傘の中に
30代の頃、財団法人日本経営者協会からの受託事業として、
愛媛県伊予市の地域資源発掘参画委員の一人を務めていたことがある。
自分は主に伊予市の食文化を都心部にどう伝えるかを提案する役割だったため、マルトモのかつおだし工場の見学、中山栗の収穫、唐川びわまつりの種飛ばし大会出場、揚げたてじゃこ天の試食をはじめ、市役所や地域企業の方々との会議出席などなど、数ヶ月に一度の視察とそれを踏まえての提案をさせてもらった。
その中でまちづくりと編集の仕事について、
取材対象の持つ膨大な資源の中からそれを必要とする相手によって選択し、より伝わるようにデザインする点においてかなり共通する点があると感じ、
いつか住民としてまちの編集に関わりたいと考えた。
このことは、その後立ち上げることになったセンジュ出版が社名に土地の名を借りた理由の一つとなっている。
センジュ出版はこの「まちの編集」のほか、「場の編集」も創立当時から事業として取り組んでいて、これはブックカフェの営業、そして地域イベントの企画運営につながった。
出版社が手がける「編集」を、本を作る、雑誌を作る、冊子を作る、だけでなく、もっと広義の意味で捉え直したこの会社の編集は、そのうちに文章講座など、人一人の持つ物語の編集にまで幅が広がっていった。
会社を立ち上げて6年が過ぎようという2021年、このセンジュ出版の編集をさらに俯瞰して考える機会があり、
これまで手がけた商品もサービスもすべてが、「対話」の傘の中にすっぽりと入ってしまうことを、
社内外の人達とのまさに対話の中で気づかされることになった。
自著『しずけさとユーモアを』(エイ出版社刊)の中で、わたしはミヒャエル・エンデの描く『モモ』のようになりたくて編集の仕事に就いたと書いたが、
モモはカウンセラーでもなく、コーチでも、コンサルタントでも、先生でもない。
でも、モモに話をした相手は彼女と話をすると、晴れやかな顔になって、「自分」を取り戻す。
センジュ出版の本は読者にとってそんな存在となっていたら嬉しいし、センジュ出版の手がけるサービスもまた同様。
自分の中に本来備わっている自分に気づいて心地よさを取り戻すと、周りに優しくさえ振る舞うことができたりもする。
そんな人を一人でも増やしたいとこの会社は立ち上がり、出版社としての編集は次第に、「対話」の中にすっぽりと包まれてしまった。
もはや出版社と呼ぶのも憚られるほどに発行は遅々としその点数も少ないが、
そもそもこの会社を立ち上げる前から「モモ」を目指していた自分としては、
本作りはこの会社が手がける、重要な一つの側面だ。
ようやく今、この会社を俯瞰して見渡すと、
書き手、読み手、そしてこの会社とつながるすべての人たちが自分自身に目覚めていくことを、どの商品、サービスにおいても同じ目的としてきたと感じられる。
だとしたら、自分から。
澄み切った青空の下だけでなく、嵐の闇夜にも、
本来の位置からかけ離れずにいられるよう、
しずけさとユーモアを胸にセンジュ出版を前に進めていこうと思う。
*今日のブログも明日へ見送ります。
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