公園グルグルランは楽しいか?
2年前リタイアしてすぐにアキレス腱付着部炎を来たして走れなくなった。少し良くなってアスファルトを走ると、着地衝撃が強いためか痛みがぶり返した。それ以来、近所の芝生や土の公園をひたすらグルグル回ることが僕のランの8割以上をしめている。数えているわけではないが、1周200m前後の小さな公園で100周以上することもざらである。なぜ2年近く毎日ネズミの実験のようにそんなことが出来るのか、考えてみた。
不整地トレーニングは故障しにくいか
見たことはないがケニア人アスリートの練習の大半は土の上で行うらしい。土や芝生を走ってからアスファルト道路を走れば誰もが硬いなあと感じるはずだ。ただし、本当に不整地がアスファルトに比べて故障しにくいかどうかは個人によって違うだろう。衝撃の影響を受けると言われる膝の軟骨、アキレス腱などの軟部組織の状態は年齢によって違う。フォアフット、ヒールストライクといった走り方の影響は大きいと言われる。路面の状況以上に使用するトレーニングシューズが故障に関与するという話しもある。クッション性の高いシューズを履くから土踏まずのアーチが鍛えられずに故障しやすくなると。裸足ランが推奨される由縁だろう。今の僕の場合はどうか?普段のジョギングはナイキのインヴィンシブルを履いているが。間違いなく芝と土を走るのが膝にも踵にも楽である。芝や土ならもっとソールの薄いシューズでいいのかもしれない。でも最後にアスファルトの坂ダッシュなどをやることを考えると薄底には躊躇してしまう。故障がちの今は故障が起きにくいと言うメーカーのキャッチフレーズにまんまとはまってしまっている。
なぜ公園グルグルをはじめたのか
不整地はともかく、小さな公園をぐるぐるするなんてどこが楽しいの?と思う人は多いはずだ。僕自身マラソンにのめり込み始めた50代、公園はおろか不整地を走ることなどなかった。サロマ湖を目指した練習で55歳の時に膝関節の脛骨疲労骨折をしたものの、治ってからは川沿いのアスファルト道路で1000mインターバルなど高強度のトレーニングを繰り返し行った。ロング走は同じところを走るのは退屈なので地図をにらんで30キロ以上になる1周ループコースを作成したり、場所を決めずに遠くまで知らない道を走るのが楽しかった。それがなぜ近所の公園ぐるぐるなのか。61歳でアキレス腱付着部炎がこじれて芝生などの不整地を近所で探した。そのときには尾根すじのトレイルか近所の公園以外見つからなかった。早朝のトレイルではこけた。雨でもいつでも走れるのは公園しかなかった。その頃読んだ本が佐々木功監督の「ゆっくり走れば速くなる」。1980年代にLSDを広めたといわれるこの本では夜の公園グルグルが推奨されていた。
公園グルグルのメリット
ここで言う公園とは代々木公園のようなビッグパークではない。最初に書いたようにご近所の公園だ。芝生広場や砂土の運動広場があっても1周200~300mの小さなやつだ。ここを早朝4時過ぎからぐるぐるする。周回する点ではトラック周回と似ている。しかし僕の場合トラックだと「せっかく来たから頑張るぞ」という気持ちが先行しやすい。芝生や土だとかなりリラックスして、ゆっくり走り出せる。そして同じところをぐるぐるしているとカラダが動き出して意図してないのに自然にビルドアップする。あとからガーミンに記録された右肩上がりでアップしていく1kmラップを見るのはちょっとした楽しみである。ロードでは信号や坂道、風向きもあってこうはいかない。何より早朝の公園だと車や歩行者を気にする必要がないので安全である。不整地でもトレイルだと木の根っこや段差があって始終路面をきにしてないと転倒のおそれがある。そして冬にヘッドライトがいらない。冬場は朝7時近くまで暗い。それでも公園では街灯のおかげでヘッドライトなしで足下が確実に見える。さらにさらに水場とトイレ問題も大きい。僕の愛用する公園には最近ではめずらしい24時間オープンのトイレがある。管理が良くて紙も切れていない。明け方の急な差し込みにいつでも対応可能という安心感は絶大である。もちろん公園近くのコンビニも悪くはないが毎回となると気が引ける。
公園グルグルの本当の楽しみはこれだ
同じ景色で単調ということは走り以外のことで気を遣う必要がなくなるということ。それはすなわちフォーム、姿勢、カラダのパーツに集中しやすくなること。ナルシシズムにも近い感覚である。前にも書いたが僕の愛読する座禅の本 “Zen mind, Biginner’s mind” by Shunju Suzukiに、座禅は姿勢と呼吸に集中することだと書いてある。残念ながら近くの禅寺に数回座禅を組みに行ったが、あの結跏趺坐が組めないためとても姿勢と呼吸に集中する余裕がなかった。しかし誰もいない早朝の公園グルグルでは自分の体幹がまっすぐであること、真下に着地すること、そして呼吸。これらに集中できる。まさに「走禅」と感じている。50代後半から60歳までサブスリーへとタイムを伸ばしていた頃はヘッドフォンは必需品だった。レースが近づくと乗りのいいロックを聴いて気持ちを上げたものだ。でも今はいっさい聞かなくなった。朝の静寂の中で自分のからだに集中できるというのは今の僕にとって最高の愉悦とも言える。まあ端から見れば変人だなあ