【story25】44年うなぎとともに
まじ満 店主
間嶋昭人さん(66歳)
朝の仕事は営業前の
7時過ぎからスタート
「うなぎ焼とり まじ満」は古くから川魚を扱う店が多かった千住で、半世紀以上続いてきた人気の店だ。住宅に囲まれた千住仲町のミリオン通り商店街の中にあり、近所の人からサラリーマン、観光客まで様々な人が昼前から晩まで足を運ぶ。
間嶋昭人さんはこのまじ満の2代目店主に当たる。
まじ満の営業は11時スタートだが、間嶋さんの仕事は朝7時半から始まる。千住内にある自宅から自転車に乗って、一旦、店を訪れたら、そのまま車に乗って仕入れに向かうのだ。
「起きるのは7時。そのまま顔洗って、自転車でお店にすぐ来てます」と間嶋さん。
まじ満を出て車を出し、最初に向かう仕入れ先は、同じ千住仲町内にある「川魚問屋 鮒与」だ。
「鮒与は江戸時代から続いている、創業400年近い老舗。うちは親父の頃から50年ほど、ここからうなぎや川魚を仕入れてます」と間嶋さんが教えてくれる。鮒与さんにうなぎやドジョウ、うなぎの肝などをキロ単位で注文すると、うなぎはその日のうちに、その他は翌営業日の朝に直接まじ満まで届けてくれるそうだ。
「うなぎは鮒与さんに『柔らかいの』といって見繕ってもらってます。エサによってうなぎの肉質は変わるみたい。うちに入ってるのは九州と愛知の養殖うなぎが多いよ」と、うなぎ事情も交えつつ教えてくれた。
店先に車を停めたら慣れた様子で素早く鮒与の受付に向かい、鮒与店主の内田さんにうなぎなどのサイズと注文するキロ数を伝える。
うなぎの肝はお店でさばいたうなぎの肝かと思ってました、と尋ねると「うなぎの肝は1串でうなぎ5匹分の肝を使います。それ以外に、肝吸いにも使うわけです。だから店でさばくうなぎの肝だけじゃ間に合わないんですよね」とのこと。
市場にもうなぎの肝を扱う加工業者はいるけれど、そちらは注文して数日後に取りに行くことになるそうで、鮒与さんのように翌日に店まで届けてもらえるのはありがたいことなのだろう。
「うなぎの肝は高いけど苦みがあってね、大人の味だよね」と間嶋さん。「うなぎの骨も問屋さんに頼んでいます。問屋さんサイドでさばいてもらうと仕上がりの形もいいんだ、全然違うよ」。その言葉からは、鮒与さんへの信頼感が伝わってくる。
鮒与の次に向かうのは隣町にある魚河岸、足立市場。ここは鮮魚を中心に、野菜や果物、加工品など様々な食材が集まっているプロ向けの卸売市場だ。
まじ満はうなぎの店だが、同時に旬の食材を使ったつまみも絶品だ。そんなつまみの材料もここ足立市場から仕入れられている。
間嶋さんが市場で最初に足を運んだのは、鮮魚仲卸「青木」。
魚介類1つ1つに目を光らせながら、積み上がった発泡スチロールの間を歩き回る。
「カツオやカンパチ、シマアジは注文してあるから、ほかにも目新しいものがあれば買っていきます」と言いながら、間嶋さんはこの日仕入れるのによさそうなものを見つくろっていった。
この日は小ぶりのアジ1箱も追加で買っていくことに。
次に買いに行ったのは野菜類。野菜、果物、つま物を扱う「妻孫」へと向かう。
店先に並んだ野菜を見ながら、まだ間嶋さんはひと思案。オオバやナバナなどを選び取った。
「あ、タケノコもう出てるの」「はい、昨日から出てます」と会話も交わしながら、さらにタケノコも追加する。
魚介類、野菜と来たところで、次は肉類の購入だ。間嶋さんが向かったのは、足立市場唯一の精肉店「アンデス食品」。
「昔の千住には鶏屋さんが多くて、同じ町内だと源長寺のそばにも1軒あったんだけどね。どんどん減ってしまって、今は市場で仕入れるようになりました」と間嶋さん。
アンデス食品で鶏もも肉2kgを買うと、すぐに斜め向かいの乾物店「伊勢重」へ向かう。
伊勢重では、鰹節のほかサバ節も購入。間嶋さんいわく、「お吸い物などの出汁に使うよ」だそうだ。
てきぱきと仕入れを進めて、最後に向かったのは「関水青果」だ。
「おはよっす!」「おはよう!」と挨拶を交わしながら、店内の野菜や果物に目を通しレモンにセロリ、グレープフルーツ、カボチャなどを選んでいく。
果物はまじ満のメニューに載っていないが、たまにサービスでお客さんに出すのだそう。「注文のついでにちょっと出すと、みんな喜んでくれるからね」と間嶋さん。
車に荷物を運んで仕入れが一通り終わったら、ようやく朝食タイムだ。
間嶋さんが毎朝朝食を取る店は、市場内にある「たけうち」だ。
たけうちではそばやうどん、ラーメンなどの麺類のほか、玉子ぞうにや安倍川もちなどの餅類も扱っている。中でも間嶋さんが毎回食べているのはラーメンなどの麺類だ。
「朝は何となく、ご飯より麺の方のが入りやすいんだよね。たけうちのラーメンおいしいよ、昔ながらの醤油味でさ。年齢を重ねていくとだんだんシンプルなのがよくなってくるんだ。マグロも赤身の方がいいとかね」と間嶋さんはその日も頼んだラーメンのおいしさを、魚のことも交えつつ教えてくれた。「毎朝麺食べてっから、メンクイなんだよ。まあそんなことないんだけどさ(笑)」。
いつから朝食は麺を食べるようになったのかと尋ねてみたところ、「昔、親父と一緒に市場に来てた頃はお雑煮食べてたな。たけうちには、うまそうな卵を入れたお雑煮が年中あるからね。麺ばかり食べるようになったのは何でかな……。ただ、麺は軽いじゃん、ご飯だとおかずによっては胃が重たくなることがあるからね」とのこと。間嶋さんにとって麺類は、仕入れ後も続く仕事に差し支えない朝食なのだろう。
たけうちで食事が終わると、時刻はようやく8時過ぎ。間嶋さんはそのまま仕入れた食材を持って再び車でまじ満へと向かう。
まじ満店内に買ってきた食材を運び入れたら、間嶋さんの朝の仕入れ仕事は一段落だ。
「この後はいつも自宅に帰って、ビデオに撮っといた朝ドラ見たり、コーヒー飲んだりと1時間くらい家でのんびり。親父の弟が先に来て、魚を下ろしたりしてくれるから、私は10時過ぎに来ます」と間嶋さん。
10時過ぎになると、再び間嶋さんが店内に現れる。
昼食時間を控えた店内は忙しい。「焼き場(調理場)の準備やメニューの書き換え、定食用のキャベツを刻んだり。色々やります」と間嶋さんが言う通り、平日は14時頃にいったん店を閉めるまで、ノンストップの作業となる。
そのため、店員が昼食を食べられるのは15時過ぎからだ。
野菜炒めや親子丼など、店にある材料でさっと作るのがまじ満のまかない食。1日の食事で間嶋さんがご飯を食べるのはこの時だけだ。ご飯茶碗にしっかり盛って食べるのは、夜まで続く仕事に備えてなのだろう。
「14時から店は休憩になってるけど、本当に休んでるわけじゃないね。昼食だけじゃなく夜に出す料理の仕込みがあるから」と間嶋さん。
「一番混むのは夜6時から7時。うなぎだけじゃなく焼き鳥もよく出るから、毎日のように串さして出してるよ」とのこと。ちなみに鶏肉は毎日1~2キロ分を焼き鳥として出すというから、かなりの量だ。
まじ満のラストオーダーは夜8時。9時が閉店時間だ。その後も片づけや掃除、売り上げの計算などがあり、間嶋さんが自宅に帰りつくのは11時過ぎ。朝の1時間の休憩時間を抜いても、実に15時間に及ぶ労働となる。
「2023年から息子も店のホールで働きだしたけど、9時には家に帰してるよ。さすがに突然、夜11時まで働かせるのはどうかな、って思ってね」と間嶋さんは言う。
「店を閉めて11時過ぎに家に帰ったら、ビールや焼酎を飲みながら店から一口分だけ持ち帰ったうなぎを食べるんだ。そうやって、「今日のうなぎは骨っぽいな」とか、「軟らかいな」とか確認する。そういうのを積み重ねるうちに『軟らかいうなぎがおいしい』とわかったから、鮒与さんにも軟らかいうなぎを注文しています」。
家に帰ってもうなぎのことを考える間嶋さんなのだ。
千住の町と人の
変化を感じながら
千住に生まれ千住に暮らして66年の間嶋さんに、「ここ最近、千住が変わったな、と思ったことはありますか?」と尋ねると、「コロナでだいぶ営業形態変わったよ。昔は10時まで営業してて、お客さんがいれば11~12時までやってたもんね。今は夜遊びしてる人が少なくなって、お客さんがいないせいで8時過ぎに早めに店を閉めることもあるからね」と答えてくれた。
コロナ禍前後で人の流れが変わったことはよく知られているが、そもそも間嶋さんが店に入ってからこの44年間で千住やまじ満の周辺はかなり変化したという。
「まじ満のある千住仲町は今は住宅とマンションが多いけど、30年くらい前は映画館にボウリング場、サウナ、パチンコ屋さんと、とにかく色んな店があった。うちも入ってる『ミリオン通り商店街』の名前は、いま千住保健センターが建ってる場所にあった映画館『ミリオン座』から取ったんだ。あそこは最初は洋画を上映してて、最終的にはエロ映画をやるようになったんだよね」と間嶋さん。
昔からのお馴染みがまじ満に来ると、こうした昔の話になることも多いという。
「ここ10年くらいで、特に町の様子は変わったね。昔の千住は飲み屋と呼び込みが多い『おじさんの町』ってイメージだったけど、最近はおしゃれで若い人が増えた。うちの店に来るのも前は地元に住んでいる常連さんが多かったけれど、最近は知らない人が増えたよ。若い人はSNSで店のことを書いてくれるから、それを見てまた人が来るんだろうね」。
そんな千住の歴史を知る店の店主だけに、間嶋さんは地域の役職などを頼まれることも多い。
今現在だけでも千住仲町会の副会長やミリオン通り商店街の会長、足立区商店街振興組合連合会の副会長、まちなかアートプロジェクト「音まち千住の縁」の理事を務め、過去には足立区立千寿小学校のPTA副会長、足立区立第一中学校のPTA会長だったこともある。
「PTAはお袋から、『会長やらないか、ってお誘いがあったなら、やってあげなさいよ』って言われて始めました。町内会や商店街などの役職は親父やおふくろの代にはできなかったから、自分の代でやるように、と教えられたんです」と間嶋さん。
「自営業の人ってそういう役をするのは嫌がるけどね。会合には店があったら出られません、出られる時には少しでも行きます、と話して引き受けてます」。
役職を引き受けてからは、ほかの町内会や商店街で行われている魅力的なイベントやセールを地元に取り入れるなど、町のことにも目が向いている間嶋さん。昨年の秋には就学前の子どもたちの親が始めたハロウィンイベントの手伝いも行い、2024年からは町内会か商店街などで一緒に開催してはどうか、という話が出ているという。
「ハロウィンイベントは最初、子どもが10人くらい参加するだけだと思っていたけれど、蓋をあけたら20人ちょっと参加してたね。千住にマンションや大学ができたから、若い子が増えたのかな」。
地域各所で活躍する間嶋さんに、これから先、一番力を入れていきたいことは何ですか?と尋ねると、「まあ、お店だろうね」と一息に答えてくれた。
「まずは店を維持する努力だよね。もう66歳だしこれから人手も減っていくんだから、この先はもうちょっと形態を変えないとね。真空パックに入れてうなぎを発送するとか、時代やお客さんのことを考えながら変えて行かないと難しいんじゃないかなあ」。
次世代に託すまであと
10年は頑張らないと!
間嶋さんの3人の子どもたちのうち、娘さん1人は夫婦で千住中居町のイタリア料理店「TRATTORIA en」を営み、もう1人の娘さんは会社員となり、一番下の息子さんは昨年4月からまじ満で働き始めた。
「お子さん1人がまじ満に入ってくれて、よかったですね」と言うと、「いいのかどうなのかなあ。まずは1年かけてホールを覚えてもらって、それから焼き場や仕入れなどを覚えてもらっても、全部できるようになるのに10年くらい。私は今66歳だからまだまだがんばらないとね」と間嶋さん。
「まあ、息子には『今までと同じにやんなくていい』って言ってあるから。全然同じにしなくていい。やりたいようにやる」と間嶋さんは次世代に託す意思も語ってくれた。
間嶋さんは大変かもしれないけれど、あと10年以上がんばってもらえたら、おいしいうなぎがまだまだ食べられると喜ぶ人は多いはず。
そうして時間をかけて次の世代が育ち、千住の町もゆっくり変化していくのだろう。
自由に過ごしたら
店と料理に行きついた
間嶋さんが息子さんに繰り返し「やりたいようにやっていい」と言うのは、間嶋さん自身もそう言われて育ったからだそうだ。
「20歳頃には、広告代理店と電気製品を販売する会社でサラリーマンやってました。両親が飲食店をやってるとずっと店にいるから、一緒にご飯食べたりできないじゃないですか。サラリーマンはいつも家族で夕飯を食べれていいな、と思ってサラリーマンをやってみたけど、そんな早く帰れるサラリーマンって実際にはいないよね(笑)」と間嶋さん。
「銀行だって昔は3時に閉まるから、『いいな、この人たちは3時に仕事が終わるんだ』って思ってたけど、銀行は3時に閉めてからが大変だ。どんな仕事も大変なのは同じだよね。何かしらやることがいっぱいあるから」。
そう思うようになって、22歳で間嶋さんはまじ満に入ることにした。「まじ満に入ったと言っても、20数年前には友だちと町屋で5~6年フィリピンレストランを経営したり、やりたいようにやってたね。まじ満のことで本気になったのは15年くらい前から。親父の体力が落ちて休憩時間がだんだん長くなって、自分も焼き場(調理場)に入るようになってからだと思う」。
店に本気になった間嶋さんは、料理の仕方から工夫するようになった。
「料理を作るなら、お客さんにおいしかったって言われるのが一番うれしいことでしょう。また次もおいしいのを出したい、おいしいうなぎを作るにはどうしよう、と思うようになった。で、自分が焼いたうなぎを食べてみると、こんなふうに料理した方がおいしい、ってわかる。お客さんからも、うなぎは軟らかければ軟らかいほどおいしいって言われる。でもうなぎの身を極端に軟らかくすると、ほぐれて焼けなくなっちゃう。じゃあどこまでが限界か、って考えてみたり」と試行錯誤の日々だったそう。
今でもうなぎの柔らかさにこだわっているそうで、「うなぎは蒸す途中で蓋を開けて触ってみるんですよ。それで自分が納得した軟らかさになったところで焼き始める。何で今日はこんなに軟らかくならないんだろう、っていう時もある。この軟らかさは、私とほかの人とは違うと思うんで、できれば自分がやりたいね」と間嶋さん。
まじ満の今のうなぎの味わいは、間嶋さんのこのこだわりがあってこそなのだ。
たまの休みは
ご馳走と旅行!
朝から晩までまじ満のことで忙しい間嶋さんだが、毎週月曜日と第二日曜日は貴重な休日となっている。
普段の休日は、奥さんの料理作りもお休みにして夫婦で外食するのが恒例だ。
「休みにはなるべく外に行きたい! でも結局仕事の延長で、浅草のかっぱ橋にお店の食器を買いに行ったり、洗剤やラップなどの消耗品を買い足したりしてますね。それで夕飯は外で食べるよ」と間嶋さん。
飲食店の人がまじ満に来たら、間嶋さんもお返しに、休日にはその店に足を運ぶ。特によく行くお店は、店主がまじ満の常連でまじ満からも近い、千住河原町の新富寿司だ。
「つまみも充実してるのがいいですよね」と間嶋さん。サラダ好きだから、寿司と一緒にいつもホタテとアスパラのバター炒め、エビ入りサラダを頼むという。
間嶋さんの奥さんはフィリピン出身だが、間嶋さんと結婚してから28年経ち、日本の食事にもすっかりなじんでいる。だから寿司も日本食もおいしいと喜んでくれるそうだ。
この日も新富寿司で間嶋さんとともに寿司や刺身、つまみを楽しんでいた。
1日休みは近場で外食を楽しむのに対して、月1回の連休は1泊旅行に行くチャンスだ。最近は夫婦2人や昔の友達、子ども一家と一緒に、時々旅行に出かけている。
「一泊二日で温泉でも入っておいしいもの食べて。旅行での楽しみは、もう食べ物です! 妻の故郷のフィリピン・マニラにも年1回は行くよ」。
おいしいものは元気の源。作ることも休日に食べることも、間嶋さんの活力源になっているのだろう。
千住は拠点!
過去も今もこれからも
最後に、間嶋さんに「あなたにとって千住はどんなところですか?」と尋ねると、「生まれ育ったところで、ともかく何をするにも、ここが拠点!」という答えが返ってきた。
「千住以外を拠点にすることは考えられない。店だけじゃなく町や商店街のいろんな行事も執り行ってきて、これからもそういうものを大事にしながら、死ぬまでずっとここにいるんだろうな。生まれてから66年間、ずっと千住だからね」。
移り変わる千住とともに、間嶋さんの千住暮らしは続いていく。
Profile まじまあきひと
うなぎ焼とり まじ満の2代目店主。千住で生まれ育ち、会社員として勤務後まじ満で働き始め、父である先代の後を継ぐ。まじ満で働くようになってから2024年で45年目となる。まじ満とともに千住の変化を見つめ、現在は千住仲町会副会長、ミリオン通り商店街会長、足立区商店街振興組合連合会副会長なども務める。
取材:2023年11月9日、12月5日、12月15日
写真:伊澤 直久(伊澤写真館)https://www.izawa-photostudio.com/
文 :大崎 典子
文中に登場したお店など
川魚問屋 鮒与 千住仲町11-11