しがな1日過ぎ日和
ぼくの日常
さて、なにから話そうか。主張の激しいセミたち。ゴーヤの葉について擬態するカマキリ。オリーブの葉を美味しそうに食べるいもむし。ベランダの縁に沿って行進するアリ軍団。向こうのほうで正午を告げるサイレンの音が遅れて我が家に届いた。
この家には住み馴れている。床も天井も木でできた家だ。小さな暖炉もあるが、薪をくべる場所の前には花瓶や新聞紙が転がり、もう何年と使っていない。うちの母さんはいつも台所に立っているし、ちいちゃんは家で寝転がってしがない一日を終えている。かあさんは言う。
「台所に立ってるとワクワクするのよ。あー楽しいわ。」
ちいちゃんは言う。
「生きるのしんどい。」
かあさんはぼくのご飯を作ってくれるからいい人だ。それに比べてちいちゃんときたら。ぼくより寝転がって、なにもせずに膝を抱えている。時々ぼくに触りにくるけど、ぼくはあえて触らせずするっと脇に避けるのだ。そんなちいちゃんの日課は図書館に行くことらしい。お昼のサイレンが聞こえる前に家を出て小一時間で帰ってくる。暑いからそういう時間になるらしい。
今日もちいちゃんは図書館に向かう。ぼくはちいちゃんを見送って、家を出る。日差しがささる。家の前の小道をゆっくりと通る。きゃあきゃあと子どもの声が聞こえる学校の裏道までやってきた。子どもは苦手だ。だってぼくのことじーっと見てきて、追いかけ回すからだ。気づかれないように、しかし品を損なわないようすっすと歩いていく。よしもう少しで学校の横を抜けるぞ。まあそううまくは行かないのが世の常というやつか。
「あーこんにちはー!」
ぼくはまんまと見つかった。こうなりゃ品なんて関係ない。なりふり構わず一目散に逃げるのみ。
ふう。
どうにか逃げ切り神社に到着した。ゆっくりと確実に身だしなみを整える。風が気持ちいい。いたるところに植えられた木々。なんて書いているのかわからない看板。足が痛い砂利道。最近は神社のリニューアルが激しい。謎の砂利場ができたりしてなにがしたいのかよく分からない。まあぼくには関係ないので日々変わる景色は楽しい。
木漏れ日がゆらゆらと揺れている。鳥居をくぐる。目の前には本殿。流石にこの時間お参りに来ている人はだれもいない。普通なら本殿に参るんだろうけど、ぼくは本殿を横目にさっそうと歩いていく。隣の脇道に入り神社の裏口を目指す。本殿の裏、神社のもう一つの入り口。鳥居をくぐる。
ここからは街が見渡せる。赤、紺、黒など色鮮やかな屋根が見える。遠くの方で自転車が通り過ぎていく。車が通る音が聞こえる。お日様はてっぺんにいた。鳥居を抜けるとそのまま階段になっている。ぼくは階段を降りずに手前で腰掛ける。座る時も凛とした姿勢でいること。それが品というものだ。背筋を伸ばし、顔を下に向けない。
「あ、お狐様だ。」
階段の下で誰かが叫んだ。目線を少しそちらに向ける。小さな子どもと母親がこちらを見ていた。ぼくはしっぽをくねらせる。
狐ではないんだが。
「またね。お狐様。」
子どもは満面の笑みで階段から遠ざかっていった。
狐じゃない。
内心そう思いながら、もう慣れてしまった。道行く人皆に言われるからだ。ここに座ってるとみんな狐と思うらしい。
ガチャン
階段の下で音がした。ちいちゃんが自転車から降りてぼくを見ている。図書館からの帰りらしい。
「しろー。私家に帰るけど、あんた帰るー?」
本当は知らんふりをしたかった。ただ返事をしないことでちいちゃんが悲しくなって、これ以上床に寝転がられるのも困る。ぼくの居場所がなくなってしまう。そこでぼくは短くまだ帰らないという意思をのせて、答えた。
「にゃあ。」