僕が高齢者施設に入りたくない一番の理由(わけ)。
おはようございます。最近、ちょっと高価なワイヤレスイヤホンを買い、携帯とipad両方にBluetooth同時接続できる便利さを体感しました。さらに、料理や洗い物など家事をするときでも、インプットしておきたい番組を聞いたり、本をオーディブルで聞いたりすることができるので、時間も有効活用できて二度おいしい。おすすめです!
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●システムと個(システムがちゃんとすれば人は幸せになるか?)
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僕は大学生時代から、宮台真司さんの発信をとても興味深くチェックしていますが、最近もとある番組で宮台さんが現代思想の解説をしてくださっていました。
この番組も洗い物をしながらお気に入りのイヤホンで聞いていたのですが、その中で、「システムと個」というお話がありました。
その中でとても興味深かったのは、
「社会(システム、制度)がちゃんとすれば、人は幸せになる」という考え方(主知主義)と、
「社会がちゃんとしても、社会がちゃんとすればするほど、人は不幸せになる、幸せにはならないという考え方(主意主義)についてのお話です。
僕はどちらかというと、後者の考え方に寄っています。
長年、シニアの住まいづくりをしてきた中で「シニアがちゃんと暮らせる住まい」は、「(住まいの中での)システムや制度をちゃんとしすぎない」ことが大事なんじゃないかと。
「ちゃんとしない」から「ちゃんとする」というちょっと逆説的ですが。
「システム」がちゃんとすると、システムの一部として振る舞うことが強いられ、そこには感情や個性(自分史含む)は制限され、異物はシステムエラーとして扱われ、システムが維持されることが優先されます。
「主意主義」の考え方では、困っている人がいたら「助けたい」と思い(内的動機)から、助けるという行動がなされる。個人の感情や個性が優先されることになります。
そこには関係性の動的運動も生まれることになります。
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●システムに求めすぎるのをやめよう!
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僕が施設に入りたくない、と思うのはこの「システム優位」が生み出す、得体のしれない閉塞感なんだとある時気づきました。
シニアの住まいで影響の大きい「システム」は、「介護保険制度」と「事業者」です。
今の状況では、「施設」に入ればこの「介護保険制度」と「事業者」のシステム(ルール)に従わざるを得ません。そしてこのシステムが精緻に機能すればするほど、自分という人間性を手放していくことになります。
なので、事業者が良い意味で「いいかげん」、システムよりも人間性を優位に考えてくれる、ということを見極めることが大事です。
このシステムを破壊する威力を持っているのは、「コミュニティ」だと思っています。
若い人が「コミュニティ志向」に動いているのも、システムの閉塞感に対するアンチシステムの流れではないかと感じています。
介護保険制度もいろいろ問題はあるけれど、重度になればなるほど報酬が高くなるという部分を除けば、誤解を恐れずに言えば、僕は十分だと思っています。
僕たちの未来に必要なのは、「もっと精緻に整った制度」なんだろうか?
制度がもっと整えば、私たちは幸せになるんだろうか?
幸せな老後を過ごせるんだろうか?
最低限のシステムと、システムよりも優位に「人間性」が尊重される、コミュニティのある住まい。
これは残念ながらシステム側からはつくれないので、なかなか広がらないジレンマ。
なので、たくさんのお仲間募集中です(笑)。
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