小役人の責任 下っぱ公務員の話
主夫の薄衣(うすい)です。
今回は薄衣の公務員時代、
今から20年ほど前のお話しです。
地方自治体ではよく、
【定例記者会見】を
行っているのはご存じでしょうか。
1週間に1回とかでしょうか。
その自治体にもよると思いますが。
役所に記者さん達が集まってきて、
主に市長が施策の発表なんかをしています。
特に、議会前ともなりますと、
重点的な施策や重要な課題への対策など、
中身もグッと濃くなったりするもの。
ここで発表する案件は、
本来、発表前に当然役所内外で
充分な精査・調整を行うはずなのですが・・・
というお話しです。
1本の電話から
国の交付金を担当する企画部門の課長から、
当課の課長に1本の電話が入りました。
その後私が呼ばれ、
「今度国から交付金が入るので、
○○事業をうちの課でやることになる。
ついては、薄衣くんに担当して欲しい。」
私は了解しました。
詳細は追って企画課と調整し、
その後関係機関との調整に入ることに。
そこで私は、
企画課に電話をして事業の詳細を確認。
具体的な詰めは、
後日改めて話し合いをもつことに。
で、この動きはここで一旦止まります。
それから1週間ほど経った頃・・・
薄衣 呼び出される
課長から、
「薄衣くん、先日企画から引き継いだ事業、
6月議会の看板事業として
週明け記者発表することになったから、
資料作りよろしく。」
薄衣、ひっくり返ります。
このあいだ話を聞いたばっかり。
これから調整と言っていたのに。
課長には、
「無理です。
庁内の調整も済んでいないし、
まして外部の機関には
まだ連絡すらしていない
ところもあります。
現時点での記者発表なんて
不可能ですよ。」
課長はポカ~ンと聞いていましたが、
「そうだよなぁ」でご理解頂いた様子。
その後、その旨を秘書に連絡していました。
すると直後、秘書から私に直接電話が。
「すぐに、副市長室に来い」とのこと。
しかも、係長ほか上司は誰も来ず。
「直接薄衣くんに電話だから、行ってきて」
とのこと・・・
行ってみると、そこにはすでに教育長が。
当時、薄衣は市教委の某課所属だったので、
一応そのトップがいたわけですね。
しかし、
教育長も事態をよく理解していません。
「薄衣、どういうこと?」な感じです。
そんな2人が副市長室に入るなり、
「お前、今まで何やっとったんじゃ~!」
との副市長の大きな第一声が。
もちろん私に対してです。
聞けば、
6月議会の看板事業にもかかわらず、
その調整がまったくできていないこと。
それが為に記者発表ができないことへの
怒りでした。
イヤイヤイヤイヤ・・・
薄衣 説明する
薄衣はこれまでの経緯を説明します。
事業引継の打診が1週間ほど前で、
時間的な余裕もない上、
そもそも「看板事業」ということ自体、
【さっき初めて聞いた】こと、などなど。
さんざん怒鳴られながらも、
とにかく記者発表は不可能だと
主張した薄衣。
すると副市長が立ち上がり、
人差し指を薄衣の額に押しつけて、
「これはお前の責任だ。
記者発表ができないなら、
俺が記者達の前で謝ってやる。
お前の責任で、俺が謝るんだ!
忘れるな!」
それに私は怒り心頭でしたが、
アホ!ボケ!カス!とは言えず、
「私の責任なんですか?」と
一言だけ返すと、
「当たり前だ!」
と副市長。
それに教育長が割って入り、
「私も調整に動きますので、
少し時間をください」
と言い出すのです。
いやいやいや~。
この時金曜のお昼前。
記者会見は月曜の10時とか。
無理や~ん・・・が薄衣の本音です。
結局、退席した薄衣は、
教育長にも懇願され、
慌てて関係機関に連絡。
平謝りしつつ懇願の結果、
なんとか記者発表までの
準備はできました。
関係機関の方々にも、
土日にもかかわらず
先方の上司との調整に動いて頂くなど、
大変なご迷惑をかけてしまいました。
この時の皆さまには、
本当に感謝しかありません。
とにもかくにも、
なんとか記者会見に
こぎ着けたのでした。
しかし・・・・・・
ウソやろ・・・
しかし、
その後開会した議会にて、
本案件はまさかの否決。
しかも、当時その議会運営のずさんさが、
地元新聞で取り上げられる事態に。
その記事は地元欄ではなく、
社会面にデカデカと載ったのです。
これについて企画、秘書から
何の連絡もありません。
課長に聞いても、
「先様に謝るしかないね」
の一言。対して薄衣が
「誰が行って頂けるんですか?」
と言えば、課長は
「あんたら」
と私と先輩を指名。
いずれも主事級の、言わば下っ端です。
これにはさすがに先輩が、
「それでは先様に顔向けができません」
と食ってかかり、私も
「あれだけ短期間で
すべて飲み込んで御了解頂いた方々に、
下っ端2人で謝罪に行くわけには
いきません!」
と頑張りますが、結局誰も動かず。
泣く泣く下っ端2人で、
関係機関への謝罪行脚をしました。
組織として
以前別稿で、我が役所は
職階に応じた仕事ができていない
ことを書きましたが、
今回もそうですね。
(この時すでに、別稿で書いた
昭和のお父さん的市長は引退済。
組織の緊張感は緩んでいました。)
別稿はこちらへ。
議会対策は、わが役所では
課長等がメインで動きます。
職階で言えば、市長・副市長から
教育長~課長~課長補佐~主幹~係長
というラインは、
この時も機能していませんでした。
またそもそも、「看板事業」とは言っても、
記者会見直前に【誰かの思いつき】で
決まったかの如しです。
あの時、副市長は薄衣に向かい
「お前のせいで俺が謝る」
と言ってましたが、そんな思いつきを発表できないからと言って、誰に何を謝ろうとしていたのか、分かりません。
まだ発表前で、この時どこにも
事業の情報は出ていません。
さらに「看板事業」と言いながら、
議会の穴埋めや調整もせず。
市長、副市長の答弁もしどろもどろ。
感情的で、まったく論理的ではありません。
完全に準備・勉強不足を露呈していました。
しかも、その責任が
主事という下っ端小役人1人に。
最終的に先輩も謝罪行脚に同席したので、
2人でしょうか。
(でもこの先輩、事業とは無関係なんです。
先方に顔が利くから、と言う理由で
巻き込まれました。合掌)
その間、我が役所、
我が課の「長」がつく
多くの人々はただただ傍観。
これをして、私はよく
「うちの役所は一人親方の集まりやな」
と言っていました。
組織で仕事ができないんです。
この出来事を振り返って、
自分のために言うなら、
私も確認、準備不足は大いにありますね。
この事業のスケジュールなど、
事前に確認できることはありました。
さすがに副市長がブチ切れるのは
想定していませんでしたが、
課長、係長達上司が傍観するのは
日常風景。
とすれば、私自身、
もっと心してかかるべきでした。
ただ、あの組織のことは、
ここで何も言うことはありません。
私はもう去った人間です。
私ができることは、
これを振り返って我が振りを直すことです。
こうして書かせて頂いたことで、
私はこの記憶に一線を引けました。
もう、思い出して
怒りに震えることはないでしょう。
これでいいんだと思います。
そしてこれをご覧になった皆さまが、
薄衣や、私のいた市役所を
反面教師としてご活用頂ければ幸いです。
今回も最後までお読みくださり、
ありがとうございました。
タイトル画像はメイプル楓さんから。
薄衣もあの頃、
たくさん忠告されましたわ・・・
ありがとうございました。