世界日報との出会い3

ちょうど今日のような春うららかな日だった。少しずつアパート暮らしにも慣れてきた夕暮れ時、「トン、トン」と玄関を叩く音がした。

「こんにちは~『世界日報』です~。」

新聞の勧誘だった。それにしても聞きなれない新聞だったので、興味本位で思わず聞いてしまった。

「それって、どんな新聞なの?」

これが運のつきだった。ここぞとばかりゴソゴソとカバンからアプローチブックを取り出して、朗々と世界日報の説明を始めた。

適当に聞いて、追い返せば良かったのだが、私はさらに言ってしまった。

「新聞なんてどこも同じでしょ。朝日新聞や読売新聞と何が違うの?」

よくぞ聞いてくれました、とばかりに彼は再び説明を始めた。

彼の話に、知らず知らずのうちに引き込まれていた。

「大手新聞社はほとんどが左翼的な新聞なんですよ。でも、世界日報は珍しく保守系の新聞なんです。」そこで彼(勧誘員)はとっておきの1枚を取り出した。それは世界日報の切り抜き記事だった。それは私が1年生の時に大変お世話になった清水徳蔵教授の寄稿記事だった。当時複数の亜細亜大学の教授が、世界日報に寄稿記事を書いていたのだ。

私は思わず食い入るように見てしまった。すると彼はクロージングを始めた。

「世界日報を読んでみませんか?半年間でいいですよ。」

ふつう新聞の勧誘といえば、洗剤とかプロ野球の観戦チケットなどがつきものだが、私はあまり関係無かった。

「すみませんが、この記事頂けませんか?」

「いいですよ、その代わり半年間とって下さい」

彼からすれば安い「拡材」だったろう。最も当時の世界日報が、どんな「拡材」を持っていたかは知る由もないが…。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?