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小澤メモ|HELLO PANDA|パンダのこと?

21 がんばれ、桃浜。

双子の姉妹の思い出。
2014年12月、アドベンチャーワールドで生まれた双子の姉妹、桜浜と桃浜。世界的に、人工飼育下では珍しい冬生まれのパンダ。パンダにしては大きめなサイズで生まれ、すくすく育った2頭は、順調な成長曲線を描いていた。お母さんの良浜から独立してからは、双子らしくわちゃわちゃと仲良くセッションする日々。そして、アドベンチャーワールドの2つあるパンダ施設のうち、パンダラブの方へと引っ越していった。1歳を過ぎたばかりの、まだスタッフが直接飼育できる時期、パンダラブの屋外運動場のモート(溝)の死角に隠れるようにして2頭はチルしていた。ちょうどその位置だと、見学者からはまったく見えなくなってしまう。現在は、アドベンチャーワールドを退職されているが、当時のスタッフがパンダ用のオヤツを渡すついでに、2頭をモートから引っ張り出してくれたのを覚えている。もちろん無理やり引っ張ってとかじゃなくて、1頭ずつやさしく抱きかかえて。

ある寒い、浜風吹きあれる日。
とある寒い日。前日はアドベンチャーワールドがある白浜には1年に1日降るか降らないかの雪が、舞っていた。風が強くとても冷たかった。もちろん、パンダはそういう寒い日が大得意。桜桃も外ではしゃいでいた。ホットコーヒーを何度か飲んで暖をとった以外は、入園してからずっと2頭を眺めていた。足先用のホッカイロもとっくにお役御免となっていた。そして、あっという間に閉園時間のアナウンス。気づくと、自分以外は誰もいなかった。当時のアドベンチャーワールドは、今では考えられないけれど、パンダたちと自分だけ、そんなウソみたいなゴールデンタイムがちょいちょいあった気がする。その日は珍しく、マイペースで知られる姉の桜浜が先にバックヤードへとひょいひょいと帰っていった。そこにいたのは、まだ外で佇んでムニャムニャしていたいみたいだった桃浜。そして、そんな桃浜と同じ気分のつもりでムニャムニャとその場でたったひとり、ひたすら眺めていた、こちらは変なオッサン。(ちなみに、2016年や2017年など、アドベンチャーワールドに唯一雪が積もった、たった1日に、桜浜と桃浜の撮影ができているので、個人的には桜桃と雪とハロパンの相性が良かったと思っている)

桃浜、バイバイ。
なかなかバックヤードに戻ろうとしない桃浜を、前述のスタッフが回収にやってきた(呼びにきた)。桃浜は、まるでそれを知っていたかのような、待っていたかのような感じで、まったく脱力した感じで、されるがままに抱っこされてダラーっとしていた。バックヤードへと向かうスタッフと桃浜の後ろ姿。スタッフの背中越しに垂れ下がっている桃浜の手足。ぶらり、ぶらり。こちらは追いかけるわけでもなく、その場でだんだんと離れていく桃浜をぼーっと眺めていた。そのときだった。おもむろにスタッフが振り向くと、だらりとした桃浜の手をとって、こちら(変なオッサン)に向かって、バイバイと手を振ってくれたのだった。桃浜がそうしてくれたわけではないけれど、桃浜がそうしているように見えたのだった。かわいかったなあ。うれしかったなあ。あの日の光景は絶対に忘れないだろうなあ。

ハロー・パンダ前夜。
当時は、今のように関東キー局などのマスメディアに、四六時中、アドベンチャーワールドのパンダたちが取り上げられていることはなかった。現に、そのときに自分自身でパンダのグラビアに特化した本を作りたいと決心したのも、なかなか会いに行けない”アドベンチャーワールド”のパンダが掲載された本とか記事をめざとく見つけても、ひたすら”アドベンのパンダ”、ひたすら”アドベンのパンダのグラビア”みたいな本がなかったからだった。パンダに対してのトリビアやインテリジェンスやあれこれももちろん重要だけど、あえてアカデミックではなく、ひたすら感だけで楽しめる、興味を持ってもらえる、なかなか”アドベン”に会いにいけなくても会っていると思えるようなものを記録したかったし本にしたかった(今はインスタも充実しているから本のめくり感じが遠くなってしまったかなぁぁぁ)。有言実行、それから2年後に本を出したとき、すでにそのスタッフは退職されていた。何人かの退職されたスタッフには本を渡すことはできたのだけれど、桃浜の手を振ってくれたスタッフにはまだ渡せてないまま。必ず届けたいと思っている。

桃浜の話のつもりが、いろいろ。
ということで、アドベンチャーワールドのパンダのグラビア本を出版して以降、パンダのグラビアの本はどんどん出て来たし、今ではSNSも充実しているので、パンダのピンナップみたいなものは当たり前になって、逆に珍しくない感じにもなって、それは良いことづくめだと思う。未来を生きる子どもたちにとっても、パンダのことを一緒に考えたり一緒に笑顔になったり、それが良いことだと信じている。それで、桃浜なんだけれど、彼女は、前にも書いたけれど、姉の桜浜よりもいろいろと成長が早かった。しかし、そこは妹、(遊ぼうよー)って感じで、かまってちゃんは桃浜だった。桜浜は、少し面倒くさそうにあしらっているように見えた。姉に突進していく妹。姉が食べている隣にぺたっとくっついてくる妹。姉が登ってチルしている木に一緒に登ろうとして怒られる妹。そんな桃浜を眺めて、(おねえさんのことが好きでたまらないんだなあ。桜浜はツンデレなのかなあ)と思ったものだった。成長が早いくせに、姉が好きでたまらない感じ、これが桃浜のイメージだった。

桃浜の転機(は、桜浜の転機)。
そんなパンダラブでの楽しい双子の姉妹の日々は2017年5月頃まで続いた。そして、ある日突然に転機がやってくる。それは、海浜と陽浜と優浜の中国への旅立ち。この3頭が旅立つにあたって、検疫期間に入ることになった。それまでは、パンダラブの3つの運動場を双子の桜桃と、海浜と優浜でシェアしていて、ブリーディングセンターの4つの運動場をお父さんの永明とお母さんの良浜、そして陽浜が使っていた。そこから、陽浜がパンダラブへ検疫のために引っ越し。となると、代わりにバックヤードのケージ数の関係から、パンダラブから1頭、ブリーディングセンターへ引っ越ししなければならない。検疫期間になる海浜と優浜は動かせない。となると、それは必然的に双子の桜桃のどちらかになる。そこで選ばれたのが、成長著しく元気いっぱいな桃浜だった。あれだけ、姉の後を追っかけていた桃浜が、急に桜浜と別々になって寂しくなってしまわないか。素人のオッサンは、そんなことを勝手に心配してしまった。これを機に、双子が独立していくことになる!? 風雲急を告げた一挙に3頭の中国への旅立ちとともに、いろいろな転機がありすぎて、パンダ本人たちをおいといて、こちらは胸が壊れてしまいそうだったのを思い出す。

実は世界的にも珍しい出来事?!
この写真はちょうどブリーディングセンターへ引っ越したばかりの頃の桃浜(赤ちゃん時代にお母さんと姉と暮らした場所でもある)。当時取材したとき、スタッフ曰く、別段この変化に不安がったり寂しがったりする様子はなく、元気に走り回っていたとのことだった。そして、しいていうならば、久々のブリーディングセンターの屋外運動場だったためか、バックヤードへのゲートがどこかわからなくなってしまって、テンパっていたとのことだった。しっかり者の桃浜でもそんなことがあるのかと、少し笑えて、ホッとした。それから、2017年6月、海浜と陽浜と優浜が中国へと旅立つ。すると、桃浜は再びパンダラブへと引っ越し。このまま離れ離れになると思われた桜浜と桃浜が再びタッグを組むことになったのだった。性成熟を迎える3歳までには、双子といえども1頭ずつ暮らすことになるのがパンダの常。だから、2017年6月時点ですでに2歳半になっていた桜桃が別々になったのであれば、そのまま1頭ずつ暮らすことが既定路線だと考えがちだけれど、桜桃は姉妹同士(メスとメス)というのもあって、再び一緒に暮らすことになってもまったく問題はなかったという。

がんばれ、桃浜。
ただ、興味深い転機があった。それは、引っ越す前は、妹の桃浜が姉の桜浜にかまってーと後を追いかけていたのに、再び一緒になってからは、姉の桜浜が少しオスマシする桃浜に絡んでいくという逆転現象が起きたのだった。これは当時のスタッフも言っていた。桃浜がパンダラブへ戻ってきたとき、ツンデレだったはずの桜浜からすぐに反応して、桃浜に向かって鳴いたらしい。「おかえり! 待ってたよ!」なんていう気持ちだったのかな。こちらは勝手にそんな風に想像してしまった。それから3歳になる前まで一緒に暮らした双子。ゆったりと竹を吟味して食べる桃浜に、なんでも食べちゃう桜浜がちょっかいを出して、最初はスルーしている桃浜も遠慮なしに噛みついてくる桜浜にプチっときて、結局はわちゃわちゃと2頭でセッションしてしまう。そんな微笑ましい光景が繰り広げられていた。もともと成長が早かった桃浜。ブリーディングセンターへのひとり旅も体験し、さらに成長した彼女は桜浜の相手をしたり、見学者やスタッフの声に耳を立てたり、“パンダらしくてパンダらしからぬ”佇まいで、パンダラブで存在感を放っている。とても寒かったあの日。手を振ってくれたように見えた桃浜。そんな桃浜を、変なオッサンは、ずっとずっとがんばれ!と思って応援している。お母さんになる日がきたら、本当に素晴らしいなって思っている。21
(写真はブルーディングセンターで一人暮らし中だった頃の桃浜/2017年5月)

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