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「怒り」とは何だろう

何が気に入らなくて、怒るのだろう。
何が悔しくて、怒るのだろう。
何が悲しくて、怒るのだろう。

何に、「怒る」のだろう。

「気に入らない」とは、
ある個人が何かしらの判断基準を設け、
今の現状なりが、不快側に偏る事。

「悔しい」とは、
ある他人ができる事を、自分ができない時と、
自分ができる事を、他人ができない時とがある。

「悲しい」とは、
虚無感や剥奪が近いだろう。
端から持っていない大きな穴に気付いた時と、
何かが大きく抜き取られた時がそうかな。

だから、

「怒り」とは、
個人の物差しと、
誰かとの比較と、
己の保管庫によるものである。

つまり、

物差しもなく、
比較もせず、
己を持たなければ良い訳です。

まぁ中々難しい事でもあるかもしれませんね。

過去を持たず、今も持たず、未来も持たず、
人を見ず、人を知り、
空(カラ)であれば良いんです。

いえ勿論、感情はあっても良いと言います。

ただ、
本当はありませんでしたよね。

それでもやはり、「怒り」とは厄介で、
「怒り」の最大値は存在殺意です。

ただの怒りや殺意は、
己の指標のみに従った判断に基づきますが、
存在そのものへの殺意とは、
己を介さないただ「無い」ようにあるもの?
と言いましょうか。

「なんで居るんだろう?居ないよね。」
が近いかな。

存在への疑問と理解不能。

「生きているとは?」となるんです。

人間が人間に見えないような、
あれって人間って言うんだってみたいな、
目の前に特に何も無いけどな。

これはどうも手をつけ難い。触れたくない笑。

簡単に直すのであれば、
「まぁそういうものだよね」
終わり。

そこに「意味」を付けないで、
そのものをそのものとする事でしょうか。


今、瞬時にキレる事ができる事というのは、
とても些細な小さな事で。

ただどうしようもなく込み上げているのは、
とても根本的などうしようもない問題で。

そもそも無いものは、
無い事にしておくのが無難でしょう。


おわり。


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