固定された記事
いつか「は」も「わ」になって、「を」も「お」になったりするのだろうか。
「〇〇として」とか「〇〇たる」を使いすぎると重くなるからあまり好きじゃないが、たまに使うとはっとさせられる表現を生むことができる。
誰もやらなかったことをやる、誰も書いてこなかったことを書くなんてことを考える意味はない。大抵のことはやられてきたか、考えられてきた。それでもやられていないことは、誰かが思いついた上で、それでもやらなかったことだ。まずは普通の小説を上手く書けるようになれ。変な色気を出すな。
不必要なことも書くと言ったが、現代において「旧仮名遣い」をあえて使う人、そして、それを使っただけで自分の書いたものの文学的価値が上がると思ってる人たちだけは理解ができない。それこそは不必要なことだし、意味がわからない。
「詩のようなもの」とか「詩のごときもの」という謙遜?の言葉が反吐が出るほど嫌い。自分の「詩」を「詩」と思ってないのなら最初から「詩」という言葉を使うな。
坂口安吾は必要なことだけを書くことが重要だと言うが、僕は「頼」るもの「無」くしては生きていけるほど強くない。僕は自分の中にないものを頼ってでないと生きていけないし、なにも書けない。たとえそれが不必要で非現実的であっても、それが僕の表現したいことを表現するたすけになるなら利用する。