小澤メモ|POPCORN MOVIE|映画のこと。
21 北野ブルー映画 夏。
若さというかキュンとくる傷つきやすい青色。
青春にも四季があるとしたら、挫折は冬のようなものか。それとも、スコールでザーザーとうちぬかれる夏か。1991年の『あの夏、いちばん静かな海。』と1996年の『キッズ・リターン』は、北野作品のブルーでも、青春というパートを感じさせる。かといって、これを学園モノとか青春モノとかっていうカテゴリーに、あてはめていいのかどうかはわからない。そもそも、見る側がなんでもかんでもカテゴライズしようとする傾向を、作り手側はいつもナンセンスだと感じているに違いない。その上で、あえて『キッズ・リターン』は、学ランを着た少年2人が主人公なので、友人には、青春映画だと言ってすすめている。ヤクザものでもコメディでもない。どんな人が見ても損はない1本だと。
バカヤロー、まだはじまっちゃいねーよ。
物語は、落ちこぼれのマサル(金子 賢)とシンジ(安藤政信)を中心に、新車を燃やされる橋田先生(若者の心をまったく理解できない事務的な教師ってどこにでもいるよな)や、才能の片鱗を見せ始めたシンジをダークサイドへとそそのかす先輩ボクサーとの絡みなど、ウケるシーンが多数。それに、やはり(と言ったら監督に失礼か)ヤクザは登場し、そして誰かは必ず殺される。少年の挫折だけでなく、北野映画の真骨頂とも思える暴力や裏切り、理不尽が散りばめられている。しかし、考えてみれば、普段の生活においても、日本ほど一般人とヤクザが隣り合い、しかもリンクして成り立っている社会はないだろうし、暴力や死、理不尽なことは往々にしてあるものだ。それが現実なのだ。そして、そんな社会において、キラキラした少年たちが、簡単に自分の可能性を放り投げてしまうのも、せつない世の常。子どもは、自分自身に対しても、とても残酷なときがあるんだと思う。だから、劇中のマサルもシンジもキラキラしてるというよりも、青みがかった枯れた冬の空気に近いのかなと思った。それがまたいい。だから、『キッズ・リターン』は、青春時代の冬映画なんだ。
誰にでもある、夏の何かの青色パーセンテージ。
少年時代を思い出すとき、ひたすら長い夏休みに何をしていたんだっけかと思う。ぶっちゃけ、冬休みより長い夏休みは何したらいいかわからなかった。『菊次郎の夏』は、自分史の夏の時間を呼び起こさせる傑作だと思うーーー。長い夏休み。なのに出かける用事がない。会いたい人がいるけどずっとずっと我慢している。友だちの家族がうらやましい。盛夏にひとりぼっちなことを痛感してしまう主人公の正男少年。程度の差はあれ、誰もがそのような経験、もしくは思いをしたことがあるのではないだろうか。成長していくにつれて小さいころの記憶は消えてしまう。ましてや、つらかったりさみしかった思い出は、大人になる間に他の楽しい出来事で、無意識に覆ってしまうものだ。だから、この映画をぼーっと見ているだけで、ホロホロと忘れてたつもりのちょっとしたさみしい出来事を思い出してしまう。そして、今さらどうしようもないのにぎゅーっとなったりする。
菊次郎だよ、バカヤロー、早く帰れ。
物語では、つまならなくてさみしいはずの正男少年の夏が急に動きだす。おばあちゃんの知り合いのスナックのママ。そのママの夫である変なおじちゃん。そのおじちゃんに連れられて、まだ見ぬお母さんに会いに行く。よく知らないおじちゃんが怖いとか、東京から遠い離れたところへ行くとか、そんな不安よりも、そこにいるはずのお母さんに会えることが嬉しかった。そうやってはじまる正男少年の夏休みの小さな旅だったが、いろいろなハプニングが起こる。そして、突然、気づかされる。気づかされるのは、見ているこちらのことだ。この物語は、正男少年の夏休みを通して、ビートたけしさん演じる、変なおじちゃんが覆い隠してきた、(誰とも何もなかったあのころの夏休み)を取り戻してもいるのだ。旅の終わりの終わり、不器用なまでに乱暴でとても優しい主人公2人のやりとりがたまらない。ヴィム・ヴェンダース監督『パリ、テキサス』、ジム・ジャームッシュ監督『ストレンジャー・ザン・パラダイス』といった、世界に知られるロードムービーの代表作とはまたひと味違う、心の憶測に放っておいたかなしみとも仲良くなってしまえる物語。『菊次郎の夏』は、北野武監督によるロードムービーの傑作だと思う。それぞれが思い浮かべることができるはずの、それぞれの四季折々の青色。北野作品の常にブルーがかっかた情景。さて、今、あなたの人生の季節はいつだろうか。21