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究極。「自分で作ったほうが速いのでは」

例えば、

服が欲しい→調べる→候補絞る→なんだかんだ文句つらつら→ない→妥協

椅子欲しい→調べる→候補絞る→なんだかんだ文句つらつら→ない→妥協

世の中知る→調べる→候補絞る→なんだかんだ文句つらつら→ない→妥協

理想高すぎるのかな。

思えば、

絵を描けるようになりたい→美術家レベル

頭いい人になりたい→天才レベル

RPG系→最低上位0.5%戦力

とか。

目指すものが高すぎたんだなって最近気づいた。

多分、中高の友人が文武両道成績性格良しみたいな方が周りに居たからかもしれない。

何事も満点で普通みたいな環境。

おかげで、どうなったら満点で、理想の最高はこれだって理解する能力だけが鍛えられた。

それなりまではできるように頑張るけど、最高の状態知ったら、終わることが多くなった。他にもやるべき事や知るべき事は多いし、これだけに絞る必要ないよなと思って。

妥協癖ってこうやってついたんだなと思い反省しました。

そうは言っても、やってすぐ辞める訳ではなく、程々に、およそその分野で「できる」となる状態くらいには極めて、それ以上の天才域は理解したら終了。

天才域の固定化がなされているものに、今更追いついたところで、他の天才域見に行った方が視野広がりそうだと思うという逃げになるのかな。

色んな天才域見てると、もしかしたらこの分野にも天才域が存在するのかなとか考えるのが趣味になった。

天才域の共通項はその分野について全て知っている事で、これは既存とも固定ともみなされる。から、個人的には、その分野について全て知っているかつ、その分野の発展について知っている事が天才域の中の神域であると思います。

話を「究極、自分で作るほうが速い」に戻すと、

理想とは、結局のところ「全てできる」ことであると思います。

つまり、全てに当てはまる物というのは、本質であるとも言えます。

本質から如何に外れて極めるかという事が現代の本質であると思います。

最低限とも絶対的とも言えるもの、シンプルであり有用である事。

要は、1つだけだけど全部あるみたいなのが欲しい。

から、今は作れるようになるまでの時間稼ぎを30になるまでやろうかなと思っています。

時間稼ぎというのは、生きている時間にしか根拠を置かないモノが世には存在するので、それまで待ちかなーと個人的に考えています。自分の年齢がそうであるという事にして考えればいいだけなんですけどね歳なんて。

20代のうちにあらかた周り終えたいです。頑張りまーす。

誰に報告してるんだろ。知ってる人に言ったら、説明しなければならない感じが嫌いなので、そういう点でいい環境だなと活用しています。


おわり。



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