#8 からだに合った食を求め、価値あるものを提供する営み(後編)
料理人ですけど、あまりお酒呑めないんです!
薄井 今まで僕がお話をしてきた人たちは、江戸料理の研究をされている方であったり、地元でお米を作ってくれている方で有機農業の第一人者だったり、みんなやっぱり全然違うことをやっているのだけど、考え方が一つの線で繋がっていく感じがします。久仁子さんがやっている狩猟というところから、ご自身でそれを人の口に入るお料理として提供されるっていう姿は、僕も凄く感銘を受けています。僕は日本酒を生業にしていますが、生活必需品ではない嗜好品ではあるけど、人の口に入るから、自然に近いものであるべきかなっていう思いでやっています。
竹林 唐突にですけど、日本酒・・・私、元々そんなにお酒が飲めなかったのです。
薄井 え、事故に遭う前も?
竹林 お酒もお猪口一杯で救急車だったんですよ。何回も何回もね。体温34度、血圧が幾つだったっけな、忘れたけど下がりに下がって、意識朦朧としている中で「急性アルコール中毒です」「脱水を起こしてるから点滴入れたいけど血管が出てこない」「みんなでさすって」って、「どこか出たら声をあげて!」「このままじゃもう死にますよ」…みたいな状態で。
薄井 本当ですか? それも懲りずに何回も!
竹林 「乾杯!」って言ったらもう記憶ないみたいな。で、その時も「ん?」と思ったんです。みんな飲んでいるじゃないですか?みんなが大丈夫なのに自分だけお酒が合わないということが、全く理解ができなくて!
薄井 お店でお酒を扱っているので、まさかそこまでとは・・・
竹林 実は8年前にお店を始める時もお酒を取り扱うのを躊躇したのですよ。本当に自分が飲めない経験があったので。ただ以前と違うのは、質っていうものを知たんですよね。最初は舐める程度でしたが、酒の造り手、素材から製法を調べて、より自然に近い、不自然でない商品を集め出したのです。仙禽もその出会いの一つなのですけど、アルコール自体はまだちょっと弱いけれども、アレルギー反応が出ないというものを取り揃えてますね。一樹さんはやっぱり最初からそのおうちにお生まれだから、抵抗なく?
薄井 抵抗ない。いくら飲んでも大丈夫ですね。うちの酒はピュアに造っているから、不純物入ってないし添加物入ってないけど、口に入れるものは本当気をつけているから、不純物だらけのものは当然飲まないようにしていますので。
モノの価値は値段だけに反映されるものではない
竹林 思えば、若い頃はお金がなかったから「こんな安く買えるんだ」って思う商品を手に取るじゃないですか。自分に合うか合わないかっていう選択じゃなくて、安いかどうか、流行っているかとかで選んでしまい、「それって自分の身体にあってるの?」とかは全く気にしなかった。知識がなかったので。事故の後、アレルギー体質の自分が食べられるものを求めるようになってやっと意識が変わったのですが、身体に入って不自然じゃないという目的を満たしているものが残念ながら少ないのですよね。
薄井 物の価値は様々ですが、今、高級な日本酒もどんどん増えていますけど、そもそも日本酒って庶民のものですから。身近な存在でなくちゃいけないとも思っています。
竹林 ワインも、ビールもそうですよね。日本は水に恵まれているから感じないですけど、水が飲みづらい地域では醸造酒は水の代用品だったっていう…嗜好品ではなく。
薄井 アルコールに対する考え方も、ヨーロッパと日本では違うと思うのですけど、今はもう闇雲に日本酒とワインを比較したがる人は多いから…そうすると日本酒は安いよねってみんな言うのだけど。でも日本酒は、僕はやっぱり元々は大衆のものだっていう意識が常にあるから、そんなに手の届かない存在にしたくないなっていうのもありますよね。
竹林 消費者としては凄く嬉しいのですけど…ジビエにかかる経費を反映したらとんでもない値段なってしまう。でも、お客様に野生の肉をいただく喜びを感じていただけたらと。
薄井 そうです。誰がどのような喜びとして受け取ってくれるかですよ。
竹林 提供する自分たちがまずはそう思えることが、商品に反映される。商品という形をとった“自分たちのお願い”がお客さんに伝わればと。
薄井 そう、江戸時代はみんなが幸せだったわけですよ。士農工商はあったけど、会社を大きくするとか金儲けをするとかっていう、まぁ一部にはいたかもしれないけど、やっぱり資本主義になってから世の中ってそういうことが正しい正義みたいになっているから、そうじゃない幸せもあることを伝えたい。ある程度量産して、会社の規模を大きくして、従業員を増やして、社会全体が豊かになることも、もちろん大事なことなんだけど、あんまりそれをやりすぎちゃうと、ちょっと本質が失われるなって・・・色んな意味で自然保護であったり、地球環境のことを考えると、成長しすぎるのも良くないなって思うのですね。
竹林 そうですよね、バランスですよね。そう、バランスなのですよね。
薄井 そうですね、本当、バランスなのですよ。
竹林 食品と環境とのバランスとかもそうだけど、全部バランスで常に変動していると。そこに対してどう適用できるかっていうのはすごく大事ですよね。
薄井 そんなことをぼんやりと考えながら、日本酒はやっぱり大衆のお酒だっていうことは基本的に根底にあってね。ただ、あんまり造り過ぎず、うちも農業の方にもっと転換していきたいなっていうのがあって。町を「オーガニックタウン」にしていきたいという思いとかがあるので。
竹林 素晴らしいです。そういった方向にね、活動ができるというのは。これだけ技術が発展して、食料自給率低いですって日本は言われていますけど、絶対そんなことないと思いますって言ったら変だけど…自給率を高められる可能性はある…何かシステムが変われば、質を高めるっていう価値観に変わって行けば、本当に素晴らしいことなのに。
薄井 間違いないですね。自給率は決して低くないと思うのですよ。低いような仕組みにしちゃっているだけであって。確かに石油は出てこないけど、石炭もたくさんは出てこないけど、ちょっと過激だけど、例えば鎖国時代の江戸時代に戻した場合でも、いくらだって自分たちで作ったもので日本人は生きていけるし、多分心も体も健康になっていくだろうし。
竹林 日本の土壌にも技術にもポテンシャルはあるし。鎖国状態のキューバに農業の技術を日本人が指導にいったと聞きました。これから農業に取り組んで、自給率を上げる仕事って、やり甲斐あるし、凄く面白いし、若者世代もかっこいいよねっていう職種になるといいですよね。
薄井 江戸時代は日本の中だけで全てが循環していて、まず無駄がなかった。サステナブルっていう言葉はあまり使いたくないけど、完全なエコシステムが出来上がっていたわけですよ。もう1回そこに戻すのは不可能ですが、どこか取り入れていく必要性があるのかなと思う。僕たち農業と直面しているから、お米なんてもうまさに被害者で、造るなって言われるんです、これ以上。外国の米も入れなきゃいけないし、色んなその外交の都合がもちろんあるとは思うのだけど、それによって貧富の差が生まれたりとか、健全じゃない米を摂取しなきゃいけないとか、または健全じゃないお米から加工されたものを摂取しないといけないとか、そういうことが起きているので。
竹林 そこが矛盾ですよね。前にも「一物全体」のことで話しましたが、余らせていいっていうのはそこであって、余らせないで何かこじつけるじゃないですか。原型を留めないほど加工して何かになったものを食べた人が幸せになるかって言ったら、違いますから。
肉とペアリングできる骨格ある日本酒が世界に受け入れられる
竹林 こちらから質問ですが、仙禽の酸が強いと言われる日本酒のタブーをやってきたということに関してです。なぜそこに価値を見出したのですか?
薄井 僕がワインを扱う仕事をしていたので、日本酒が酸味を避けることにむしろ違和感があったのです。酸は食べ物との接着剤にもなるし、肉料理とペアリングするには特に酸味が必要。でも、たった20年位前までは、日本酒と肉を合わせるなんてあり得ない話でした。
竹林 最初、仙禽に出会った時はジビエに合うので驚きましたが、肉に合わせるのがきっかけになったのですね。
薄井 酸味があることで、お酒にきちんと骨格が作られるから、肉にも合うのです。日本の食べ物って豆腐のように柔らかく、味わい自体も滑らかなものが美味しいので、また、水自体も硬度が少ないから、お酒にも骨格を求めない。でも、肉がガツンと来たときに柔らかいテクスチャーの日本酒だとどうしても負ける。で、骨格を作るっていう意味で、酸というもの取り入れてみたのです。
竹林 日本酒って凄く素晴らしいお酒だと思うし、凄く手がかかっている。なので、もっとね、残ってほしいと思う。国のお酒として残してほしいっていう・・・
薄井 今は、だいぶ世界中の料理とペアリングする機会も増えているから、全国の日本酒の酒蔵さんも酸というものに着目・注目して、酸を出すことによって、日本酒がワールドワイドになってきているかなって思います。
竹林 仙禽の蔵を見させていただいて、あの技術、あそこまで手をかけて…値段で見るものじゃないなって改めて再認識しました。
#9に続く