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小澤メモ|POPCORN MOVIE|映画のこと。

19 北野ブルー映画。

ふと、マーティン・スコセッシ監督。
2017年、当時公開されたばかりの映画『沈黙』を観たとき、つくづく映画監督と俳優の相性というものがあるのだと思った。この場合は、マーティン・スコセッシという監督の作品は、ロバート・デニーロという俳優がいてこそ完成されてるんじゃないかと。本人が聞いたら、やっぱり怒るだろうな。だけど、『タクシードライバー』(1976年)や『レイジング・ブル』(1980年)、『グッドフェローズ』(1990年)、『カジノ』(1995年)などはそれを証明している気がする。2019年に見た『アイリッシュマン』は、その往年感へのオマージュでもあった。『沈黙』に必要だったものというより、マーティン・スコセッシ監督の作品に必要だったもの。それは素晴らしい脚本ではなく、昨今タッグを組むことが多かったレオナルド・ディカプリオでもなく、ロバート・デニーロだった。

映画に色と音をつけていく。
北野武監督の作品をみたとき、世に言われる青みがかったキタノブルーが印象的だけれど、(映画の専門家ではないのに知ったかぶるのは事故の元だが)カメラアングルや配役、音楽、それに劇中に差し込まれるギャグというかボケなど、キタノブルー以外にも監督ならではだなっていう部分がたくさんある。個人的に、もっとも印象的なのはなにかというと、自身の作品の中の俳優ビートたけしは、スーツのセットアップでもネクタイをしていることがないなってこと。それと、車だ。映画の舞台装置は、製作予算や協賛・協力が関係しているのかもしれないけれど、北野映画に登場してくる車は、どこかノスタルジアだ。ピカピカの高級車やヴィンテージカーではなく、わかりやすいほどの中古車なのだ。もしかしたら、こだわりがあるのかもしれない。

青みがかったプロップス。
北野映画の車たち、マークツーやベンツをはじめとするそれらは映画の公開年よりひと昔前によく見かけた年式だったりする。上映中、そんな車たちに目がいってしまう。ドアをバタンと閉める。タイヤが砂利を踏む。急停車してバックする。それがまた良い感じの音的残像になっている。だんだんとグレーがかってきた青い世界で、数年型落ちの車がほど良い日常音を立てている。それが北野武監督の映画のイメージ。そして、キタノブルーな余韻を漂わす重要なキャスト。つくづく映画という文化や映画そのものが素敵だと思う。マーティン・スコセッシ監督や北野 武監督に会ったこともないのに、数年型落ちの中古車を、ロバート・デニーロと同じように並べて、こうやって話ができてしまうのも、それだけその映画たちが魅力的だということなのだ。

夏の専売特許ではない、ブルー。
青い海、青空、そして青い関係。それらすべては夏の専売特許ではない。北野映画を見ていると、そんなことを再認識する。代表作のひとつ『HANA-BI』 は、とくに舞台装置や情景だけでなく、物語の中に潜む青色を感じさせる作品だ。たとえば、雪深い夜のシーン。鮮血すら青く感じた。『HANA-BI』が公開されたとき、こちらは大学生だった。夏になればビーチで遊び倒し、イベント目白押しの冬はパーティや夜のクラブ活動に明け暮れていた。浮かれていたし、緊張感ゼロな日々だった。そんなこちらとは別世界のような、雪に埋もれかけたひなびた温泉宿の一室で布団を並べる西佳敬(ビートたけし)と余命いくばくもない妻・西 美幸(岸本加世子)。負傷し下半身不随になって海をぼんやり見つめる西の同僚・堀部(大杉漣)。初めて見たときから30年以上経っているが、はっきりと覚えている。『HANA-BI』の中の彼らは、とてつもなくせつなくてわびしかった。そして、美しかった。後には1歩も引かないぞ、という強さがあった。それが覚悟というものだと、この映画によって教えてもらった気がする。すごいなと思う。語弊を怖れずにいえば、北野武監督はしみったれた、きらびやかさからは遠い、そういう色を見つけ出すことができるのだと思う。誰もがなるべく見ないように(感じないように)して、やり過ごそうとしている人生における、せつなくてわびしい孤独の色でスクリーンに物語を描いていく。それが『HANA-BI』の青ざめた美しさなのではないだろうか。どんなに派手に遊んでも、この映画のような信義は得られない。死を覚悟した者の青ざめ、ひきつるほどの美しさ。それが北野武の青じゃないかと。19

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