)ぬる能はず
起坐弾鳴琴 起坐して鳴琴を弾ず
薄帷鑒明月 薄帷に明月鑒(て)り
清風吹我襟 清風 我が襟を吹く
孤鴻號外野 孤鴻 外野に號(さけ)び
朔鳥鳴北林 朔鳥 北林に鳴く
徘徊将何見 徘徊して 将に何をか見る
憂思独傷心 憂思して独り心を傷ましむ 詠懐詩 阮籍
日本にも変人はいた。
内田百閒は玄関に、
「世の中に人の来るこそうれしかれ とはいうもののお前ではなし」
と蜀山人の狂歌を真似て張ってあったそうだ。
内田百閒の張り紙をGoogleで調べていたら、前アカウント朧月夜の「とはいうもののお前ではなし」の記事が出てきた。
以前にも書いていたのだと可笑しかった。
よかったら見ていってください。
長くなりましたが最後までお付き合いくださってありがとうございます。
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寒風の中で笑っているようだ