男と女の仲(千年の愉楽)
先日、中上健次の原作「千年の愉楽」という映画を観ました。
あるお産婆女オリウオバの眼を通して、紀州のある路地に繰り広げられる
淫蕩にして高貴な汚れた血筋の美男しか生まない中本という一族の血に呪われた男たちの
悪徳と波乱に満ちた短命な生涯を描いた映画でした。
その被差別部落の路地では泡が生じるように次から次に男女の恋仲から異性と散々関係を持って、
まるで泡が生じるように子供が生まれ、そして短命な命を燃え上がらせて消えていく
中本家一族の呪われた生涯を描いています。
生まれては死に、生まれては死に、そういう人間の一生のサイクルを凝縮して見るお産婆女の慈愛に満ちた人生観がにじみ出ています。
私はこの映画を観て、人の一生、男と女の一生を想ってみました。
あるタイプの人は、幸福な恋と結婚を経て平安な家族を作り生涯を終えていく。
もう一つのタイプは、恋に明け暮れ恋と性愛の炎に身と心を焼かれ嵐に巻き込まれ、
生涯をかけて異性との火遊びに耽る自滅型のタイプです。
さて、どちらが幸せかと言えば、もちろん前者の方だと思います。
しかし、世の中には結婚しててもパートナーとの性愛や愛情に満足できず
不倫を繰り返す人たちもいます。
またレスのカップルも40代以上では70%以上だと報告されています。
結婚していても異性との恋や性愛に落ちてしまうような人を最近知る機会があったのですが、その方の奥深い欲望の深さとはかなさを思いました。
欲望に火がつくと止まらなくなり、一瞬の欲望に我を忘れ、それが消えては燃え上がり、
消えては燃え上がります。
彼ら彼女らを淫乱で不道徳だと一刀両断することは簡単ですが、
人間の欲望の性の奥深さを思い、一概に否定もできないと思います。
映画「千年の愉楽」が醸し出す人間の欲望の深さとはかなさが、
何百年と変わることのない紀州の港町に降り注ぐ日々の光や夕暮れの港と海の情景と重なり、
忘れられない陰翳のコントラストを描いているシーンが眼に浮かびます。