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願はくは 花の下にて春死なん

死んだら何処に行く

人が死んだら何処に行くのか?
を考えるなかで、
死んでいく者よりも
遺される者の立場で考えていた。

そんな中、西行法師の有名な歌を思い出す

願はくは 花の下にて春死なん
その如月の 望月の頃

西行法師は、この歌の通り
陰暦の2月16日
つまり満月の日に
この世を去ったという。

なんというワガママな人生であったことか。
なんという見事な人生であったことか。
この歌を知った時に、そう思った。

鳥羽院の北面の武士(同僚に平清盛)
の立場を捨て
俵藤太(藤原秀郷)の系譜という、
平家や源家と並ぶ武士の棟梁の家を捨て
出家して歌人となった人生の
その最後までを思い通りにしようとして
その願いを叶えた。

もしかしたら、
同時代の平清盛や源頼朝よりも
幸福な人生であったのかもしれない。

いや、もしかしたら
西行法師の望みとは、
未来の人間に
「西行法師は悔いなく生きた」
と思わせること。
であったのかもしれない。
如月の望月の頃に死んだ
ということも、
事実ではなく、伝説であるのかもしれない。

そう考えると、
西行法師の次の歌が気になりはじめた。

なにごとの おはしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる

西行法師が伊勢神宮を参拝した際に詠ったとされるこの歌。
「日本人の宗教観」を詠ったと伝わるこの歌が。

さようならの理




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