人生は旅路
私にとって一番生き甲斐を感じる時は、見知らぬ海外を旅をしている時です。
なぜ旅をしている時に最も充実感を感じられるのか、少し考えてみると、どうも今まで見たこともない未知の世界に引き込まれていることによるのだと気付きました。
旅の哲人・森本哲郎の本などは旅路=人生は旅、というものの醍醐味を味わわせてくれます。
彼は松尾芭蕉の以下の言葉を記しています、「日々旅にして旅を栖(すみか)とす」と。
現代では、日々旅を住み家とする、なんていうことはもうなかなかできなくなりましたが、旅の途中でふと気付く非日常的な存在の無限定性やその超自由な気分を大事にしたいものです。
日常の限界性
日々自分が生きているのは、世界の中のある国のある地域のある都市のある場所という限定された場所です。毎日同じような生活パターンで食べ物の買い物をし職場に行き仕事をし、家に帰って食事を作り食べて、そのあとはリラックスしながら過ごすというパターンです。
この習慣が破られるのが、見知らぬ海外の他の国に行って放浪する時であると思います。
そして思考や感情が自由に解き放たれ異郷を逍遥する自分を見出す。食べたくなれば道端で未知の料理を食べ、海で泳ぎたくなれば好きな時に南国で泳ぎ、山に登りたければネパールのヒマラヤ山脈にでも登る、そういう時の旅路のお供はいつも本があると心強いものです。
それも冒険ものののトラベル小説のようなもの。自分も本もその時の旅の色と息吹に染まります。
未知との遭遇
旅で味わう醍醐味は、やはり見たこともないものに遭遇するスリル、五感を働かせて感じるその異世界感なのだと思います。
そして世界には様々な人々が暮らしているという当たり前なことを発見し、世界は広く深いと実しそこにどっぷりと沈没するのです。
いわば普段は小さい自分という存在が、他のより大きく広い世界と異文化に触れ、心身や体験が拡張される異次元の感覚が何ともいえないのだと思います。この世で自分という存在は本当にちっぽけなものですが、異郷世界の中に放り込まれ、よりダイナミックな未知の生活空間や環境を感じることにより、自分がより豊かになる感覚なのでしょう。
旅の無限定性
旅には安定という言葉はないし、自分の人生にも安住の地というものはないと思っています。遠い過去の記憶を手繰り寄せつつ現在につながり、そして目の前の日常の限界と同時に、旅という遥か奥に限りない時空が拡がっているところ、それが旅の路上であり人生の途上だと思います。