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たすけたまへが分かって嬉しかった
長らく蓮如上人と喧嘩をしていた。
私が師匠から聞かせていただいたのは、
阿弥陀さんの方からこっちに届いている。阿弥陀さんは私が気づかぬうちからずっとずっと働きづめ。
私の口から南無阿弥陀仏が出たならばそれは阿弥陀さんが働きおわった姿だ。ただあなたは「はい」と言いなさい。「はい」と言えたときが信心じゃ。
蓮如上人が全国の同行に寄せた手紙、現在では御文章・御文(おふみ)などと呼ばれているが、その中に何度も「たすけたまへ」と出てくる。
たすけたまへ、助けてください。
私はこれが全く分からなかった。
阿弥陀さんの方から働いてくれているのに、なんでこっちから助けてくれろとお願いしないといけないんだ?助けを請われないと助けられない仏さまがどうやってすべての命を助けられるだろうかと。
だから私は蓮如上人のたすけたまへを受け入れられなかったし御文章を読みたくもなかった。蓮如上人の教えを受け入れることは師匠の味わいを否定することになるとも思っていた。
しかし、最近出逢ったある先生に「たすけたまへは許諾(こだく)である。」と聞かせていただいた。
許諾(こだく)。相手からの申し出を受け入れること。
蓮如上人の手紙は500〜600年前の言葉で書かれている。現代の日本語と意味が違って当然であった。
嬉しかった。ただ嬉しかった。蓮如上人も師匠も間違ってはいなかった。私のたすけたまへの読み方が間違っていただけだったのだ。
阿弥陀さんが助けるぞと言う。私がはいと言う。これが許諾。蓮如上人が言わんとしたところのたすけたまへであった。師匠の味わいとも合致した。
偉そうに上に立って助けてくれと言われるのを待つ仏さんじゃない。同じ地平に立ってずって私を喚び続けている。助けてくれと言わないと助けてくれん仏さんなら安心できない。そのときになってお前は本当に助けてくれと言ってたか?聞こえなかったぞなんて言われたらどうしようもない。心配性だから。
「助けてくれと言わんでももう助けてある。ただ受け取ってくれなされ。もう助かってあるぞ。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」
一方的に始めた蓮如上人との喧嘩も終わった。
ごめんなさい蓮如さん。ありがとう蓮如さん。