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まがつたてつぽうだまのやうに

 だれだってぐるぐるする
 
夜空ぜんぶの星が友だちになる 

で辿ってきた、
宮沢賢治の死生観を
さらに辿っていく。

  永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ 
わたくしの いもうとよ

みぞれがふって おもては 
へんに あかるいのだ

(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
 
うすあかく いっさう 陰惨な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
 
青いじゅんさいの もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる 
あめゆきを とらうとして

わたくしは まがった 
てっぽうだまのやうに

この くらい みぞれのなかに 
飛びだした

(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)
 
蒼鉛いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう 
あかるく するために

こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの 
けなげな いもうとよ

わたくしも まっすぐに 
すすんでいくから

(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

宮沢賢治の最愛の妹は、若くして死ぬわけだが、
賢治は死の床にいる妹に
何もしてあげられない
でいる。
そんな賢治に、妹のとし子が
『お兄ちゃん、みぞれをとってきて』
と頼む。
賢治は
妹の為にしてあげること
ができた
ので、
外に飛び出してみぞれを取ってくる。

とし子は賢治に
『妹に最後にしてあげること、
   妹の望みを叶えること』

を作ったことになった。

そのことで、
兄が悔いることのないように、
兄にささやかな満足を残してあげよう
とした。

賢治はもちろん、
妹の優しさが
わかっていた。
だからこそ、
賢治は『永訣の朝』を書いて、
妹を永遠に刻みこんだ。

宮沢賢治がとし子のことを考えたように
人は身近な存在から、
身近な存在への思いから
普遍的な何かに近づいていく
のかもしれない。

宮沢賢治の死生観は、
多くの日本人の共感を呼ぶからこそ
宮沢賢治の作品は
多くの日本人に愛されるのかもしれない。

なにより
死にゆく者のために
最後にしてあげること
望みを叶えること

を作ること。
は、大切なことだと思う。

その死にゆく者が
自分自身であるのならば
なおのこと

さようならの理


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