さよなら、これまでのSNS。こんにちは、これからのSNS。
mixiを始めたのが25歳くらいだったか。つまりもう20年以上前のこと。
月末に提出する領収書の束を書類化するにあたり、これは誰との会食か、これは何の買い物か、記憶を辿れないことがしばしば起こり、
私のSNSでの投稿は日々の行動記録になった。
領収書の日付からその日の投稿を見ればその日一日の自分の動きがわかるので、
この備忘録は大変重宝した。
その後、Twitter、Instagramと経て、いちばん長く使っているのが、実名利用者が多く、長文を投稿できるFacebookだということは、先月noteでも書いた。
オンラインでもオフラインでも、顔を合わせたことがなければ、友人申請もしなければ承認もしない。
逆に、顔を合わせたことがある場合はさまざまな方とつながり、
そうした方たちの人数は、会社を立ち上げた頃に目標としていた「特定多数3000人」を数年前に超えていった。
その前後から、社内、社外より何度となく、「あの行動記録投稿はやめた方がいい」と言われ始めた。
見せなくていいもの、伝えなくていいことは、書かなくていい。その時間がもったいない。
あなたにはもっと書くべきことがある、伝えた方がいいことばがあると、
おおよそそうした内容だった。
とはいえ、私はタレントでもないし、有名人でもないし、ただの、下町在住の、子育てと月末の支払いと時間とに追われるへっぽこ経営者だ。
わたしには、自分の小さな日常の履歴を書くしか他にない。
自分を卑下するということではなく、割と何の気なしにそう思っていた。
また、顔を知っている方々に向けた限定公開にしてその日々の行動履歴を綴っていたこともあって、
内輪に向けた安心感も手伝い、外に向かって何かを言うということをあまり意欲的に考えてこなかった。
が、いよいよ著者からも今回、
「何を見せるかより、何を見せないか、ちゃんと考えた方がいい。吉満さんの発信は望むと望まざると、もはやそのままセンジュ出版だ」
と言われ、そういうものかと、いよいよ腹を括ることにした。
著者を、読者を、スタッフを、わたしは守らなければいけない。
そのためなら、センジュ出版を伝える自分になろう。
今年1月からは毎日、公開を意識したことばをFacebookでの限定公開投稿に付け足すようにし、
さらに7月からはその公開を目的とすることばをこのnoteに切り取った。
会ったことのない人、本名のわからない誰か、が投稿を読んでくれるようになった。
それは正直、嬉しいことだった。
なぜならここに書いているのは、
自分が自分を伝える上で、センジュ出版がセンジュ出版らしくある上で、
大切にしていることだけだからだ。
そして9月1日。
20年以上続けてきた、領収書のための行動履歴投稿を、この日から取りやめることに決めた。
この日は会社の創業記念日。
会社の7期目の始まりということでも、キリがいい。
顔の見えない不特定な人達への文章を毎日書くのは、当初かなり勇気がいったが、
足がすくむような決意と不安と覚悟をもって本を出す著者の気持ちに、ほんの一かけら程度、気づけたような気がする。
「本を出すと、誰かに石を投げられることもある。一方で恩人と言われ涙されることもある。でも、どんな時も、胸を張って信じて欲しい。自分のことばを」
と、初めての本を出す著者に何度、声をかけただろう。
「お前はどうなんだ」
と今回、どこかからそそのかされ、
これまで書いてきたことを書くことをやめ、これまで書いてこなかったことを書き始めることになった。
信じるには頼りなさすぎる自分のことばに、自分が書く必要があるのかとずっと自問自答ばかりしているが、
つい先日、
「吉満さんのnoteを、スマートフォンのホーム画面に置いて毎日読んでいる」
という連絡が来た際には、驚くと共に、しずかに決めた。
まずは、この人のために書こう。
顔の見えない人に書くのではない。
顔が見えなくとも、一人ひとりの顔を思い浮かべるだけだ。
今日も、届いていますか?
体は、心は、元気ですか?
心地いい時間を過ごせていますか?
あなたの毎日のために、わたしが書けることなど本当に何もないのですが、それでも、
今日もあなたのために。
いい夢を。いい朝を。迎えてくださいね。
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