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幕末エピソード15 翼は折られ、もがれ、引き千切られる

幕末エピソード15!
おさらい!

龍馬襲われる。《寺田屋事件》

幕府、トラブってんのに長州攻める。負ける。《第二次長州征討》。

慶喜くん、15代将軍シューニン。

高杉晋作、お亡くなりに……。

《四侯会議》失敗で、薩摩は倒幕を決意。 

薩摩と土佐が《薩土密約》を結ぶ。

龍馬と後藤《船中八策》からの《大政奉還》目指す。


《大政奉還》を実現させるため、

龍馬と後藤は走り始めます。

とりあえず、この計画で一番最悪なパターンは、《大政奉還》する前に、幕府が倒幕派によってぶっ倒されること。

そうです。

薩摩を説得しなきゃなんです。
後藤たち土佐メンは、龍馬の仲介(おそらく!)で薩摩と話し合います。

後藤「今幕府を討とうとすれば、日本国内で戦いが起きて、これはチャンスだと外国が攻めてくる! 武力で幕府を倒すのは待ってください! 我々が考える大政奉還を認めて、協力してください!」

西郷・大久保・小松「いいよー」

意外にもすんなりオッケー。で、

薩土盟約(さつどめいやく)

ってのを結びます(これは、藩と藩との正式なお約束)。
そこで、

「慶喜には将軍やめてもらって、“一大名”になってもらおう!」
とか、
「公卿から庶民にいたるまで、選挙で議員選ぼ!」
みたいな約束事を決めるんです。

後藤「わかってくれて嬉しいです! とりあえず容堂さんに大政奉還について説明するため、土佐帰りますね(あのヤロー京都呼び出したくせに土佐戻ってっから!)。“10日後”にまた京都戻ってきます。で、大政奉還やるときのアクシデントに備えて、土佐から“兵を連れて”きます!」

後藤は“10日後”に、“兵を連れて”戻ってくると、薩摩に約束します。

でも変じゃありません?
薩摩は幕府を倒すんじゃないの?
なんで平和な大政奉還を受け入れるの?

僕らと同じ疑問を感じた長州も、薩摩にたずねました。

長州「ちょっと薩摩さん! 大政奉還に乗っかったらしいじゃん! もうなに? 平和的にいく感じ!?」

大久保「大丈夫。武力を使って幕府倒します」

長州「だったらなんで……!」

西郷「慶喜が、政権をすんなり朝廷に返すわけがない」

長州「!」

西郷「慶喜が大政奉還を拒否ったときがチャンス。『なら仕方ない。もう幕府を倒すしかない』と、倒幕の正当な理由ができる。そうなれば、さすがに土佐も倒幕に協力するでしょう」

長州「……ブラボー」

薩摩、やっぱりバリバリの武力倒幕路線でした。

「やってみりゃいいじゃん。どうせ失敗するよ」って考えのもと、土佐のやり方を受け入れたんです(諸説ありっす)。
そうとは知らない土佐の後藤さん。
とにかくこの大イベントを成功させるため、まず容堂さん(土佐の殿)に大政奉還のことを説明。

後藤「……てことなんですが、いかがでしょう?」

容堂「むちゃくちゃいいじゃねーか! うちは徳川家に恩がある。このやり方ならギリギリ徳川家を守れる。でかした後藤!」

後藤「(龍馬のアイデアだけど……)はい!」

容堂「ただ、政権を返すのは仕方ないと思うけど、将軍は辞めさせなくていいよね? かわいそうだよ」

後藤「…………で、ですね!」

容堂「あと、兵を連れて行って大政奉還とかダメだよ。プレッシャーをかけるとか失礼だよ」

後藤「…………し、失礼ですよね!」

微妙~にずれたゴーサインが出ます。

さらに後藤さん、なっかなか京都に戻れず、幕府に「大政奉還やりましょうよ!」という意見書も提出できません(「イギリス人水夫を殺した」って容疑が海援隊メンバーにかけられ、その処理に追われてたんす)。

結果、薩摩に“10日で戻る”と約束したのに、後藤が京都に現れたのは驚きの約2ヶ月後……。

後藤「マジ遅くなりました!」

西郷「薩土盟約終わりにしよっか」

後藤「えーーー!? 遅刻して兵も連れて来てない全部オレのせいだ!」

西郷「いや後藤さんいない間にね、やっぱ武力使って、ソッコー幕府倒そうって話になったのよ」

後藤「そ、そんな! 大政奉還チャレンジまで待ってください!」

西郷「事情が変わったんだよね。まぁそれぞれのやり方で頑張ろう。じゃ……」

後藤「ちょ、ちょ待てよ!」

薩土盟約、あっけなく解消。
(その理由は、「後藤の遅刻」「兵を連れてきてない」……。他には、
1.幕府が《大政奉還》を受け入れるかも、な雰囲気を出してきやがって焦った。
2.薩摩藩内でも「倒幕反対!」の声があって、これ以上時間を置くと、その声が大きくなる。
3.後藤が用意した、“大政奉還の意見書”の下書き見たら、「慶喜の将軍職辞任」の項目を削ってたから。……これまたハッキリとわかってないやつだけどね)。

そしてここから、土佐と薩摩、それぞれの焦りが大噴出。


西郷「幕府が大政奉還受け入れちゃったら、倒す理由がなくなる!」

後藤「武力で幕府倒されたら終わりだ! 平和な革命が実現できない!」

西郷&後藤「急げーーー!!」


おのおのが望む革命に向かってデッドヒート。
薩摩は倒幕コンビの相方、長州に声をかけます。

薩摩の大久保「幕府を倒すため挙兵します! 長州にも兵を出していただきたい!」

長州の木戸孝允「もちろん!」

長州の出動決定。
さらに、芸州藩(広島県だよ)にも声をかけ、こちらも出動オッケー。

土佐も負けてられません。ようやく

土佐の後藤「これ《大政奉還》の意見書です。よろしくお願いします!」

幕府の板倉(老中)「受け取りまーす」

幕府に《大政奉還》の意見書を提出しました。
それでも薩摩はヨユー。
倒幕の準備は整い、今ごろは兵が海を渡り、西郷たちの待つ京都へ……

長州「薩摩さん! あんたんとこの船と、三田尻(山口県)で待ち合わせて一緒に行く予定だったけど、まだこないよ!」

西郷「えぇ!?」

渡ってません。

薩摩の小松「ヤバい! 薩摩の中の倒幕反対のヤツらともめてるのかも!」

芸州藩(広島県ね)「あのー……うちらも1回ステイしていいですか?」

薩摩の大久保「なぬ!?」

芸州「まだ芸州藩的に揺れてんすよ。土佐の後藤さんとずっと話してて、やっぱり大政奉還もありだなー……なんて!」

薩摩の西郷「ウソでしょ!?」

長州「はい、いったん中止ーー!!」

3藩の挙兵、1回取りやめになっちゃいます。

こいつはヤバいと焦った西郷さん大久保さん。みんなを倒幕の方向に向かわせるため、奥の手を使うんです。それが、

討幕の密勅

(「慶喜を討て!」っていう天皇の秘密の命令)

です。

密かに薩長と倒幕の計画を立てていた

岩倉具視(お久しぶり)

が力技で引き出した最終兵器。
こちらの密勅の内容、ググッとはしょると、

『慶喜は悪いことばっかしてきた。あいつをぶっ殺せ!』

という過激なもの。さらに、

『長州の罪許す!』
『幕府に協力した、会津の松平容保と、桑名の松平定敬も、ぶっ殺せ!』

てな指令も一緒に出され、その司令は最初に薩摩藩、続けて長州藩に届けられます。
そして、この密勅の一番すごいところは……

“偽物”です(多分)。

さも天皇の言葉のように書かれてあるけど、差出人は3人の公卿の名前だし、本来天皇が出したのであれば、天皇が直接書いた「日付」と「可」って文字が入ってなきゃダメなんです(どんな命令文も文書自体は他の人が書くよ)。

その文字がこの密勅にはない……。

幕府倒したいからって、岩倉さんや薩長でニセモノの勅書を作る……こんなやり方ギリアウト。いや、大アウトです。

ただこれで、薩長のスタンバイは完了。


一方、大政奉還の意見書を受け取った慶喜くんたち。こんな超重要案件なのに、

板倉(老中)「大政奉還……」

永井尚志(老中)「どうしましょ?」

慶喜「やろっか」

ソッコーオッケー。てか慶喜くんと2人の老中の3人だけで決めちゃう。

慶喜「みんなで話し合って決めた方がいいんだろうけど、混乱して決まらないと思うから、あとでみんなに報告しよ」

京都の二条城で各藩の代表者に報告することに。

慶喜「幕府の政権を朝廷に返したいと思う!」

各藩の人たち「!!!」

慶喜「意見のある者は申し出てほしい」

各藩の人たち「…………」

慶喜「…………ないのね。じゃ解散!」

事後報告の方が大混乱になりそうですが、スムーズ!
反対意見まったくなしの、混乱ゼロ(解散した後に、後藤や小松が「ご決断、お疲れした」的なことを慶喜くんに言いにきたぐらい)。

で、次の日の

慶応3年10月14日(1867年11月9日)。
慶喜くんは『大政奉還したいよ文書』を朝廷に提出。
で、翌日受理されます。


《大政奉還》、サラッと成立です。


薩長「うおぉい! マジでか!?」

土佐「やったーーーー!!」

革命の女神は土佐藩に微笑んだのでした。

ただ、薩長が制してもおかしくなかった……ってくらい、ギリギリ。

大政奉還をめぐる戦いは、アクション映画さながらの、時間との戦いでもありました。

慶喜が二条城に藩士を集めたのが10月13日。
朝廷に「大政奉還したいよ文書」を提出したのが10月14日。

一方で、薩摩が討幕の密勅を受け取ったのが10月13日。
長州が受け取ったのが10月14日。

ドンかぶりです。
もう、ドン・カブリです。


さて、この大政奉還の成功。もしかすると、誰よりも望んでいたのは龍馬かもしれません。
この大イベントがスムーズにいくと思ってなかった龍馬は、後藤にこんな手紙を送っていたのです。

龍馬「大政奉還がダメだった場合は、切腹するでしょ? 先生(後藤)が戻ってこなかったら、ぼくたち海援隊が慶喜を討ちます。地獄で会いましょう」

激しい。
そこから一転、大政奉還が成立したことを知ると、龍馬はポロポロと涙しながら語ったそうです。

龍馬「よくぞご決断を……。龍馬は誓って慶喜様のために命を捧げよう」

これはこれで激しい。

その後「新しい政府の政策はこんなのいかかでしょう!」案(《新政府綱領八策》)と、
「新しい政府にはこんな人事いかがでしょう!」案(《新官制議定書》)を考える龍馬。

未来のため、まだまだフルパワーで活動していたその矢先、大政奉還から1ヶ月後。


坂本龍馬、暗殺ーー。


「近江屋」ってとこで、中岡慎太郎との会談中に襲撃され、龍馬は命を落とすんです。
重傷を負った中岡も、その2日後に死亡。
日本がまた、大きな財産を失った瞬間でした。

「龍馬・中岡を殺したのは一体誰だ?」というのは、今でも取り上げられるミステリー。
明治になって、元・京都見廻組(幕府の組織)の今井信郎(いまいのぶお)が、龍馬暗殺に関わったことを自供して、実行犯は判明。

でも黒幕は?
見廻組のボス、松平容保?
武力倒幕を阻止された、薩摩藩?
大政奉還を自分の手柄にした、後藤象二郎?
様々な説が浮上したけど、全部推測でしかないから謎のまま。

もっと言えば、実行犯も自供によるものなんで、ホントのガチの真相はわからないんです。

ただ、本当の謎は、

「この2人があともう少しだけ生きていたなら、一体何をしていたのか?」

だと思うんです。
また突拍子もないことにチャレンジしてたのか……もしかすると龍馬は日本を飛び出し……。

誰もが望むことだが誰も成し得なかったことを、ことごとく具現化させた坂本龍馬。
世間の批判にビクともせず、自分を信じ抜き、周りから見れば無謀な挑戦にひた走ったのは、己の欲のためじゃありません。人の事、世の事を心の底から真剣に考えた。その生き方こそ、龍馬の何とも言えない魅力を引き出している…そんな風に感じるんです。

かつて龍馬が歌った歌は、150年経った今でも、我々の背中を押してくれます

「世の人は 我を何とも 言わば言え 我がなすことは 我のみぞ知る」

絶対に実現したい目標があるとき、誰もがこの思いでいいんじゃないでしょうか。


それにしても慶喜くんです。
やけにあっさり大政奉還したと思いませんか?
この人のやることです、そこにはちゃんと裏があるんですよ……。

大政奉還したあと、慶喜くんは将軍の辞職願いを朝廷に提出。すると、

朝廷「待って待って待って! いま各大名たちに上京してくるようにお願いしてるの! 新体制が出来上がるまでは将軍でいてよー!」

フフフ……だろうなーー。

政権を返したところで、朝廷に政治をする能力なんてない。徳川にすがってくるのは想定内。
さらに、慶喜くんは将軍やめたとしても“内大臣”っていう偉ーい地位と、徳川家のバク大な領地を持っています。
ハッキリ言って徳川慶喜、まだけっこう無敵ジョータイ。

しかも、新しい政治体制が出来上がったところで、「そのリーダーも当然オレだろ?」って思ってるから、気前よく大政奉還したってわけです。
しかし、

岩倉&薩長「慶喜や徳川家の力は全部奪う!!」

と決めてる、岩倉具視&薩長は、もう次の手を考えちゃってるんですね……。
それがあの、


王政復古の大号令


というやつ。

「ホーヘンフッホのハイホーヘー? なにそれ?」という方もおられるかもしれません(いねーか)。
簡単に言ったら、

「全部壊して、また作った」です。

「ちょっとアバウトすぎるな」と思いながら書いたので、説明しますね。

前日から続く朝廷の会議で、岩倉さんの謹慎はとかれ(実は謹慎ちゅーだったんすよ)、長州の罪もゆるされた、
慶応3年12月9日(1868年1月3日)。

岩倉さんは、天皇に“ある文書”を提出します。それが、

「摂政、関白、幕府……とにかく今のシステムをぜーーんぶ失くし、武士が出現するより前、藤原って貴族が朝廷を牛耳るより前まで大リセットして、新しく《三職》(総裁、議定(ぎじょう)、参与)っての作りましょ」

っていう、オケラだってアメンボだって腰を抜かす内容だったんです。

この大変革がなんと《大政奉還》同様、「スッ……」と決まって、いわゆる「新政府」ってやつがスタート。
「幕府」や「将軍」が、ここで完全になくなります。

これにより、
260年以上続いてきた幕府が……
徳川が支配した、武家史上最長の政権が……

終了!
おつかれした!!

「私にはスタートだったの、あなたにはゴールでも」

の発表が、《王政復古の大号令》という出来事です。

そして、その日のうちに《三職》が開いた

小御所会議(こごしょかいぎ)

というやつで、「慶喜、無力化計画」の総仕上げが行われようとしていました。


公家の岩倉具視「慶喜がやってきたことは、許されるもんじゃねー! ホントに反省してんなら官位(内大臣)も土地も返せ!!」

土佐の山内容堂「まてまてまて! この会議に慶喜くんを呼ばず、功績もゼロにしようとするのはおかしいだろ! 慶喜くんにしゃべらせる機会与えないなんて、やり方が汚ねーんだよ!」

慶喜くんを新政府に入れてあげるべきだと怒鳴る、容堂さんたち。
慶喜から全てを奪い、もちろん新政府に入れるつもりなんてさらさらない、岩倉さんたち。
お互いの意見が空中でシャキンシャキン交わる激論大会になりましたが、容堂さんのあまりの剣幕に、岩倉さんたちは防戦にまわります。

しかし、容堂さんの次の発言でパワーバランスが変化。

土佐の容堂「2、3人の公卿が、まだ幼い天皇(明治天皇)を抱え込んで権力を盗もうとしてるんだろ!」

公家の岩倉「おい、待て……。幼い天皇とは何事だ? 天皇は本当に優れた王で、今回の大事業はすべて天皇のご決断。それを幼いだぁ……? 無礼すぎるだろ!!」


容堂「それは(モゴモゴ)……シンプルにごめんなさい……」

ここから、容堂さんちょいと元気を失いますが、まだまだ会議に決着がつきません。

容堂「てか、土地を返却するんだったら薩摩も土地返せよ! オレだって土地返してやるよ! なんで慶喜だけが返上しなきゃなんねーんだよ!!」

岩倉「うるせえぇぇーーーー!!」


中山(公家)「はい、きゅうけーーーーい!!」

こりゃダメだと1回休憩。
このとき、外で警備をしていた西郷さんは、会議がディベート合戦になっていることを知ると一言。

西郷「短刀一本あれば足りることだろ」

そんなもん、凶器で脅せばいいんだーー。

という意味です。
こわ。

一般的におおらかなイメージの西郷さんですが、こんなに鋭い一面も持ってたんです(史料に残ってないからどこまでホントかわかんないけどね)。

岩倉さんたち、西郷さんの覚悟を引っ提げ会議リスタート。

公家の岩倉「(ゾワッ!!)」

薩摩の大久保利通「(ブワッ!!)」

土佐の後藤象二郎「……なんか殺気立ってる……引き下がった方が…よくないすか?」

土佐の容堂「………そうしよ」

公家の岩倉さんや薩摩の大久保さんのギアの入れ方を見て、危険な香りを感じた土佐の後藤さんは、ボスの容堂さんに発言させないようにします。その結果、

岩倉さんたち「よっしゃー!! 慶喜は官位はく奪、土地も返却だーー!!」

となり、チーム岩倉が勝利を収めたのでした。
会議が終わり、この結果が慶喜くんに伝えられます。

松平春嶽「……というわけで、官位も土地も取り上げられることになったんだ……」

慶喜「土地はキツいなぁ……」

会津「………は?」

桑名「…………は!?」

徳川の家来「はーーーーーー!?」

慶喜くんより大きくリアクションしたのは、会津、桑名、徳川家の家臣といった、幕府側の人たち。
それもそのはず、土地がなくなってしまえば、2万人以上いる徳川の家臣は世紀の大リストラ。その家族を含めると膨大な人数がごはんを食べられなくなっちゃうわけです。

会津&桑名&徳川の家来「岩倉!! 薩摩!! 出てこいよ! ケンカだケンカ! ケンカしてやるよ!!」


慶喜「落ち着いて! ちょ……だから落ち着いて! ちょっとおさまりそうもないんで、とりあえず大坂に行きますね! ほらみんな移動するよ! だ…ちょ……落ち着いて!!」
春嶽「………大丈夫かな……」

慶喜くんは混乱を避けるため、みんなを連れて二条城から大坂城へ移動します。
こうして、岩倉さんたち倒幕派は、小御所会議で徳川という大きな敵を倒したのですが、このあと、彼らの思うがままにことは進んで……ないんです。

ここからまた、もうひと展開!
佐幕派(徳川LOVE)の逆襲が始まります。

松平春嶽さん、山内容堂さんらが、
「岩倉や薩摩のやり方は強引すぎる! 慶喜くん。あいつらの言うこと、全部は聞くことねーよ!」
と、岩倉&薩摩に猛反発し始め、他の藩からも抗議の声が殺到。

福井の春嶽「こういう声が大きくなってるさなか、慶喜くんの辞官納地(辞職して土地返す)を具体的にどうお考えなんですか?」

岩倉「や、その……慶喜くんは《前内大臣》て肩書きを名乗ってもいいし、土地を返してくれたら……新政府のメンバーにも入れる……かな」

岩倉さん、おもいっきり弱気になります。
その頃、慶喜くんはというと、諸外国の代表を集めて、こんなことを言います。

慶喜「王政復古はマジ最悪! 国民を混乱させるちょー乱暴な行いです! なので、ちゃんとした体制が整うまで、みなさんとのお付き合いの窓口は、これからもこの慶喜が担当させていただきます!」

イギリス「え? そうなん?」

王政復古をディスり、外国との外交の権利は自分にあることを超絶アピール。

慶喜くん……まったく死んでません。
というか、風がまた吹きはじめている。

終いには、慶喜くんの土地の返却は、「罰として取り上げられる」んじゃなく、「慶喜くん自ら、新政府のために土地をあげる」という意味合いに変えられ、「慶喜は悪者」ってニュアンスもなくなります。

倒れたドミノが全部ひっくり返るかのように、小御所会議で決定したことが覆っていきます。
慶喜くんは追い風パねー状態に。このままだと慶喜くんが新政府のメンバーに入るのもマル確……。
倒幕派からすればチョーゼツ納得いかない成り行きですが、これにて、世界でも類を見ない、平和な政権交代が終わったのでした。

いいえ……まだ終わりません。

さ・ら・に、もうひと展開!

それは次回!!




本当にありがとうございます!! 先にお礼を言っときます!