1章 ツーリズム・リテラシーとは何か

一 「観光」とはなにか(P2~8)

観光の困難

  • これまで観光とは、スポーツ、読書、音楽や映画鑑賞などと並ぶ余暇活動、すなわちレジャーの一つとして考えられてきた。

  • しかし近年、こうした「労働や勉強の反対側」にあったはずの観光の輪郭が、あいまいになってきている。
    ⇒ボランティア・エコ・グリーン・ダークツーリズム

  • どこでも観光地になり、何でも観光の対象になりうる時代、あるいは観光と無関係なものがほとんどない社会が、すでに到来している。

「観」の原理

  • 世界を『観る』体験として観光を再解釈し、その「観る」ということのメカニズムを考えたい。

  • 「観る」ことには、自分の外にある対象を意識してしっかり「見る」という第一のレベルと、そうして見ていることそのものを「見る」という、一段深い意識が作用する第二のレベルがある。

  • 「観る」=gazeとは社会的に構築された行為(パフォーマンス)(J・アーリ「観光のまなざし」)。

  • 「観る」体験が社会的に構築されたものであるならば、それは意識化して新たにつくり変えることもできるはず。

「観る」ことのトレーニング

よりよく「観る」技能へ

  • 世界を「観る」ための技能と思考を十分に意識化し、それを学び習うための道筋を見いだすため、本書ではリテラシーという概念を観光に接続し、「ツーリズム・リテラシー」という考え方を導入することを試みる。

二 ツーリズム・リテラシーという考え方             (P9-14)

リテラシーとは?

  • リテラシー(Literacy)とは、文字を読み書きする能力、つまり識字力を意味する英単語。

  • リテラシーの習得には長い時間と多大な努力が求められる一方で、興味深いごとにひとたび一定の水準に達すると、人はそれを「自然」に運用するようになる。

  • リテラシーは「自然」で「透明」な能力になってしまう。観光する技能も「透明化」されやすい。

  • ところがリテラシーの習得には本来、終わりがないはず。それは他の文化的な活動と同様に、学び習い続けること、そして自ら探求し続けることで、よりよく実践できるようになる人間独自の技能。

ツーリズム・リテラシーと三つの層

・ツーリズム・リテラシーは、「ツーリスト(観光者)」「メディエーター(観光業)」「コミュニティ(観光地)」の三つの層から構成された、世界を「観る」技能である。
・本書がツーリズム・リテラシーを導入する理由の一つは、第一層の「ツーリスト(観光者)」のリテラシーを改めて浮き彫りにし、その価値を検討すること。観光は社会的に構築された技能であり、その技法と思考は意識的に習得することができる、という考え方を明確化し、その道筋を検討する。

三 ツーリズム・リテラシーの原理
     (P14-22)

リテラシーを学び習う意義

  • ツーリズム・リテラシーの観点からみれば、「観光は人をつくり、社会をつくる」。その理由は、観光という旅の一形式が持つ、その独特な移動(mobility)の原理にある。

「一周する」移動の原理

  • 日常から非日常を体験し、再び日常へ帰ってくるという「一周する」移動の原理こそが、さまざまな旅のかたちのなかで観光という一形式に宿る、独自の価値と考えられる。

  • 「行く」前から「帰り」を予め約束(つまり予約)する旅のかたちは「当たり前」のスタイルではなく、そして「行き」と「帰り」が透明かつ自然に連結した(ようにみえる)移動のかたちは、一九世紀以降の観光の時代に広まった特徴的なモビリティの様式

  • 観光の時代では、「行き」よりも「帰り」をより強く意識した事例、つまり「一周」後の視点から観光を逆算して組み立てるような事例も多々ある。

円環から螺旋へ

  • 一つひとつの観光の体験は、閉じたループを描いてバラバラに点在するのではなく、前の観光とともに次の観光にもそれぞれ結びつき、いわば大きな観光の螺旋を描き出す要素になる。
    これまでの観光の研究や教育では、一つひとつの観光行動を「独立」あるいは「分離」させて検討してきた傾向があるが、しかし観光を「フロー(流れ)」としてとらえたとき、まったく違った社会的意味が姿を現わす。

  • それは自らの「見る」ことを「見る」という二重の意識をはたらかせて、よりよく「観る」ための技法と思考を自ら編み出す過程でもあり、そうした観光の軌跡は閉じた円環(ループ)ではなく、次の機会へと開かれた螺旋(スパイラル)を描きつつ進んでいく、と考えられる。

観光の螺旋へ

  • 「一周する」原理を持つ近代の観光は、他の旅の諸形態よりも日常(ホーム)に深くかかわった行為であるため、その観光の螺旋が深化していけばいくほどに、それと接続する日常空間も影響を受け、それらを内包する社会が変化していくきっかけとなる、と考えられる。意識的で自覚的な観光の実践は、その螺旋を描く原理ゆえに、社会を変えていく推進力にもなりえる。

⇒ツーリズム・リテラシーの観点からみれば、よりよく「観る」ことを探求していく観光の螺旋は、それを実践する人間を形成するとともに、そうしたよりよく「観る」人びとが生きる社会そのものをつくり変えていく回路にもなりうる、と考えることができる。

四 観光の可能性は尽くされていない

リベラル・アーツとしての観光

  • ツーリズム・リテラシーという考え方は、単に観光の教育の新たな方法論を考えることにとどまらず、近代社会においてより自由になるためのリベラル・アーツになりうる、と考えられる。

  • 「人をつくり、社会をつくる」ことを原理とする観光のリテラシーは、より自由な観光を実現するだけでなく、よりよく「観る」ことを通して、よりよく生きることに結びつけることができる、現代のリベラル・アーツ(自由になるための術)の一つとして再定義することができる。

「自由への観光」のために

  • 「ツーリスト(観光者)」のリテラシー(ツーリズム・リテラシーの三層構造のうちの第一層)を習得することで、自分が生きる今日の世界が揺らぎはじめ、「いま」が一つの選択肢にすぎないことを知り、よりよい自分と世界への移動を行うことが可能になる。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?