【連載小説】秘するが花 9
藤若 4
もしも、かなうものなら、
父の霊が登場する能を創りたい。
父を弔い、
父が幸せになる能を創りたい。
藤若は、首を横に振る。
いやいや、
死霊を舞台に出すことは、
禁忌だった。
あらゆる芸能において、
鬼を演じても、
死霊を演じる者はいない。
なぜなら、死霊は祟るから。
死霊は、演者はもちろん、
観客にさえも祟るからだ。
いや、まて。
ならば、
祟らない死霊
であれば、どうか。
恐ろしい怨霊ではなく、
美しく、
幽玄な霊、
幽霊として。
祟らない幽霊が出る能。
幽霊が祟らない工夫。
霊の依代、仮面か。
身体の中を、
風が吹き抜けた気がした。
はざまの世の夢の中で、
面の下を、様々な顔が
出入りをしていた。
あれは、能面という
「魄」が「魂」の依代
となっていたのだ。
その依代に、
様々な「魂」が宿っていたからだ。
思えば、
三間四方のはざまの世は、
能舞台そのものだ。
来世に行くために、
現世の名を告げるはざまの世。
能舞台で、
現世の無念を語り
成仏する死者の魂。
ならば、
舞台上の能面を依代として、
幽霊を憑かせれば良い。
能面を、依代を外せば、
演者はもちろん、
観客も祟られる怖れは無い。
藤若は、胸の高鳴りを感じる。
この十年、
父は藤若を
常に素顔で舞台に出してきた。
藤若の美貌を舞台で
活かさない手はないからだ。
絶世の美少年藤若は、
一座の大いなる戦力であった。
しかし。
藤若は室町殿の相伴で、
宮廷で雅楽の陵王の舞いを見た。
眉目秀麗な名将蘭陵王が、
その美貌を獰猛な仮面に隠して
戦に挑む舞踊。
武人の勇壮な舞の中に、
蘭陵王の美貌をあえて面で隠して
優雅さを併せる。
藤若は、
美しさは、
隠すことで更に輝きを持つ
ことがあることを知った。
美貌で名高い藤若が、
あえて能面で顔を隠す。
これぞ、藤若ならではの能となろう。
舞台に現れる幽霊は能面を付けている。
幽霊が憑いているのは、
演者ではなく能面。
そして、
幽霊が
この世に遺した無念を語る。
そう。
怨霊ならば、
怒りや憎しみを激しく
観客にぶつけてくることだろう。
しかし、
幽霊ならば、語る言葉は、
悲しみや哀しみとなる。
その悲しい無念を、
哀しい残念を、
幽霊に語らせて成仏させる。
そして、
その場に観客を立ち会わせることで、
観客の魂も浄化される。
幽霊への鎮魂歌は、
観客への生命賛歌になる。
面白い。
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