![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/16633534/rectangle_large_type_2_f9a67f4eb82b1abe03566873c45daba7.jpeg?width=1200)
武将ジャパン様に掲載されなかった記事
武将ジャパン様に記事を送ると「マニアックすぎて、武将ジャパン向きの記事ではない」と怒られます。
『明智軍記』はブーム(?)なので採用されました。
https://bushoojapan.com/bushoo/akechi/2019/12/04/137903
送った原稿と掲載された原稿を比較すると、明智系図の部分がカットされています。カットされた部分は、
※明智系図には、「頼清─頼兼…光秀」系と「頼基─頼重…光秀」系があり、学者は「頼清─頼兼…光秀」系は『明智軍記』を基に制作された系図だとして、「頼基─頼重…光秀」系を支持していますが、実は、頼重と頼兼は同一人物です。頼清の二男・頼兼が、嫡子不在のまま病死した頼基の跡を、頼重と名乗って継いだのです。
・「頼兼 (中略)或曰く、頼兼曰、明智二郎、下野守。下野入道と号す。頼清二男也」(「土岐氏系図」)
・「頼兼 土岐明智次郎、兵庫助、下野守。従五位上。入道浄孝。本名、頼則、或は、頼重。世に明智下野入道と号し、明智氏元祖也。(中略)領知高、代々一万五千貫。蓋し、内五千貫は尊氏公朱印、一万貫は義詮公朱印也。(中略)叔父・伯耆九郎頼基病死の後、父・頼清、並びに、叔父・周崔の命に因りて、頼基の所領を受け継ぎ、以ってこれを相伝へ、乃ち、明智次郎と号す。此の時より、而して可児郡明智の城に移住す。因りて、これが為に、明智家の元祖也と云ふ。これより、土岐明智と号し、美濃国可児郡明智の郷を領す。」([山岸氏系図」)
頼貞┬頼直
├周崔
├頼清┬頼康
├頼遠└頼兼
├頼仲 ↓
├頼里 ↓
└頼基─頼重…光秀
です。私としては載せていただきたかった部分なんですけどね (T_T)
カットの理由は聞いていませんが、「マニアックすぎる」ってことでしょうね。
いいなと思ったら応援しよう!
![【note版】戦国未来の戦国紀行](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/12367567/profile_f2ede64febd5e77fccaa0ac8fdc21d39.jpg?width=600&crop=1:1,smart)