百五十枚を(なんとか)書き終えた
草思社文芸社大賞2024の応募要項に「作者自身の体験に基づく「回想録」「自叙伝」「手記」「論考」「自伝的小説」を募集」とあった。
僕はつまらない人生を送ってきたので、回想録や自叙伝などは当然書けない。
手記は書いてきていないが、手記的なものを創作しようと決めた。
僕は霊を実際に見てはいない。
だけど、霊に関して、霊という言葉そのものに関して、子供の頃から思うところがないでもないので、霊を交えて、僕の考えていることを「思わせぶりに」書いてみようと思った。
三島由紀夫が十九歳の頃に書いた「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」はニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」に影響されて書いたそうである。
実際に「中世の……」に出てくる「陥没」というワードは、「ツァラトゥストラ……」の「没落」からインスパイアされたのだろうと推測できる。
僕も、手記的な形を取るなら、三島由紀夫の「中世の……」とニーチェを参考にして書き進めようと思った。
初めは順調だった。しかし、段々あることに気がついてくる。
「この熱量のまま原稿用紙百五十枚は流石に無理だ」
詩のごときものを混ぜてみたり、一行二行の文を混ぜてみたりしたけど、締め切り二、三日前の時点であと五十枚残っていた。
そこで僕が編み出したのが、「追憶」だった。
まず、偽物の僕を用意した。僕はある時精神の発作を起こして、町中を走り回る。一年の病院生活を経て、家に帰って、追憶に耽る日々を送ることになる。そこで、自分が十九歳の頃に書いた短編小説の断片を見つける。(この十九歳の頃に書いたというのも嘘である。私はそれを、一ヶ月前に書いた。)
この短編小説の内容は全く実体験ではない(なにしろ、殺人者が主人公なのだから)が、……
その短編小説を書いたのは、僕なのだ。そこには僕のエキスが濃く滲んでいる。
僕は吹っ切れて、ええい、最後の2、30枚はこの短編小説を乗っけてしまえ、と思った。そして、そうした。
つまり、僕が最終的に送った小説?の構成はこんな感じだ
1〜90 手記の形を取った、霊に関する僕の論考と雑駁なメモ書きのようなもの
91〜127 追憶パート。これも僕の実体験ではない。が、僕の幼少、少年期に考えていたことやなぜか心に残っている印象深い情景がぎっしり詰まっている。
128〜159 僕の短編小説の断片。この内容ももちろん実体験ではない。しかし、この小説を書いたのは僕であるし、僕の考えていることが詰め込まれている。
どうか!!!どうか、内容が応募要項を度外視しているという理由で選考から除外されることだけはありませんように! これも僕の人生を僕が「自叙」したものであり、一つの方法だと信じて応募したので。