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「他人事」だって、言わないで。

今センジュ出版では、来週末に開催が迫ったとあるイベントの、演出統括を手がけています。
とはいえ関わることになったのは、開催の1ヶ月ほど前。
そこから理念の言語化、組織の活性化と役割の整理を経て、業務の洗い出し、当日配布物や掲示物の制作、進行表や司会台本の作成、もちろん関係者とのミーティングなどのコミュニケーションと、さながら小さな小さなイベンターのようになっています。
おかげで連日かなり寝不足です苦笑。

ではなぜ、ここに関わっているのか。
それには3つの理由があります。

①理念に共感したため。

このイベントは「沖縄こどもホスピスのようなものプロジェクト」という、来春にもNPO法人になる予定の団体が主催しています。
この代表は、小児緩和ケアの宮本二郎医師が務めています。
医師である彼が、医師であるからこそ手がけることのできるこの構想、この文章を少し読んでいただけませんでしょうか。

いかがでしたか?
こどもホスピスを手段とし、人の優しさを育むまちづくりを目的としたこのプロジェクト。
可哀想な子どものための施設、と、距離を置かれがちな活動ですが、この建物、あなたのためでもないでしょうか。
少なくとも私にとっては、「他人事であるはずはないのです」の一言に込められた思いに、このプロジェクトに関わることのできるありがたさも感じることになりました。

②小児がん患者遺族の女性との出会い。

このプロジェクトに、私は昨年から声をかけていただき、末席に関わることになりました。
2022年12月10日に開催されたのが、「かがやきのウタ」と銘打たれた、プロジェクト発足を建設予定地の土地神様にお伝えするイベント。
画像をクリックして動画を再生してみてください。

このイベント会場で出会ったのが、ご長男を小児がんで亡くされたお母さん。高良めぐみさんです。

以下は少し前に、SNSで投稿した記事。

***
#沖縄こどもホスピスのようなものプロジェクト
に関わらせてもらって、自分が少しずつ変わっていくのを感じた。
初めはどうして私が東京から呼ばれているのか、よくわからなかった。

当事者でもなく、子どもの療養にそれほど関心や関係があるわけでもない。
でも、この動画が撮影されたイベントに来て欲しいと言われた9月のカウンターで、なぜか自分がそこにいてこのイベントを眺めている画が浮かんでいた。
なので、深く考えず行くことにした。

行った当日、不思議な出会いがあった。
初めて会った気がしない女性がそこにいた。
お互い、相手の顔をじっと見つめる。
帰り際、また目が合って、どちらともなく歩み寄った。

「あの、どこかで会いましたか?」

その人は、2年前に息子さんを病で亡くされた方。
その男の子の夢を叶えたのが、「沖縄こどもホスピスのようなものプロジェクト」を立ち上げた張本人、訪問診療医の宮本二郎医師。
私はこの息子さんのことを東京で、宮本先生から何度となく聞いていた。
この12月のイベントでも、この男の子が亡くなる少し前の、彼の夢が叶った日の映像が流れていた。
思わず彼女を抱きしめて、二人で泣いた。

あの12月から、宮本先生のおかげでこどもホスピスの建築にあかるいそれはそれは素敵な先生方とのご縁が生まれ、
そして今年6月には沖縄で、またあのお母さんとの再会があった。
彼女はこのプロジェクトに当事者として関わっていた。

再会した場で彼女から直接話を聞いて、ボロボロ泣いた。
ああ、この方のためだ。
私はできることをしよう。
このお母さんのためになら、頑張れる。

そうしたら、なぜなのかしら。
私はこのお母さんと、対談することになった。
11月18日。
このプロジェクトのことを広く知ってもらうためのイベント、その舞台上でのことらしい。

正直、戸惑った。
私でいいのか。当事者でもない自分に相手が務まるのか。
彼女は私を望まないのではないのか。
「あなたには関係ない」と言われるのが怖かった。
なので、宮本先生にお願いしてお母さんと3人で話す機会を作ってもらった。
彼女にとっていちばん心地いい選択をして欲しかった。
相手が私でないほうがいいというなら、当日までの伴走をしようと考えていた。
その顛末がこちら。

当事者でなければ、その人に本当の意味で手を差し伸べることはできない。
そんなはずはない。
どんな人でも、「その人」を抱きしめることができる。
手を繋ぐことはできる。
当事者でないからこそ、生まれる朗らかな距離がある。

だけれど私はずっと、何かあると当事者だと感じられた人にだけ身の上を話す傾向があった。
相手に余計な負荷をかけたくない。
というのももちろんだけれど、どこかで「あなたにはわからないでしょ」という拒絶があったと思う。

昨日、緊張しながら臨んだオンラインミーティング。
なぜなら私は当事者ではない側の立場だったから。
大切に思う「その人」を前に、自分は本当の意味でわかってあげられない。
わかりたい、知りたいと思う自分は確かなことだけれど、
それでも、「あなたにはわからないでしょ」と言われること、思われることが怖かった。
そう言われても仕方ないと思った。

だけれど「その人」は、自分の身を預けることになる、かなり勇気を要するであろうその相手に私を選んだ。
「それ以外に考えていなかった」との言葉と共に。
そして、「どうして自分じゃダメだと感じられたんですか」と私に尋ねてくださった。

その声をオンラインでじっと聴きながら、涙を堪えられなかった。
その人の苦しい体験そのものに涙したのももちろん。
でも、当事者でない私を認めてくれたことが、どこか嬉しかった。ありがたかった。
そして、自分がずっと張り巡らせてきたものが、情けなかった。

今目の前にいる「その人」は、私の手を取ってくれた。
本当なら私こそが、その手を握りしめたいくらいなのに。

これからもきっと、誰かれかまわず詳らかに自分の身の上を話す気にはならないのだけれど、
昨日の出来事は自分を少し、変えてくれた気がしている。
少なくとも、肩の上の荷物をちょっと脇に置こうと思えた。

当事者でなければ伝えられないことがある。
そして同じように、当事者でなくとも伝わることもある。
その二者だからこそ生まれる、伝えられることも。

思えば不思議としか言いようのない出会い方をしたその人、Tさん。そして、縁を繋いでくださった、これまた不思議に繋がった人、Mさん。

本当にありがとうございました。

この日を境に、当事者でないからこそできることがあると、信じられるようになりました。
昨年12月から、あのキヨサクさんの歌声を聞いてから、弱さの強さを慈しめる自分が顔をのぞかせるようになったのは、
全部、彼女の、そしてこのプロジェクトのおかげだと思っています。

今はまだ小さく弱い
消えそうな光でも
一つ一つ寄り添う事で
輝きは増す
輝きは増す

I’ll always pray for you
祈り続ける
I’ll always be with you
いついつまでも
祈り続ける

「pray」written by Kiyosaku

③音楽の世界。

小学校に上がってからはピアノを習い、中学高校とフルートを吹き、大人になってからも友人たちとロックやジャズ、ブルースにR&Bなどライブにいろいろと出かけていた私。
でも、いつからだろう。こどもが生まれてからは特に、すっかり自分の毎日から音楽が遠のいてしまっていました。

2022年、12月のこのプロジェクトのイベント会場でキヨサクさんの歌声を聞きながら、私は少し泣いたんです。
いい声だなぁ。いいメロディだなぁ。いい歌詞だなぁ。
いい時間だなぁ。

そうしたらぐわっと、自分の中から音楽への気持ちが蘇ってきて、このところ毎月のようにライブに出掛けるようになりました。
そう、あの日のキヨサクさんは、私に私を思い出させてくれたように思います。

なぜ、この会場にキヨサクさんがいらしたのか。
今から10年ほど前に、宮本医師がキヨサクさんに「病室に来て歌を歌ってほしい」と依頼されたことから、お二人の親交が始まったのだそうです。
宮本さんは2018年に、こんな文章をSNSに残されています。

「音楽のチカラ」2018.11.7

かりゆし58というバンドをご存知ですか?沖縄の方ならほとんどの方が知っていると思います。週末にかりゆし58の愛に溢れるライブを見てきました。ラストの曲は「オワリはじまり」でした。「音楽のチカラ」に関して、僕はいくつかの曲が思い浮かびます。そのうちの一曲です。

難治性の小児がんに罹患した小学校低学年のとても優しい男の子がいました。抗がん剤治療、骨髄移植もして、それでも病気はしつこくて何度も再発してきました。その子が好きな曲として挙げてくれていたのが、かりゆし58の「オワリはじまり」でした。タイトルからなんとなく想像できる歌詞の内容ですが、低学年生が好んで聴くには少し難しい気もしました。お母さんも「なんでこの歌なんだろう?」と言っていました。でも、この歌はこの歌詞はその子にとって大切な家族に対する自分のその時の気持ちを代弁してくれるメッセージだったのだと思っています。

人は、自分の気持を言葉で上手く表現出来ないことがあります。恥ずかしいから、という場合もありますが、生命を脅かす疾患に罹患している場合には体力気力がないこともあります。子どもならボキャブラリーも少なくなおさらでしょう。その時に、自分の気持ちを代弁してくれる歌があることで、大切な人へ自分の気持ちを伝えることが出来るということは、本人にとっても、そしてその後に残された家族にとってもとても大事なことだと思います。

僕はこのような時に「音楽のチカラ」を感じます。診療場面でこのような経験を今までに何度かしました。歌はそれぞれ異なり、モンゴル800の「小さな恋のうた」だったり、秦基博の「ひまわりの約束」だったり。本人は歌う力がもう無くなったとしても、家族と一緒に歌うと、その場の空気感がガラッと変わることを実感します。家族達は、泣きながら笑っていることが多いです。その場にいることが出来る自分はいつも泣いてしまいます。

アーティストは病気を直接に治す薬を処方することは出来ないし、手術も出来ないけど、ヒトを幸せに出来るすごい職業だなぁ、っていつも思っています。一方医者は、薬を処方したり、手術をしたりして、病気を治すことでヒトを幸せにする職業です。だけど、病気を治すことが一番に優先されて、本当の目標を忘れがちになったり、治らない病気を抱える人に少しでも人生良かったと思ってもらえるように関わることが疎かになったりしてしまっているのではないかと感じています。
もちろん人によってですが人生のある時間においては、薬のチカラよりも音楽のチカラの方が、全人的な苦痛を緩和することもあると信じています。もちろん薬のチカラの威力は十分僕も知っており、がん終末期に薬全くなしで苦痛なく過ごせる方は多くありません。それぞれの長所欠点をお互いが協力しながら補い、患者さんのより幸せに貢献できるように診療することが出来ればいいな、と思っています。

そんなことで、今日も音楽療法士さんと一緒に訪問診療に行ってきます。色々、試行錯誤中ですが、ヒトが幸せな時間を過ごせるお手伝いが出来れば、それでいいとも思っています。では、良い一日になりますように。

このプロジェクトに流れている音楽もまた、私にとっては心と体が喜ぶもの。
だからこそ、理由もうまく説明できないながら、このプロジェクトに、このプロジェクトが手掛けるイベントに、快くお手伝いしようと決めました。


前置きが長くなりました。
18日のイベントはこちら。
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よかったら、お話聞きにいらっしゃいませんか?
小さきものを大切にできるあなたの美しさ、優しさ、強さ、逞しさを、どうかここで、私たちと巡らせていただけましたら。

*協賛してくださる企業も広く募集しております。気にかけてくださる方、お声がけください。


それから、宮本先生と若き靴磨き職人のチャリティトークセッションも来月12月10日に開催。
こちらはハイブリッド講演で、リアル会場は満席、オンラインのみ現在受付中です。
あわせて話を聞いてほしいと思います。

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センジュ出版 代表 吉満明子
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