世界日報応援団

日刊紙「世界日報」をこよなく愛する初老のおじさん。世界日報の記事を中心に気になったニュースを紹介していきます。

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最近の記事

コロナウイルスの起源

    • 世界日報との出会い3

      ちょうど今日のような春うららかな日だった。少しずつアパート暮らしにも慣れてきた夕暮れ時、「トン、トン」と玄関を叩く音がした。 「こんにちは~『世界日報』です~。」 新聞の勧誘だった。それにしても聞きなれない新聞だったので、興味本位で思わず聞いてしまった。 「それって、どんな新聞なの?」 これが運のつきだった。ここぞとばかりゴソゴソとカバンからアプローチブックを取り出して、朗々と世界日報の説明を始めた。 適当に聞いて、追い返せば良かったのだが、私はさらに言ってしまった

      • 世界日報との出会い2

        先回の続きですが、とにかく自宅から大学までの往復2時間の通学は肉体的にもきつかった。すると、親の方から「大学3年生まで、下宿してみるか?」と提案されました。毎日へとへとになる私をみてそうなったのでしょう。私としては、それまで親に厳しく育てられただけに、願ったり叶ったりの提案でした。 初めての物件探しでしたが、既にアパート暮らしをしている先輩に付き合ってもらい、一緒に物件探しをしてくれました。 その結果大学から徒歩5分の物件(6畳一間、風呂なし、共同トイレ)を決めました。

        • 世界日報との出会い

          私は現在56歳(今日:3月31日が誕生日)。世界日報との出会いは、今から34年前。亜細亜大学2年生の時でした。1年生の時は、自宅(神奈川県厚木市)から片道約2時間かけて通っていました。当時、学園祭実行委員会に所属していて学園祭が近づくほどに大学を出るのは21時過ぎでした。その為自宅につくのは23時過ぎ。だから晩飯を食べて、寝て、翌朝は6時半くらいには自宅を出るという状況でした。 当時は、真面目な学生で時間割は自分で組めましたが、ほとんど1限目から始まるものが多かったこともあり