役に立たない本
会社員時代、30代のある時期のわたしは、仕事をする上で役に立つ(とされる、あるいは感じる)本を中心に読んでいた。
どうすればもっと効率的に仕事ができるか、どうすればもっとお金を稼げるか、どうすればもっと利益を得られるか、どうすればチームをまとめられるか。
無駄なこと、お金にならないことから距離を置き、役に立つ本は実際当時のわたしにとってずいぶん役に立ったし、一方で書いてあることと同じようにできないことも多々あった。
振り返るに、仕事に燃える30代の読書の仕方というのも悪くないとは思う。
40歳になってセンジュ出版を立ち上げてからの今は、まるで大きな反動のように、何の役に立つのかよくわからない本を多く読んでいる。
おそらく今後センジュ出版からも、わかりやすい役立ち方にまつわる本は出さないだろう。
昨年から始めたオンライン読書会では、テーマに沿った、ある意味何の役に立つのかわかりにくい本を毎月参加者と共に味わう時間を設けてきた。
そもそもテーマそのものが、とにかくわかりづらい。
テーマを決めている自分自身が、なぜこのテーマなのかよくわからないことばかり。
でも、そんな風変わりな読書会を1年間参加の方達と続けてきて、即効性とかけ離れたところで、じわりじわりと自分に効き目が、役に立つことが、あったようにも思う。
それは、暇でいられる余白が生まれたこと、ハンドルのあそびができたことだ。
経営者、創業者もまた、社会に何かの波紋を作る表現者なのだとしたら、
この余白、このあそびが自身の表現活動に、表現からなる経済活動が世界の未来に、どんな影響を及ぼすか、
ほんの少し考えてみてもいい気がする。
この余白、あそびが察知する何かは、見逃しては、聞き逃しては、あるいは見て見ぬ振りしてはいけない、何かにも思える。
大切なのは目の前の人の顔と、
すぐそばにある、遠くの未来。
明日の読書会の課題本もそうだけれど、こういう本を読む人が増えてくれたら、
ゆたかな時間がこの世の中にほんの少し、増えるのではないか、と。
組織のリーダーにも、自分の人生のリーダー(つまり一人ひとりのみなさん)にも、
おすすめします。今回も。
テーマは「発する」。